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平安京さんぽシリーズ⑰ ~古今変わらぬ京都の南端~ 「九条通」を歩く(前編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
九条通からも確認できる東寺の五重塔(※以下の写真も全て筆者が撮影)

 現在の九条通は平安京の九条大路にあたり、南極大路とも呼ばれました。通りの中央に堂々たる羅城門を持ち、官寺であった東寺西寺が面しているなど、平安京では大変重要な通りとなります。現在は、東は鴨川の九条跨線橋東詰の東福寺交差点からそのまま東大路通につながり、西は葛野大路通に突き当たっています。

 九条通の散策は、「伽藍面(がらんづら)」と称された巨大な建物が残る東福寺から始めて行きましょう。九条家によって創建され、現在は言わずと知れた京都の紅葉名所です。塔頭寺院の数が25もあり、各塔頭寺院には枯山水庭園が備わっています。

東福寺三門は禅宗様と天竺様の折衷建築として評価が高い
東福寺三門は禅宗様と天竺様の折衷建築として評価が高い

 メインとなる方丈庭園は、重森三玲の出世作で「八相の庭」と呼ばれ、北庭の市松模様のデザインが今なお斬新さを保っています。建物は禅宗最古の三門が国宝建築として残り、三門同様に室町時代建立で、日本最古の東司(お手洗)も必見です。

方丈の北庭は市松模様のグラデーションが美しい
方丈の北庭は市松模様のグラデーションが美しい

 東福寺の九条通を挟んで北側には万寿寺があります。永長元(1096)年に白河天皇が建てた六条御堂が起こりで、室町時代には、現在の「万寿寺通」の南に移転して京都五山の第五位へと昇格します。その後、東福寺北側にあった三聖寺と明治6年に合併し、東福寺の塔頭となりました。かつての場所が「通り名」として残る、京都によく見られる事例です。

九条通の北側、東福寺の入口に向かい合うように万寿寺の鐘楼門が立つ
九条通の北側、東福寺の入口に向かい合うように万寿寺の鐘楼門が立つ

 続いて高架でJR奈良線や京阪電車、鴨川を越えていきます。東寺を目指して西へ進みますが、南側には九条家が勧請した新宮神社や、北側には洛陽三十三箇所観音霊場の札所である城興寺が出てきます。

 城興寺は、平安末期には、以仁王が寺領を領有していましたが、治承3(1179)年に平清盛によってとりあげられて天台座主・明雲に与えられ、これが遠因となって以仁王が挙兵に至ったとも伝えられます。

 近鉄電車の東寺駅を過ぎるといよいよ東寺のシンボルであり、京都の玄関口のシンボルでもある五重塔が見えてきます。

 「教王護国寺」との正式名称がある東寺は、文字通り平安京を護る寺院として、西寺とともに官寺として造営が始まり、その後、嵯峨天皇の時代には空海に下賜されました。空海はこちらを密教の根本道場として整備を進め、講堂に残る立体曼荼羅を創造し、さらに五重塔の内部にも密教の世界を表現しました。

九条通に面した仁王門を潜ると、正面には国宝の金堂がそびえ立つ
九条通に面した仁王門を潜ると、正面には国宝の金堂がそびえ立つ

 空海が当時住んだとされる建物は御影堂として引き継がれ、こちらに天福元(1233)年に仏師康勝によって弘法大師像が安置され、毎月21日の「弘法市」に代表されるように、現在まで弘法信仰の拠り所となっています。

 後編では東寺から出発して九条通を西へ。いよいよこのシリーズも次回で最後になります。

堂内の北には弘法大師像、南には不動明王(非公開)が祀られている
堂内の北には弘法大師像、南には不動明王(非公開)が祀られている

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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