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大河ドラマ「どうする家康」で注目!徳川家康ゆかりの「京の冬の旅」へ その①

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
世継地蔵の名で親しまれる上徳寺の入口

 まずは京阪電車の清水五条駅からスタート。地上にあがると五条大橋の東詰となり、ここを渡って東へ。この著名な橋は、平安京造営当時は現在の場所ではなく、一本北側(現在の松原橋あたり)に架かっていた。

 天正18(1590)年に方広寺大仏殿の造営に当たって、豊臣秀吉の命により、三条大橋とともに増田長盛が奉行となり、石柱の橋として建立された。その際に、名前を「五条大橋」としたため、旧五条大橋は「松原橋」と改名し、それに続く旧五条通も松原通へと改名することとなった。

 余談だが五条大橋の擬宝珠は、南側も北側も西から二つ目が最も古く、正保2(1645)年の銘が入っているのでよかったら見てみてほしい。

他には昭和、明治と各時代の擬宝珠が並ぶ
他には昭和、明治と各時代の擬宝珠が並ぶ

 五条大橋の南西部は六条河原院跡とされ、かつては嵯峨天皇の12番目の皇子であった源融の邸宅があった場所と伝わる。左大臣にまで出世して栄華を極めた源融は、瀬戸内海から海水を運んで庭園の池の水に使い、塩焼きを楽しんだという逸話も残る。そのため、このあたりは本塩竃町という地名となっている。

 五条河原町の交差点を一筋西へ進むと、南東角に本覚寺があり、源融の木像を安置している。さらに本覚寺の斜め前に位置するのが今回「京の冬の旅」で特別公開中の上徳寺だ。

 上徳寺は、慶長8(1603)年に徳川家康の帰依を得て伝誉一阿が開創。家康側室である阿茶の局が開基となっており、墓地に阿茶の局の墓もある。天明(1788)、元治(1864)の大火で焼失したため、現在の本堂は明治期に永観堂の祖師堂を移築したもの。境内の世継地蔵に祈願すると、良い世継が授かると、子授け、安産の信仰を集めてきた。

 今回の「京の冬の旅」では、非公開の本堂内部に上がり、家康二代将軍・秀忠、阿茶局の肖像画など寺宝の特別展示を見ることができた。本尊の阿弥陀如来は東京へ出張中で、写真のみの展示だが、快慶作と伝わる優品だ。

本堂内の掛け軸。中央が阿茶の局像、向かって右に徳川家康像、左に徳川秀忠像を見ることができる
本堂内の掛け軸。中央が阿茶の局像、向かって右に徳川家康像、左に徳川秀忠像を見ることができる

 また貴族の邸宅から移築されたと伝わる書院造の客殿は、紅葉や桜を描いた江戸後期の円山派の絵師による襖絵や枯山水庭園が見所。円山応挙自身の絵も間近で見ることができた。

円山応挙の作品。周辺の襖絵もすべて円山派によるもの
円山応挙の作品。周辺の襖絵もすべて円山派によるもの

 さらに今回は特別に地蔵堂の内部に入って間近で世継地蔵尊に参拝することができ、その石に刻まれた地蔵尊の大きさに圧倒された。通常期は外部からの参拝で、地蔵尊のお顔を見ることは難しいので、とても貴重な経験だった。

貴重な地蔵堂内部の写真。地蔵尊は横からも拝観できる
貴重な地蔵堂内部の写真。地蔵尊は横からも拝観できる

 特筆すべきは奉納された絵馬を除き、すべて写真撮影OKということ。この機会にぜひ参拝してみてほしい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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