伏見の新春恒例行事!「伏見五福めぐり」で五ヵ所の社寺を参拝
伏見エリアの5社寺を巡拝する「伏見五福めぐり」は、昭和60(1985)年に始まった行事で、毎年1月1日~15日の間に行われる。
ご朱印の台紙が年ごとに変わり、その年の干支の動物をモデルにした愛らしい絵が人気を呼んでいるが、今年は1月5日で台紙は完売。例年にも増して参拝者が多かった。
それぞれのご利益は以下の通り。
1番 藤森神社 「勝運・開運」
2番 乃木神社 「文武両道・子供守護」
3番 御香宮神社 「安産・開運・厄除」
4番 長建寺 「開運・商売繁盛・諸芸上達」
5番 大黒寺 「出世・開運・金運」
回り方に決まりはないため、効率よく回れるルートを紹介したい。出発は近鉄電車の桃山御陵前駅から。駅前の通りである大手筋通は、かつての伏見城の大手門から続いてきた道。大きな御香宮神社の鳥居をくぐると左手に表門が見えてくる。
貞観4(862)年、境内から香りの良い水が湧き、その水を飲むと万病に効くという奇跡が起こったことにより、清和天皇より「御香宮」の名を賜った。本殿は慶長10(1605)年に徳川家康の寄進によって造営され、重要文化財に指定されている。参拝後は、社名の由来となった日本の名水百選にも選ばれている「御香水」で喉を潤したい。
続いて向かうのは乃木神社。大正5(1916)年に実業家として活躍した村野山人(むらのさんじん)が、明治天皇に殉死した陸軍大将・乃木希典を祀る為に創建した。
境内には、日露戦争の時に第三軍司令部で用いたという中国の民家が移され、乃木将軍の遺墨、遺品、ゆかりの人々の品などを陳列した宝物館、長府(山口県)にある将軍の生家を模した建物があり、乃木将軍が教育を受けている場面も再現されている。
このあとは、いったん南へ下って外環状線に出て、宇治川沿いを歩く。かつて北側の山手には豊臣秀吉が築城した初代の伏見城(指月伏見城)が威容を誇っていたはずだ。そんな秀吉が、月見に訪れたという逸話をもつ月橋院を横目に、観月橋(かつての豊後橋)を過ぎると、下町の風情が残るエリアを抜け、月桂冠大倉記念館に突き当たる。弁天橋を渡ると「島の弁天さん」と親しみを込めて呼ばれる長建寺に到着する。
長建寺は、元禄12(1699)年に創建された本尊が弁財天という珍しい寺院。本尊は非公開ながら、五福めぐりの時期は本堂の扉が開いており、中を拝むことができる。境内には伏見の名水に挙げられている「閼伽水(あかすい)」が湧く。また佐野籐右衛門氏の桜を中心に、春には桜の名所となることも挙げておきたい。
ここからは大黒寺を目指して北上する。途中、竜馬通り商店街、風呂屋町商店街が続き、途切れたところを東に入り、一筋目を北上すると大黒寺に到着する。
元和元(1615)年に薩摩藩の島津義弘が守り本尊にしていた「出世大黒天」があることを知って薩摩藩の祈願所とし、寺名となった。こちらもこの時期のみ本堂の扉が開いている。「寺田屋騒動」で亡くなった薩摩藩九烈士の墓があり、薩摩藩邸が近くにあったことから、西郷隆盛や大久保利通が密談したという部屋も残されている。境内では「金運清水」が湧き出しており、飲むと金運のご利益があるとされる。
ここまできたら東向かいの金札宮にも参拝しておきたい。天平勝宝2(750)年に創建されたと伝わる古社で、金の札が降り、永く伏見に住んで国土を守らん、という誓いが書いてあったという伝承を持つ。境内のクロガネモチの木が見事で、雌雄異株あるうちこちらは雌木。冬のこの時期には、枝先に可憐な赤い実を多くつけている。
大黒寺から東へ進み、最後の藤森神社へは京阪電車で丹波橋駅から墨染駅まで一駅移動したい。墨染駅の前は墨染街道が通っている。東すぐの「墨染」の交差点は、南北に大和街道が走り、北へ進むと最後の札所である藤森神社が見えてくる。
藤森神社は伝説では、神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋めてお祀りしたのが始まりとされる。皇室や武家から庶民まで崇敬があつく、勝運と馬の神社として人気だ。境内には2ヵ所の紫陽花苑があり、延べ1500坪の苑内には3500株の紫陽花が咲き誇る。
紹介したのは3時間の周遊コース、「伏見五福めぐり」は15日まで開催しているのでぜひ訪ねてみてほしい。