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今年の京都の「十日ゑびす」のお勧め散策ルート

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
今年も始まった「十日ゑびす」 (※以下の写真もすべて著者が撮影)

 いよいよ本日10日、京都ゑびす神社では「十日ゑびす」という最大の行事を迎える。最寄り駅である京阪電車の祇園四条駅から行くのではなく、ゴール地点を「十日ゑびす」にして、京都ならではの史跡に彩られた散策コースを紹介しよう。

 出発は地下鉄四条駅南改札口からスタート。5番出口を上がって南へ下り、高辻通を越えると左手に因幡薬師(平等寺)が見えてくる。ガン封じのお薬師さんで知られ、洛陽三十三ヵ所観音霊場めぐりの札所でもある。

この通りが不明門通という。因幡薬師の場所は創建以来一度も動いていない。
この通りが不明門通という。因幡薬師の場所は創建以来一度も動いていない。

 この寺院続く道は不明門通と書いて「あけずどおり」と読む。平安末期に高倉天皇の御所が寺院の南にあり、寺の門が恐れ多くてずっと閉まったままであったことに由来する通り名だ。

 そこから松原通を東へ、さらに間之町通を北へ向かうと左手に花咲稲荷神社が鎮座する。これは松永貞徳の邸宅にあった鎮守社が残った貴重なもの。さらに北の高辻通に出ると佛光寺が目に飛び込んでくるので、ここでトイレ休憩がてら一休みしていってもいい。

 境内ではD&DEPARTMENTが寺院にマッチした雰囲気のショップやレストランを経営している。またこちらはご朱印ならぬ独特の「法語印」が人気だ。

今年バージョンが早速お目見え
今年バージョンが早速お目見え

 その後は高辻通から堺町通を下ル(南へ行く)と右側の民家の前には夕顔の墓の石碑が。『源氏物語』のヒロインの一人である夕顔が、このあたりに住んでいたことから墓が造られ、町名まで夕顔町となったのが京都らしい。

 

 さらに松原通を越えて下ルと右側の路地の入口に鉄輪の井戸の石碑が建つ。路地の奥には井戸があり、かつて出て行った旦那を恨んで貴船の丑の刻参りを行って、この井戸の前で息絶えた女性の話が残っている。

 以来、この井戸の水を別れたい相手に飲ませると縁が切れるとか。京都に伝わる怖い伝説のひとつだ。もちろん今、井戸水は枯れている。

今はペットボトルの水を持参する参拝者もいるとか。
今はペットボトルの水を持参する参拝者もいるとか。

 松原通に戻って東へ。麩屋町通の角に建つのが明王院不動寺空海が刻んだという石造のお不動さんを祀り、「南岩倉」と呼ばれている。

 寺院の前の掲示板に、昭和30年まで祇園祭の山鉾が巡行していた頃の写真があるのも興味深い。

 かつての五条大橋であった松原橋を渡って花街の宮川町を越えてすすむと、六道の辻に出る。

 この松原通は清水寺へ続く道であるとともに、鳥辺野という葬送地への道でもあった。そのため、あの世とこの世の境目の六道への辻があり、この辻には地獄絵を所蔵して六道まいり(8/7~8/10)の時期に公開する西福寺がある。

 その門前にあるのが有名な幽霊子育て飴だ。そこから北へ向かうと建仁寺に突き当たる。

西福寺と六道の辻。南側には六波羅蜜寺がある。
西福寺と六道の辻。南側には六波羅蜜寺がある。

 今年のお目当ては塔頭寺院の一つである両足院の毘沙門堂だ。寅年の今年、毘沙門天を本尊とする寺院の多くは、本尊を虎が守っているはずなので、12年の一度の賑わいが予想される。

 京都では鞍馬寺が知られているが、アクセス面からするとこの両足院が最も便利だ。こちらの不動明王は黒田家から贈られてたもので、かつて黒田長政が内兜に忍ばせて戦場に出たという逸話をもつ。

人気の寅みくじは、1月8日には既に売り切れていた。
人気の寅みくじは、1月8日には既に売り切れていた。

 最後に建仁寺の西側を南北に走る大和大路通は、1月12日まで京都ゑびす神社の「十日ゑびす」で賑わっている。ぜひ笹を買って商売繁盛の祈願をして帰りたい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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