NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!天下分け目の「天王山」の登り方と見所

天王山の登口、徒歩約50分ほどで山頂に到達できる(以下の写真も全て著者が撮影)

 スタートはJR「山崎駅」、もしくは阪急「大山崎駅」、どちらもJRの踏切を越えた場所にある登山口には5分少々で到着する。

 そこから急な坂を登ること7、8分で到着する「宝寺」と呼ばれる宝積寺は、山崎合戦で秀吉の本陣が置かれた場所とされ、秀吉の「出世石」もあり、大黒天の信仰も集めている。

本尊の十一面観音は重要文化財指定
本尊の十一面観音は重要文化財指定

秀吉が本陣としたことから、このような石も残っている
秀吉が本陣としたことから、このような石も残っている

 さらに境内に建つ三重塔は秀吉が一晩で造ったという、秀吉らしい逸話があるのも面白い。トイレはこの寺院の観光トイレを過ぎるとないのでここで済ませておこう。

 宝積寺の裏側から本格的な登山道となっており、15分程で旗立松に到着。こちらは秀吉が自らの旗を立てて威勢を示したとされる松が守り伝えられており、現在は7代目と言われている。木津川、宇治川、桂川の三川合流地点を見下ろせる展望台も設置してあり、まさに山崎合戦の古戦場を一目で見渡すことが可能だ。

まさに眼下が山崎合戦の古戦場、奥に光秀軍、手前に秀吉軍が布陣した
まさに眼下が山崎合戦の古戦場、奥に光秀軍、手前に秀吉軍が布陣した

現在の旗立松。合戦当時天王山には秀吉軍の黒田官兵衛と羽柴秀長が陣を置いた
現在の旗立松。合戦当時天王山には秀吉軍の黒田官兵衛と羽柴秀長が陣を置いた

 裏側には秀吉の活躍を描いたパネル展示があり、山崎合戦の両軍の布陣が臨場感たっぷりに描かれている。その後、鳥居をくぐると左にそれてすぐに十七烈士の墓が現れる。こちらは幕末の「禁門の変」で敗退した長州軍が立て籠もり、リーダーの真木和泉ら17人が自害した場所と伝えられ、一人一人の名前が刻まれた墓石が整然と並んでいる。

長州軍の17人は、ここまで追い詰めてきた新選組も驚くほどの壮絶な最期を遂げたという
長州軍の17人は、ここまで追い詰めてきた新選組も驚くほどの壮絶な最期を遂げたという

 墓を過ぎると3分ほどで天王山の名前の由来となった牛頭天王を祀る酒解神社に到着。社務所もなく、ひっそりと静まりかえっているが、この山を守る神でもあるのでここはしっかりと手を合わせたい。

 いよいよ5分程で天王山山頂に到着。標高270メートルの三角点付近は、広く切り開かれた平地が重なっており、ここに山城があったことがはっきりと実感できる。その平地の一部には、古井戸も現存しているから驚きだ。

周辺には石垣の跡であろうと推測される石組や礎石が点在する
周辺には石垣の跡であろうと推測される石組や礎石が点在する

井戸の中は埋められていて当時の深さは不明、おそらく雨水を貯めていたと推測される
井戸の中は埋められていて当時の深さは不明、おそらく雨水を貯めていたと推測される

 秀吉はこの戦いに勝利した後に、こちらを陣城から本格的にな城郭に仕上げて、しばらくこの城を拠点に天下の趨勢を睨んだため、こちらは一時は日本の歴史の中心になったともいえる。大坂城築城の際に廃城となったが、現在もここに立って見渡すと、悠久の歴史ロマンに浸ることができる。

 帰りは旗立松まで戻ると、別の下りのルートがあり、15分ほどで観音寺に到着する。こちらは大聖歓喜天が信仰を集めていることから、「山崎聖天」の名で親しまれている。山の斜面に沿うように境内があり、山麓までの参道が急な下り坂になっている箇所もあるので注意が必要だ。

山の斜面を背にして本堂(向かって右)と聖天堂(向かって左)がある
山の斜面を背にして本堂(向かって右)と聖天堂(向かって左)がある

この参道は相当急だが、山門を経由する正面の参道はもう少し緩やかだ
この参道は相当急だが、山門を経由する正面の参道はもう少し緩やかだ

 山を下りると、JRと阪急の高架を越えて、西国街道に出ることができる。最後は西国街道沿いに建っている大山崎町歴史資料館で、中世は油座の拠点として栄えたこの町の歴史を振り返ってみよう。

館内は入館料200円、千利休作の国宝待庵の復元なども見ることができる
館内は入館料200円、千利休作の国宝待庵の復元なども見ることができる

 資料館から阪急大山崎駅までは徒歩すぐ、JR山崎駅までも5分少々で着くことができる。気軽に登れてこれだけの歴史を体感できる天王山。ぜひこの機会に登ってみることをお勧めしたい。