琳派400年の今年、必見の寺院とは

通りの名の由来となった知る人ぞ知る頂妙寺の仁王門

そもそも琳派とは何か。

江戸時代を通じて栄えた装飾画の流派で、江戸初期の俵屋宗達が創始し、中期の尾形光琳が大成したものとされている。さらに彼らと関係の深い本阿弥光悦、尾形乾山らの工芸を含めて扱う場合もある。かつては「宗達光琳派(そうたつこうりんは)」とも呼ばれる絵師の系譜であり、1960年代以降に尾形光琳の「琳」から「琳派」という名が定着した。狩野派・土佐派のような幕府や宮廷の御用絵師ではなく、また組織や世襲の制度をもたず、主として私淑・影響関係によって画系が成立していることが最大の特徴といえる。日本の美術の伝統が持つ装飾美・意匠美を近世の新しい感覚で追求し、その芸術は公家、大名、町衆の諸層に受け入れられて発展を遂げ、また近代の日本画・工芸意匠の世界にも少なからぬ影響を与えているのだ。

京都における琳派は本阿弥光悦と俵屋宗達、そして尾形光琳の3人が深く関わっている。

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菩提寺はそれぞれ光悦が本法寺、宗達が頂妙寺、光琳が妙顕寺であり、本法寺と妙顕寺は今まで拝観が可能であったが、宗達の菩提寺の頂妙寺は今回が初めての公開ということで話題を集めた。知名度も頂妙寺は、京阪電車の三条駅から徒歩5分ほどの好立地にも関わらずほとんど知られておらず、境内の仁王門が信仰されていたことから門前の通りが仁王門通となっていることすら知る人は少ない。この仁王門は伝運慶作とされる毘沙門天と持国天が祀られており、本来は二天門とも呼ばれる形である。通常時期にも門は拝観できるが、中は暗くてよくわからない。しかしありがたいことに、この時期は特別にライトアップされているので大変見やすくなっている。門の上部には豊臣秀吉の命によって発行された日蓮宗布教の許可状が堂々と掲げられており、東山天皇(1675~1710)の勅額である「聞法山」の文字も見える。さらに墓地には伝俵屋宗達の墓(写真左上)があり、こちらもこの時期のみ看板が出てて、お参りしやすくなっている。

日蓮宗の本堂は通常どの寺院も非公開であるが、頂妙寺ではこの時期特別に拝観できる。寺宝はなんといっても宗達の「牛図」である。有名な国宝・風神雷神図屏風にも見られる「たらしこみ」の技法が用いられ、意図的に作った墨のにじみによって、筋骨たくましい牛の身体を表現している。天才画家・俵屋宗達の一端を垣間見ることができる貴重な作品だ。この時期(1月10日(土)~3月18日(水))を逃すと次はいつ拝観できるかわからないので、まだ拝観されておられない方はぜひお薦めしたい。

合わせて周辺をぶらりと歩くのも面白い。

この界隈は、北は二条通、南は三条通、西は川端通、東は東大路通周辺の限られた場所に55の寺院が密集している京都でも有数エリアである。さらにそのエリアを走る道が、新丸太町通、新富小路通、新柳馬場通など市内中心部の道から名前が取られており、この地域に移り住んだ人々の思い入れを感じることができる。良く知られている寺町通、寺之内通界隈だけではないこの見事な寺院街。頂妙寺まできたらぜひ歩いてみたい。ちなみにその中に、頂妙寺だけでなく要法寺、妙傳寺と同じく日蓮宗の大本山が合わせて3つも含まれているのがさらに驚きである。

仁王門通の案内板
仁王門通の案内板
寺院街の一部 両側に多くの寺院が連なっている
寺院街の一部 両側に多くの寺院が連なっている