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なぜ朝乃山が初優勝したのか? なぜ、横綱・大関は優勝できなくなったのか? 本当の理由とは?

山田順作家、ジャーナリスト
「トランプ杯」を手にしたのは平幕の朝乃山だった(写真:ロイター/アフロ)

 5月26日に幕を閉じた「大相撲トランプ場所」(5月場所)は、なんと平幕、西前頭8枚目の朝乃山が初優勝を飾った。三役経験がない力士が優勝したのは佐田の山(後の横綱)以来、58年ぶり。どのスポーツメディアも新ヒーロー誕生に、「新時代到来」と、その快挙を褒め讃えた。

 しかし、これは「快挙」ではあるが、スポーツメディアが伝えようとしない別の理由がある。それは、ここのところ、土俵から「注射」「人情相撲」が減り「ガチンコ」全盛になってしまったということだ。

 

 そこで、思い起こしてほしいのは、先場所の白鵬の復活全勝優勝以外、ここのところ、大関以下の「初優勝」が続いていること。昨年の秋場所は、小結・貴景勝、今年の初場所は関脇・玉鷲の34歳2カ月での初優勝があった。さらに、さかのぼれば、昨年の1月場所は当時平幕だった栃ノ心が初優勝し、7月場所は関脇・御嶽海が初優勝している。

 これほど、横綱・大関以外の力士の初優勝が繰り返されたことは、かつてなかった。いつの間にか土俵の秩序は崩れ、「戦国時代」に突入してしまっている。

 つまり、「互助会」がなくなり、注射相撲、人情相撲がなくなったことで、番付下位の力士が実力で優勝できるようになったわけだ。

 注射が減りガチンコが増えたことは、記録を取ってみるとよくわかる。

 かつてアメリカの経済学者スティーヴン・レヴィットとスティーヴン・ダブナーは、著書『ヤバい経済学』のなかで、1989年1月から2000年1月までの大相撲のデータを分析したところ、千秋楽の7勝7敗力士の8勝6敗の力士に対する勝率が79.6%だったと指摘。単純な確率論では勝率は48.7%になるはずなので、相撲の勝敗にはなんらかの人為的な要素(注射)があると主張した。

 そこで、ここで当時といまで8勝7敗力士が、1場所でどのくらい誕生したかを比較してみたい。というのは、人為的な要素があるなら、千秋楽前まで7勝7敗できた力士はほぼ勝ち越すからだ。

 

8勝7敗力士数の比較:1998年と2019年

           1998年      2018年

1月(初場所)      5人        8人

3月(春場所)      12人        4人

5月(夏場所)      11人        9人

7月(名古屋場所)    7人        8人

9月(秋場所)      12人        9人

11月(九州場所)    11人       5人

   計         58人       40人

 1998年といえば、注射全盛時代である。よって、この年の3月場所では、なんと8勝7敗力士が12人も誕生している。ところが、2018年を見ると、どの場所も10人以下となっている。実力で8勝7敗を勝ち取るのは、これくらいの数が普通と考えていいだろう。

 ガチンコが増えたことは、負傷・休場力士数の増加にも表れている。ガチンコ一筋の稀勢の里は、そのため、横綱昇進後のほとんどの場所を休場を余儀なくされた。

 以下が昨年1年間の場所ごとの幕内の休場(途中休場&出場も含む)力士数である。

 2018年1月(初場所)6人、3月(春場所)6人、5月(夏場所)5人、7月(名古屋場所)6人、9月(秋場所)2人、11月(九州場所)5人

 ご覧のように、1場所平均5人以上の幕内力士が休場している。これは、かつてはほとんどなかったことだ。ちなみに、9月場所が2人と少ないのは、稀勢の里が4場所ぶりに出場したからである。今場所も、白鵬は出られず、貴景勝が中日前に負傷休場、逸ノ城、魁聖が途中休場した。また、栃ノ心も痛めていた足を再び痛めながら、なんとか大関復帰を果たしている。

 じつは大相撲の歴史のなかで、ガチンコ場所は何度か存在する。八百長が発覚したときは協会が慌てふためいて、綱紀粛正を図るので、注射と無気力相撲は一時的になくなるからだ。

 そんななか、いまでも語り継がれるのが1972年の1月場所だ。

 この場所は、場所前から相撲に対する世間とマスコミの批判が高まり、当時の武蔵川理事長は「相撲競技監察委員会」を設置し、無気力相撲をなくす方針を打ち出した。そして、なんとこの監察委員会が、国技館の2階席に陣取り、土俵を監視したのである。

 前年、大横綱だった大鵬が引退した。そして、大鵬の弟弟子だった横綱・玉の海が10月に27歳の若さで急死した。そんななか、ひとり横綱となった北の富士に、暴力団からのぼりと懸賞金を受け取ったという疑惑が発覚。さらに大関の大麒麟も収監中の暴力団組員との面会が発覚し、角界の「黒い交際」が問題視された。そして、名古屋場所でカド番だった琴櫻が大麒麟に勝った一番が八百長だと騒がれたのである。

 武蔵川理事長は、土俵の監視以外にも八百長撲滅のための方策を取った。その一つが、場所前半は番付上位陣を対戦させる。そして、後半は成績のよい者同士をぶつけるというもの。これは、明治43年にも、同じように八百長問題が騒がれたことがあり、そのときは初日から上位陣同士の取り組みが組まれたので、これを復活させたのだった。

 では、その結果、なにが起こったか?

 戦前予想は、2連覇中のひとり横綱・北の富士が大本命だったが、北の富士はなんと序盤から星を落とし続けた。そして、13日目に6敗目を記録すると、横綱の権威が守れないと休場してしまった。

 上位陣も軒並み星を落とし続けた。張出大関の前の山は5日目から休場、琴櫻、長谷川も不振。

 その結果、小結の輪島、前頭3枚目の福の花、前頭8枚目の吉王山、前頭10枚目の若二瀬が千秋楽に10勝5敗で並ぶことになった。

 ちなみに、このとき幕尻にいた後の大横綱・北の湖は5勝10敗で十両に陥落。後の理事長・放駒親方(魁傑)は前頭5枚目で、7勝8敗で負け越している。人気力士では初代の貴ノ花、高見山も6勝9敗だった。

 このとき、千秋楽まで4敗できていたのが前頭4枚目の栃東(現・玉ノ井親方の父)だった。栃東は千秋楽で大関・清国と対戦し、これに勝って初優勝を遂げた。もし、ここで負けていたら、10勝5敗力士が8人にもなり、8人で優勝決定戦という前代未聞の出来事になるところだった。平幕力士の優勝は、当時としては23年ぶり。11勝での優勝は史上最低の勝ち星(その後1996年に武蔵丸、2017年に日馬富士が記録)というのが、1972年初場所だった。

 これでわかるように、15日間「ガチンコ」でやれば、横綱、大関中心の土俵の秩序は崩れ、なにが起こるかわからないということ。もうひとつは、ケガ人が続出するということだ。

 したがって、これ以後、ガチンコ場所は2011年の八百長発覚まで組まれず、翌場所からは「公傷制度」が導入された。公傷制度は本場所中にケガで翌場所休場を余儀なくされた場合、番付は変動しないというもの。ただし、この制度は2004年に廃止された。

 スポーツメディアが言うように、たしかに大相撲は「新時代」を迎えた。朝乃山の初優勝は賞賛に値する。

 しかし、このままガチンコ場所が続いていくと、また、横綱、大関がほぼ休場という事態が起こる可能性がある。実際、2017年9月場所で3横綱2大関の5人が休場という事態が起こっている。さらに、相撲自体が、巨体の肉弾戦、サバイバル合戦になってしまう可能性がある。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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