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【シリーズ救急の日】ドラマみたい?救急医とはどんな仕事をしているのか

薬師寺泰匡救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長
救急医は外科医?内科医?(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

救急の日

9月9日は救急の日です。救急の日から1週間は「救急医療週間」として、日本全国で救急に関する様々な行事が実施されています。この機会に、シリーズで救急医療の話をしています。今回は第3回。救急医について考えてみます。

救急医とは

救急医といえば、ドラマ「コード・ブルー」の世界を思い浮かべられるかもしれません。懐かしいところだと、ドラマ「救命病棟24時」でしょうか。米国のドラマでいうと、「ER」が有名です。実は、これらのドラマで描かれている救急医の姿は、全て異なっています。とても同じ職種とは思えないです。これには、時代と共に救急医療が変わって来ているという背景や、国ごとに救急医の担う仕事が異なっているという背景があります。それでは、日本の救急医療と、救急医のあゆみをみていきましょう。これらのドラマがより楽しめるかもしれませんよ。

日本の救急医療体制

日本の救急医療は次の表の様な医療機関から成っています。

日本の救急医療体制(日救急医会誌 2000;11:311-22を元に著者作成)
日本の救急医療体制(日救急医会誌 2000;11:311-22を元に著者作成)

日本では、これら全ての救急医療機関に救急医がいるかといったらそういうわけではなく、他の診療科の医師と共に救急診療を行っていたり、もしくは他の診療科の医師のみが通常業務の合間に救急医療を行っているという状況です。それもそのはず、救急専従で働く医師の数自体が少なく、救急科専門医として認定されている医師は最近5,000人を超えたばかりというところです。ドラマ「ER」で描かれている米国では、10倍近い救急専門医がおり、救急車や独歩受診などの交通手段によらず、救急外来を受診したら救急医が診察することになっています。1973年に救急医療システム法ができ、その様な体制を構築したのです。日本の救急医療はどの様に発展してきたのか、そして救急医はどんな存在なのか、歴史を振り返ってみましょう。

日本の救急医療の歴史

日本の救急医療の歴史(日救急医会誌 2000;11:311-22を元に著者作成)
日本の救急医療の歴史(日救急医会誌 2000;11:311-22を元に著者作成)

日本の救急医療体制の歴史は昭和6年(1931年)まで遡ります。日本で初めての救急車が配備された記念すべき年です。この時は、行政の組織ではなく、日本赤十字社大阪支部、つまり民間組織に救急車が配備されています。消防機関に初めて救急車が配備されたのが昭和8年(1933年)で、横浜市山下町消防署(現・横浜市消防局中消防署山下町出張所)が管轄することになりました。当時、消防は警察の一部でしたが、昭和23年(1948年)に消防と警察が分離され、この年に「災害により生じた傷病者の搬送」が消防法に規定されました。その後、昭和38年(1963年)に消防法が改正され、傷病者の搬送が救急業務として市町村に義務付けられました。まさに日本の救急医療体制の夜明けです。この頃は交通事故の増加を受け、外傷患者を中心に、迅速に適切な医療機関に搬送することを主眼に制度が構築されます。搬送する体制とともに受け入れ医療機関も整えられ、昭和39年(1964年)に厚生省令により救急告示医療機関の制度が導入されました。この時、救急告示医療機関の申請を募集し、全国各地の外科系の医療機関が応募しました。結果として、日本の救急告示医療機関は民間の外科系医療機関が多くを占めることになります。

交通外傷では、損傷部位が多岐に渡ります。頭部、四肢、臓器など、様々な部位の損傷を合併していると、複数科の介入が必要になることも稀ではありません。中小の救急告示医療機関だけでは対応できませんので、大学病院を中心に、重症外傷や様々な診療科の同時介入が必要な重症救急疾患への集中的な対応を目指す動きも出てきました。そして複数診療科で救命治療をしていくノウハウが築かれ、高度救命に特化した救命救急センターが各地に作られていくきっかけとなりました。救急といえば24時間365日の外傷診療というイメージは、こうした歴史から根付いたものと思われます。

救急医療が外傷診療に対応していく一方で、社会では核家族化が進み、子供の数も増えていきます。すると、内科、小児科の急病患者も増えていきました。多数の内科・小児科の救急患者を、外科系の病院や高度救命に特化した大病院で対応するのは難しい状況となり、「受け入れ病院が見つからない」という、現代でもよく問題になる現象が起こり始めます。これを打破するために、昭和52年(1977年)に、内科系救急も含めた救急医療体制の整備を目的に、当時の厚労省が「初期救急医療機関」「二次救急医療機関」「三次救急医療機関」の三つに分ける体制を導入しました。それから10年、昭和62年(1987年)に消防法が改正され、救急業務が小児科・内科系疾患の急病患者も搬送するということに変わりました。そして昭和64年(1989年)に日本救急医学会が、救急医療の知識や技術の体系化を目的に、独自に救急認定医制度をはじめました。どんな時でも当たり前のように来てくれる救急搬送の制度、日本の救急医療体制は、平成を目前にしてようやく完成系が見えて来ました。

救急救命士と救急医

平成3年(1991年)には、救急救命士制度が開始されました。もともと医師でない人は医療行為を行うことはできません。しかし、重症患者を搬送していく中で、救急隊が単なる運び屋の様な存在となることに社会も疑問の目を向けはじめたことや、搬送先の選定に難渋する間に何もすることができないといった現場の悩み、心肺停止患者の救命率が向上しないことを解決するために、病院前救護の歴史が始まったのです。その後、救急救命士の養成をしたり、市民による心肺蘇生の普及をしたり、さらに幅広い疾病・傷害に対応したりと、救急医療の幅が広がり、救急医療に携わる医師の教育を体系化する必要も出てきます。こうして平成16年に日本救急医学会の救急専門医の認定が開始されました。

今では、日本救急医学会の救急科専門医は、次の様に定められています

救急科専門医とは、2年間の初期臨床研修修了後、日本救急医学会の定めるカリキュラムに従い3年以上の専門研修を修め、資格試験に合格した医師です。

救急科専門医は、病気、けが、やけどや中毒などによる急病の方を診療科に関係なく診療し、特に重症な場合に救命救急処置、集中治療を行うことを専門とします。病気やけがの種類、治療の経過に応じて、適切な診療科と連携して診療に当たります。

更に、救急医療の知識と技能を生かし、救急医療制度、メディカルコントロール体制や災害医療に指導的立場を発揮します。

出典:日本救急医学会HP

当初、日本救急医学会が救急を専門にする医師の必要性を国に説いても、「医師は誰でも急患を診療する立場にあるから、あえて救急診療科標榜の必要性はない 」とつっぱねられていましたが、ついに平成20年(2008年)に、救急科が診療科として厚生労働省に認められることとなります。最近は何科の医師かと尋ねられ「救急科」と答えた時に、「それは外科なの?内科なの?」と聞かれることも珍しくなりました。医師は誰でも急患を診療する立場にあるのかもしれませんが、個人的には、さらなる診療の質向上に寄与したり、知識や技術を広めたり、生命維持が困難と思われる方の救命をしたり、緊急の受診先や救急搬送先に難渋する様な人を積極的に受け入れたりする体制を構築することにやりがいを見出しています。現在、救急科専門医は三次救急医療機関や大学病院を中心に所属していますが、初期救急医療機関や二次救急医療機関、またこれらの区別をすることなく全ての救急患者の診療を行う、いわゆる北米型ERのような医療機関に救急医が増えることで、より日本の救急医療は拡充されていくことと思います。

救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長

やくしじひろまさ/Yakushiji Hiromasa。救急科専門医。空気と水と米と酒と魚がおいしい富山で医学を学び、岸和田徳洲会病院、福岡徳洲会病院で救急医療に従事。2020年から家業の病院に勤務しつつ、岡山大学病院高度救命救急センターで救急医療にのめり込んでいる。ER診療全般、特に敗血症(感染症)、中毒、血管性浮腫の診療が得意。著書に「やっくん先生の そこが知りたかった中毒診療(金芳堂)」、「@ER×ICU めざせギラギラ救急医(日本医事新報社)」など。※記事は個人としての発信であり、組織の意見を代表するものではありません。

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