Yahoo!ニュース

ごく少量で死に至るタリウム

薬師寺泰匡救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長
(写真:イメージマート)

昨年10月、京都の大学生がタリウムにより死に至らしめられた事件で進展があり、ニュースになっています。2005年にも女子高校生が母親をタリウムで毒殺しようとした事件があり、これは後に映画化もされています(「タリウム少女の毒殺日記」)。

タリウムは聞きなれない物質だと思います。中毒症状で搬送される人もあまりいません。実際にどんな中毒症状を起こすのかは医療従事者でも知らない方が自然です。危険な物質であることは確かですし、今回は社会で購入規制をしていかなくてはならない背景をお伝えします。

タリウムとは?

タリウム(元素記号Tl、原子番号81、原子量 204.3833)は、1861年にイギリスの物理学者/化学者のW.クルックスにより発見された元素です。

ドイツのハルツ地方の硫酸工場の鉛室沈殿中から分光分析により発見されました。鉛室はかつての硫酸製造法です。要するに、硫酸を作っている最中に沈殿物を分光分析したら新しい物質を発見したということです。スペクトル線が若葉を思わせる黄緑色であったことから,ギリシア語の若葉に相当する「タロス(thallos)」にちなんで命名されました。

タリウムは何に使うのか?

タリウムは自然界にはあまり存在していないので、精製しなくてはなりません。昔はこれを梅毒や結核の治療に使用していましたが、中毒症状が頻発するので使われなくなったという経緯があります。また、戦後すぐの頃は脱毛作用がもてはやされ、酢酸タリウム軟膏が使用されていたようですが、これも中毒患者の発生が見られたために使用されなくなりました。

最近では、硫酸タリウムが殺鼠剤として使用されていました。ただ誤食も多かったことから1973年にWHOから使用中止勧告が出され、以降は各国で使用禁止する動きが出て、本邦でも近年廃れております。産業分野では光学レンズや半導体に用いられている一方、あまり産業中毒の報告はないです。

タリウムの毒性

タリウムイオンは生体内ではカリウムと類似の挙動を示すと考えられています。神経、肝臓、心筋などの細胞膜やミトコンドリアなどのカリウム濃度の高い組織で、細胞へのカリウム取り込みに紛れ込んでタリウムが取り込まれます。つまりカリウムと競合して毒性作用を示すのです。医学的応用では、甲状腺や心筋シンチグラフィを行うのに放射性の塩化タリウム(201Tl)が使用されます。

カリウムの取り込み阻害の他、タリウムは他の重金属と同様にSH基をもつ酵素の機能を障害することも知られています。システインのタンパクおよびケラチンへの合成が障害されるため、脱毛の誘因になります。また、タリウムは細胞内のリボフラビン(ビタミンB2)と不溶性の化合物を作り機能を停止させるので、これが脱毛、神経炎、皮膚炎などの原因となると考えられています。

このように全身の組織に影響するので、様々な症状が出ることが予想されます。そしてやはり過去の報告も様々な症状を呈しています。初期には嘔吐下痢が出現し、消化管出血を起こすこともあります。四肢の痛みや脱力感を訴えるほか、運動失調構音障害視野狭窄記銘力障害を伴った症例報告もあります。さらに呼吸筋麻痺のために146日間の人工呼吸管理を要した症例も報告されています。致死量は10-15mg/kgで、1gにも満たない量で死にいたります

タリウム中毒の診断はかなり困難です。疑ったら尿検査が有用で、24時間尿中のタリウム濃度が5ng/mL以下(原子吸光分析)であれば正常とされています。疑わなければ診断はできませんし、症状が多岐に渡るので、対応に難渋します。服用直後であれば、プルシアンブルーでよく吸着できるほか、活性炭投与や尿排泄促進を目指した強制利尿などを考えます。ただし、プルシアンブルーなど病院においていません。臓器移行性が高く、時間がたってしまうとどうしようもできません。治療ができないという点、本当に厄介です。多くの国で使用が禁止されているのはそういうことです。きちんと管理できないのであれば、使ってはならない物質です。

【参考資料】

日本中毒情報センター「タリウムおよびタリウム化合物」

内藤裕史「中毒百科―事例・病態・治療」(南江堂、2001年)

Moore D, et al. Thallium poisoning. Diagnosis may be elusive but alopecia is the clue [published correction appears in BMJ 1993 Jun 12;306(6892);1603]. BMJ. 1993;306(6891):1527-1529.

救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長

やくしじひろまさ/Yakushiji Hiromasa。救急科専門医。空気と水と米と酒と魚がおいしい富山で医学を学び、岸和田徳洲会病院、福岡徳洲会病院で救急医療に従事。2020年から家業の病院に勤務しつつ、岡山大学病院高度救命救急センターで救急医療にのめり込んでいる。ER診療全般、特に敗血症(感染症)、中毒、血管性浮腫の診療が得意。著書に「やっくん先生の そこが知りたかった中毒診療(金芳堂)」、「@ER×ICU めざせギラギラ救急医(日本医事新報社)」など。※記事は個人としての発信であり、組織の意見を代表するものではありません。

薬師寺泰匡の最近の記事