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オンライン授業の是非を問う(3)大学の対応と学びの保障

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
(写真:アフロ)

新型コロナウィルスによる臨時休校要請の影響で、教育業界は変化を余儀なくされている。今までのシリーズでは「(1)学校現場の葛藤と最前線」「(2)学習塾業界の混乱と挑戦」と題して、いち早く具体的な対策を講じている組織を紹介し、同時に起こっている問題を指摘した。今回は、最も改革しやすいのではないかと言われている大学現場の現状を取材した。

「三密回避」と「学びの保障」の両立

「三密の回避と学びの保障とのバランスに苦慮している」というのは、滋賀大学教授の加納圭氏(教育学)だ。三密を回避するための選択としてオンラインを選ぶ大学が大半である。しかし、学校側が舵を切ったとしても教員や学生に戸惑いはある。一般に国立大学では一人ひとりの独立性が強い傾向があり、学校全体がまとまって動くのは難しい。その中でどのような対応がなされているのだろうか。

「実際、三密の回避には成功しています。デバイスや通信環境の問題で来校する学生もいますが、教室を一人で独占できるレベルで密を避けられています」。「三密回避」という課題については、多くの学校がクリアーできているという。しかし、大学に所属する目的は当然のことながら三密回避ではない。大学に限らずすべての教育機関における最大の課題は三密回避と並行した「学びの保障」にある。加納氏によれば、うまく行っている部分もあれば、難しい部分もあるという。

「オンデマンド型であろうと同時双方向型であろうと、うまくそれらの型に向いた問い・コンテンツを提供している場合は比較的うまく行っています。いずれの型においても『問い』や『発問』が教員不在でも理解可能なかたちで提示され、かつ自発的な学修を促せるような思わず取り組みたくなるようなものになっていることが肝要です。その上で、『問い』『発問』に取り組むための小ステップをコンテンツとして提供できているかがポイントになるでしょう。また、学生同士のインタラクションがデザインできれば尚よいですね。一方で、オンラインでの学びに向かない問い・コンテンツを提供している場合はうまく行っていないですね」。

当然のことながら、教員や学生の「慣れ」によるパフォーマンスの違いが大きいと加納氏は分析する。「慣れの部分は今後急速に改善されると思います。その上で、真に課題となりそうなのは、問い・コンテンツ・型のポートフォリオでしょう。授業内においてどのように問いを配置し、コンテンツを配置し、オンデマンド型と同時双方向型をどのバランスで利用していくのかが重要になってきます。さらに大局的にみれば、学生はカリキュラムとして複数の授業を受けている。カリキュラムレベルでのポートフォリオ(問い・コンテンツ・型のバランスや配置)を構築することが大学に課せられた使命と言えます」。

顔を見せない大学生と教員の対応力

「私立は経営者がしっかりしていれば動きやすいですが、教員が固定化しやすいという別の意味での保守性があります。私学は経営者の力量による差が大きく出てくるでしょう」というのは、神戸情報大学院大学学長の炭谷俊樹氏だ。同校ではオンライン化もスムーズに進み、対応はできているという。

「オンラインで対応できている要因は、一つは教員のモチベーションと対応力が高いこと、もう一つは学生の自律性が高いことですね。専門職大学院であるため、学生が強い目的意識を持ってきている。私のオンライン授業では全員無欠席。学生自身がものづくりをする研究活動はやや難易度が高いが、自宅に器具等を持ち帰って実施しています。IT系なのでソフトウェアと小規模のIoTデバイスが中心のため対応はしやすいです。研究設備が動かせない大学では難しいでしょうね」。

実際、理系の大学を中心に研究設備問題で頭を抱える教員は多い。「理系の方がオンラインに向いているのではないか?」という声もあるが、現場を覗いてみると事態は逆である。また、理系の教員であればICTに慣れているかというと、それもまた一概には言えない。

「技術系大学教員の中にも、Zoomなどのツールに対するアレルギーが相当強い人も結構います。皆が皆そうというわけではないですが、概して企業に勤めている人より大学の教員のほうが保守的で、やり方を変えることに抵抗がある人が多いと思います。うちの大学は企業から来る『実務家教員』が多いので、その点は助かっています」。

また、当然のことながらコロナ以前からICTを活用していた現場ほど、テキストの配布やレポートの提出などスムーズに対応できているが、やはり「授業」となるとそうも行かない。

「こちらが喋っているときの学生の反応が見づらいのがネックです。その理由は、学生がパケット節約のために、自分の画像をオフにするからです。対策としては、チャットを活用していますが、教室での授業よりも意見は出やすいですね。小グループでのディスカッションはZoomのブレークアウトルームでやっていますが、各部屋が密室になるので、教室でやっているときよりも話しやすいのか、議論はやや活発になっているように思います。全体としては学生はパケット量の問題を除いては、ネットには慣れているのでそれほど問題はなく、どちらかというとネックになるのは教員の対応力だと思います」。

オンライン授業のコストとメリット

秀明大学教授の田中元氏(生物無機化学、化学教育)は、大学による差異が大きいという。「秀明大学は学生の出欠を確実に把握することを必須の条件として、他はどこまでやるのかを講義担当者に任せています。非常勤講師を務める先のある大学では、原則パワポに音声を入れてそれを学生に公開することとしており、むしろそれ以上をしてくれるなという感触さえ受けました。スマホだけしか使えるネット環境をもたない学生でも受講に問題が生じないようにという配慮がその理由でした」と憤る。教員育成を担当する田中氏は、双方向性は必須だが、保守的な少数派の意見に阻まれていることが多いと指摘する。

「非常勤先の専門学校では、対面講義を続けるかオンライン講義に切り替えるかを選ぶように言ってきましたが、これ、一部の講義が対面として行われることになれば、学生たちを学校に集めることに変わりがなく、一部をオンラインにすることで手間が増える割に学生たちにとってコロナ禍のリスクは生じるという妙な話になってしまっています。どこも混乱していると感じますね」。

また、中高や学習塾同様、「教室の透明化」による問題もある。特に大学の場合、授業は研究のためにやっているというスタンスの教授も少なくない。技術はもちろんだが、授業に対する情熱も可視化されそうだ。

「日頃、対面授業であるから誤魔化せていたところが浮き彫りになる部分もありますね。オンライン講義ですから、やはり教材を準備し工夫する時点で差がつきやすそうです。対話を交えながら板書で分かりやすい講義を進めていける人は、それをそのまま撮影して生中継でも良さそうですが、それはそれで撮影の準備と慣れ、スムーズな双方向性の仕組みの確立が要りそうです。協力者無しに一人で番組を仕上げるのは難しいかもしれません。逆に言えば、パフォーマンスによらない範囲、すなわち教えるコンテンツを充実させている人、はっきりさせている人は、その表現方法が変わるだけで本質的には問題が無さそうに思えます。そこには自分がこだわる双方向性すら不要なのかもしれません。通常の講義では時間が不足であると悩むくらいの講師にとっては、凝縮された教材を時間毎にぶつけることができるオンライン形式はかえって魅力的であるかもしれないと思います。対面講義よりもオンライン講義のほうがアドリブが利きにくく、コンテンツが出やすいと言えるのかも」。

一般的に理解が浸透していない部分でもあるが、オンラインの場合は今までと違う事前準備が必要で、そのためには時間とコストがかかる。保護者や学生は「オンラインなのだから授業も安価で提供できるはず」という感覚を持っている場合が少なくないが、実情は全く違う。私自身も、オンライン化に伴い、授業準備にかかる時間は倍以上になっている。学校側がそれに対する手当などを実施できればよいのだが、そのためには保護者や学生に理解を求める必要もあるだろう。

様々な困難はあるが、田中氏はオンラインのメリットも強調する。「著作権等の問題はあるが、コンテンツにこだわればいくらでもこだわることができるところ、それをその形のまま学生たちがリフレインして楽しめる(かもしれない)ところ、教授者のパフォーマンスで終わってしまわないところはメリットですね。あくまで記録、録画等を残して公開すればですが「聞いていなかった」「速くて分からなかった」ということはなくなるはずです。対面講義でも録画すれば同様でないかと思われるかも知れませんが、対面講義ではやはり教室全体の様子まで再現できない。どのタイミングで何を見せたか、教授者学習者がそれぞれどこに反応したかまでを記録するのは難しい。オンライン講義では、残ることが前提という作りになり、そこは教授側にとってハードルが高いものでもありますが、いつでも再現可能な内容にならないはずがない。よって、学習者が繰り返して内容に取り組み、それでも伝わらない内容があったとすれば、どこに課題があるのかがはっきりします。それは教授側の準備不足かもしれないし、学生側の努力不足かもしれない、あるいはその講義が前提とする知識等に学習者が達していないのかもしれない」。

学校とは、授業とは何か

同じくオンライン化を進める京都橘大学教授の池田修氏(教育方法学、国語教育学、特別活動論)は、「授業とは何かを改めて考えるいい機会になっているとも言える。また、教員同士で情報の交換をして、この状況を乗り越えようとしているのは、実は、壮大な、今まで大学ではかつてなかった規模のFD(教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)になっているとも言えるのではないだろうか」という。池田氏は、いち早くFacebookグルーブに『#臨時休校中の学ばせ方』というグループを作って教員を繋ぎ、自らが実践した事例や方法をまとめた『Zoomで始める遠隔授業』という小冊子を作ってオンラインで頒布するなど実践をしている。素早く実践し、失敗も含めてシェアして改善して行くアジャイルな姿勢は、大学に限らずこれからの学びの一つのスタンダードになっていくだろう。

実際に、特定の機材を使った実験などがない文系の学生達の間では「学校に意味があるのか」という議論が始まっている。炭谷氏も「知識的なものは世界からネットで簡単に入手できるようになる中で、学校の意味は学習に学生が自律的に取り組むことを支援する役割がますます重要となりますね」と指摘する。今後、就職活動にも変化が予測される中で、今まで学生を選んできた大学は、学生に選ばれるかどうかの岐路に立たされているのかも知れない。この危機が、健全な教育改革を後押ししてくれることを切に願う。(矢萩邦彦/知窓学舎教養の未来研究所

アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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