五輪スケボー、16歳中山楓奈選手が銅メダル 同級生も大画面で応援「普段はおとなしい子」
エメラルドグリーンのヘルメットに腰まで伸びたロングヘア。334インチの大型スクリーンに、東京五輪スケートボード競技女子ストリートで銅メダルを獲得した中山楓奈選手(ムラサキスポーツ所属、龍谷富山高)の姿が映し出された。7月26日、午前9時から競技終了まで富山国際会議場(富山市)でパブリックビューイングが行われ、同高校の教員や同級生、陸上競技部員ら約300人が観戦した。予選トップで決勝に進み、メダル争いをする中山選手の姿に学校関係者からは「いつもは静かでおとなしい子が、すごいことをやってのけた」との声も。新競技の魅力にも触れ、同級生の躍進に湧いた。
中山選手は今年4月に入学したばかり。どんな学校生活を送っているのか。パブリックビューイング会場で学校関係者に普段のエピソードについて聞いてみた。
とにかく真面目
中山選手は「普通科・総合コース」で1年B組。担任は川端裕子教諭である。1学期中は世界選手権出場など遠征が続き、登校機会は少なかった。同教諭は「とにかく真面目」と話す。
「登校できなくても課題はすべて提出し、1学期には『半日だけでも』と頑張って学校に来た日もあります。ただし、教室にいても無口で静かな存在です。いるのかどうか分からないくらい。本人からは選手村入村などの節目にメールをもらっていました。文章は簡潔です」
スケートボードをする若者に派手なイメージを持っていた川端教諭にとって、中山選手のクールで物静かな雰囲気は予想外だったという。「勉強、特に英語は熱心に取り組んでいる様子」で、学校生活も、垣間見える競技生活も「しっかりしている」という印象を受けた。
16歳の女の子が親元を離れて海外を転戦していては不安も多かろうと、定期的な連絡以外にも励ましのメッセージを送った。ただし、「重圧を感じさせてはいけない」と本人ではなく父親(洋志さん)へ。川端教諭は1学期の間、丁寧に温かく見守ってきたようである。
アスリートとしては、ごく普通
中山選手は陸上競技部に籍を置いている。同部はこれまで多くの高校チャンピオンを輩出しており、監督の井上浩一教諭は指導者として世界ジュニア選手権などの国際大会を経験したこともある。「でも五輪となるとスケールが違う。すごい舞台に立っているのだなあ」と感慨を込めて話した。「中山選手も落ち着いたら練習に顔を出してほしい。ほかの選手の刺激になる」と期待を寄せる。そして、意外な情報を明かしてくれた。
「運動能力テストの結果を見ると、(中山選手は)バランスがいい。いいけれど、ほかの選手よりも突出していいわけでもないのです。アスリートとしては、ごく普通。本当に普通の高校生です。ただし、度胸がいいのでしょうね」
中山選手のメンタルの強さから、スケートボードというこれまでなじみのなかった競技に求められる能力について推し量った。7月中旬、選手村の入り口に立てられた各国の国旗を撮影した動画を送ってきてくれたのだそう。「頑張って楽しみます」というメッセージが添えられていた。「約3分もかけて並んだ旗を撮ったのですね。戦いモードに入っていく気持ちを感じます」と話した。
無言の応援のみ
競技が始まった。パブリックビューイングは新型コロナウイルスの感染対策により同級生ら1年生と陸上競技部員、生徒会のメンバーのみとした。約300人は席を空けて座り、スクールカラーの紫色のスティックバルーンを打ち鳴らす形式で無言の応援となった。
学年主任の北山豊教諭によると「コロナ禍でなければ観戦ツアーなどを企画し、現地で応援していたはず」とのこと。北山教諭は競歩の指導者であり、前任校の教え子が出場したことから北京・ロンドン両五輪の会場へ出向き、声援を送った経験がある。「せっかくの自国開催の五輪で本場の雰囲気を味わうことが難しい現状。でも大画面で観戦する機会を得られたことに感謝したい」と話した。
予選3組で出場の中山選手はベストトリックの2回目で高難易度のビッグエアを成功させ5.21をマークするなど、果敢に大技に挑戦し続けて15.77とトップで決勝へ。
決勝開始まで生徒や教員が待機していると午前11時40分、井上教諭のスマートフォンに中山選手からメッセージが入った。
「自分の番、終わりました」
中山選手は、自身のパフォーマンスに同級生らが盛り上がっていると知らなかったようだ。井上教諭は富山の様子を知らせるため、パブリックビューイングの写真に「楽しんでるね! 決勝はもっと楽しく滑ってくださいネ! 全校生徒で応援してます」と添えて返信した。
8人による決勝で中山選手はベストトリック2回目で5.00と高得点をマーク。ドリンクを飲みながらほっとした表情が大写しになった。すると、スティックバルーンを打ち鳴らす音が、この日一番大きく響く。最後のトリックでは逆転の金メダルを狙ったが転倒し、合計14.49。13歳の西矢椛選手(ムラサキスポーツ)とライッサ・レアウ選手(ブラジル)には及ばなかったものの、最後まで攻めの姿勢を貫いてつかんだ16歳の表彰台は同級生らに強い印象を残した。
競技者としてはこれから完成していく
銅メダルを手にした中山選手の表情は、いつも通りクール。一方、応援した300人は同級生の快挙に誇らしい気持ちでいっぱいだった。パブリックビューイング会場では競技終了後もしばらく感動の余韻が残り、笑顔で映像を眺めていた。斉藤保志校長は明るい声で話す。
「ここまでやってくれると思わなかった。もともと2024年のパリ五輪を狙っていたので東京では伸び伸びとチャレンジできたのでは。競技者としてはこれから完成していくのではないでしょうか。10代のメダリストなんて立派。銅メダルを持って登校してくれる日を待っています」
同級生でスノーボードクロスの選手である山田悠太さんは富山県大会で優勝経験がある。中山選手と一緒にスノーボードの練習をしたことがあるそうだ。
「スノーボードもうまいんですよ。レールなどはスケートボードでやっていることと通じるのだと思います。スノボも大好きだと言っていました。すごいですね」
山田さんは、中山さんのスノーボーダーとしての一面を饒舌に語ってくれた。同じ「ボーダー」として、よほどうれしかったのだろう。「自分も自分の競技を頑張りたい」と言った。「おとなしい子」である中山選手が、いきなり銅メダルを獲得したことは同級生の背中を押す結果をもたらしたようだ。
1年前は進路に悩んでいた
筆者が初めて中山選手と父・洋志さんにインタビューしたのは昨年夏のこと。県外の高校に進むか、地元に残るか悩んでいた。
富山市婦中町にはストリートスポーツパーク(NIXSスポーツアカデミー)という練習施設がある。中山選手はこの施設が完成したのをきっかけに9歳からスケートボードを始めた。洋志さんの「1回行ってみる?」との誘いがきっかけ。「滑ってみると楽しく、大会に出るようになると、スケートボードが生活の一部になっていった」と中山選手は振り返る。
身近に練習場所はあったが、降雪時には使えない。冬場には荒天でも練習できる環境を求めて遠出することが多く、首都圏の高校に進学することも考えていた。しかし、ストリートスポーツパークストリートには長年、交流してきた仲間やその家族が集っており、中山選手を慕う児童らもいる。洋志さんの親心としても、コロナ禍において首都圏での独り暮らしは不安だった。
そういった中で富山県体育協会「TOYAMAアスリートマルチサポート事業」の対象選手となり、地元の富山県総合体育センターで競技力向上対策課スポーツ専門員の指導を受けるようになった。また、進学希望先の龍谷富山高校が入学前からは競技はもちろん、進級進学などもバックアップすることを約束。進路が確定し、安定した環境で東京五輪に備えることができた。
今年6月、世界選手権で6位に入賞した後、中山選手は次のように話している。
「地元の高校を選んで良かったです。また新たなトレーニングも効果がありました。これまで膝に痛みを抱えていて、自分で時間を調整しながら練習していましたが、富山県総合体育センターでトレーニング指導を受けたことにより、滑っていられる時間が長くなりました」
「スケートボードは練習量が全て」と考える中山選手は、常に自分の体と対話し、ちょっとした痛みや不調を見逃さないようにして練習してきた。こういった真摯な競技への向き合い方は本人の強い思いによるが、家族や地域、学校のサポートを得て実現できたことでもある。
また「勉強も手を抜きたくない」と学業もおろそかにしない。なぜならスケートボードの魅力を「国籍、性別、年齢に関係なく一緒に滑ることで仲良くなれること」と感じており、「英語をもっと話せるようになりたい」と思っているからだ。
「テスト勉強をする時は、眠くなるまで粘り、力尽きたら眠ります。なぜなら自分がスケートボードをしている間、友達はみんな勉強していると分かっているからです」
最高のパフォーマンス
痛みをこらえ、進路をどうするか考えながら練習し、勉強していたのは1年前のこと。コロナ禍は生活を変えたが、中山選手にとっては悪い影響ばかりではなかったようだ。いくつかの決断を経て無理なく練習できる環境は整えられていった。家族・地域・学校のサポートもあり、東京五輪でのパフォーマンスにつながった。
「自分の滑りを見て『スケートボードって面白い』『かっこいい』と思ってもらえるようなパフォーマンスをしたい」
東京五輪に向けて掲げた目標は、銅メダル獲得という形で達成できた。最後まで果敢に技に挑戦し続けた中山選手。同級生らは同選手と、新競技の魅力を十分理解できたはずである。
中山 楓奈(なかやま・ふうな) 2005年6月生まれ。富山市出身、山田中卒、龍谷富山高校。ムラサキスポーツ所属。小学3年から競技を始め、2018年に国内強化指定選手に。2019年の日本オープン・ストリート2位、日本選手権優勝。同年5月に英国で開催されたストリートリーグ(SLS)6位。2021年6月にローマで開催された世界選手権で6位。157センチ、50キロ。