【里親制度】工芸作家で「12人の里親」富山在住・石原さん 娘らに囲まれる「母の日」
富山市に住む工芸作家の石原京子さん(70)は30年以上、木彫に取り組んできた。いろいろなものをテーマに大小さまざまの作品を手掛けているが、公募展に出品するのは、ほとんどが椅子だ。優美な曲線で、温かい雰囲気の作品が多い。その一方、石原さんは里親として多くの子どもを育ててきた。
「これまで里親として約30年間で、12人の子育てをしました。このほか、不登校や引きこもりなどいろんな問題を抱えていて親元で暮すことができない子とも縁があり、一時的に預かった子も含めると20人以上の母親となりました。今も30代の女の子と同居しています」
不登校児や引きこもりの子どもとの縁も
石原さんが住む富山市大沢野地区には、共同生活と農作業を通じて、不登校や引きこもりの若者の自立を支援する「はぐれ雲」という施設がある。同施設の創設者とは40年来のつきあいがあり、「はぐれ雲」に入所する予定の子どもを、石原家で預かったこともある。知的障害児や非行に走った子も受け入れている。
長らく大家族が当たり前で、時間に追わる日々を過ごす中、1980年半ばから木彫を始めた。子どもが問題を起こし、学校や警察へ謝りに行くことも。子育てに行き詰まると、「ちょっと、仕事をするね」と家族に伝えて自室へこもり、木彫に没頭する。創作活動は、母親としての役割から、石原さんを解放してくれる時間となった。
「子育て真っ最中の里親さんには、『自分の世界を持ち、愚痴を言い合える仲間を作ろう』とお伝えしています。息抜きは必要ですよ……」
亡くなったお母さんの居場所を作ろう
椅子を作り始めたのは、シングルマザーだった母の病死によって里子となった姉弟との出会いがきっかけ。弟は中学3年の多感な時期に母の死を受け止められず、すぐには石原家の生活になじめなかった。そこで石原さんは「お母さんの居場所を作ろう」と制作をスタートした。1993年の日展に出した作品「ここへ」は、母との思い出の場所をなくした姉弟の心を癒やした。
「その男の子は椅子を見て『親の死によって人生が激変することへの理不尽な気持ちを理解してくれる人がいる』と安心してくれたようです。そして私たちは、亡くなったお母さんの子育てへの情熱を引き継ぐことができたように感じました」
椅子は、その里子姉弟の「石原家における居場所」の象徴であり、亡き母の「居場所」となったはずである。
椅子を作ることが、石原さんの「やり場のない気持ち」を受け止める役割を果たしたこともある。2008年の日本新工芸展に出した作品「かなしみの池」は、亡くなった里子の男性を思い出しながら制作した。石原さんに当時の心境を聞くと、「悔しい気持ち」「平常心では、いられなかった」と明かす。
「彼の人生に寄り添い、年齢を重ねていくのが当然だと思っていたのに、断ち切られた思いでした」
創作活動は、里親として生きる石原さんの覚悟と忍耐を支えてきた。
「子どもたちと出会えたことは、本当によかった」
石原さんは60歳になったのを契機に、里親登録を解除した。「何歳まで子どもの成長を見届けられるか? と考えると、潮時だったのです」と話す。里親としての30年間を「親として何ができたかというと、『ちゃんとできた』という自信はありません」と振り返る。しかし、「子どもたちと出会えたことは、本当によかった」と目を細めた。
厚生労働省によると、保護者がいない、虐待を受けたなど、何らかの事情により産みの親の元で暮らせない子どもは全国に約4万6000人いる。その8割以上が、児童養護施設や乳児院で育てられ、里親に預けられるのは2割弱にとどまっている。子どもの発育のためには施設よりも家庭的な環境での養育が望ましいとされているが、現実はなかなか難しい。
「昨今、里親や養親になる方はほとんどが40代。不妊治療をやめてから『やっぱり親になりたい』と考え始める方が多いように見受けられます。でも親の年齢制限などで断念せざるを得ないケースもある。だから、なかなか里親さんが増えないのではないでしょうか」
石原さんは20代のころ、都内の障害児施設や神奈川県内の児童養護施設で勤務した経験があり、もともと児童福祉への関心が高かった。23歳で夫の弘美さん(70)と結婚し、30歳ごろに里親として登録した。「実子には恵まれなかったが、実子がいても里親になろうと思っていた」と話す。厚労省は里親への支援体制を強化し、研修制度を充実、里親支援員を配置するなどしているが、待機児童の問題など、子育てそのものが困難な状況であることは課題ではないだろうか。
また、里子は18歳になると里親の元を離れて自立せねばならない。学生の場合は延長されるが、20代半ばを過ぎても、仕事がうまくいかないなどのケースは少なくない。奨学金の返済も足かせとなる。石原さんは、成人した里子と同居したり、親元で生活できない事情を抱えた子どもを受け入れたりするなど、児童福祉の制度ではフォローしきれない子ども・若者を支援し続けてきた。
祖父母として里子の子育てを支援
だから里子が独立しても、縁は切れない。ここ10年間は、「孫守(まごもり)」に忙しいそうだ。独立した里子が家庭を持ち、子育てに追われるようになると、石原さん夫婦を頼ってくる。「実家の祖父母」として里子の子育てを支援することは、「制度を超えたフォロー」である。「(孫の)入学・誕生日などの祝いに、お金がかかって大変」と苦笑いするが、本音は嬉しいのだそう。孫の成長は、長い里親人生へのギフトなのである。
「もうすぐ、ひ孫の顔を見ることができるかも。最年長の孫は20代前半ですからね。富山県内にいる最年少の孫は小学6年生。『先日、運動会で青団の団長になったから見に来て』って電話がありました。そろそろ、孫は手が離れます。やっと自分の時間が、持てるようになってきました」
5月13日の「母の日」は、関西に住む30代の「娘」の帰省に合わせ、40代の里子2人とその家族ら17、8人で食事会の予定があるという。子を産まなかったけれど、12人の里子を含め20人以上から「お母さん」と呼ばれる石原さん。「母の日」に、何を思うのか?
「カーネーションやプレゼントをくれる子もいます。でも、ほとんどは忙しくて『母の日』なんて意識していませんよ。今年はたまたま、母の日に会えるけれど、いつも連絡が来るのは困ったときだけ。それでいいのです」
5月16日から「日本新工芸展」で新作展示
現在も石原さんは、創作活動に情熱を傾けている。5月16日から同27日まで国立新美術館で開催される「第40回日本新工芸展」では、新作「春風にのって」を出品、17日まで都内に滞在する予定である。作品は、やはり椅子だそう。新作に託した思いを聞いてみた。
「雪の多い北陸では春風が雪を解かし、解けた所から新芽が顔を出します。冬にどんな厳しいことがあっても、春風は必ず吹く。そして冬の厳しさは過去になり、軽やかな日々が始まります」
石原さん宅の周辺は自然が豊かで、立山連峰が一望できる。川には雪解け水が勢いよく流れ、水田では田植えが始まっていた。
※写真/筆者撮影
※第40回日本新工芸展のホームページ