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金沢から被災地へ「勝虫・トンボ」10000匹以上! 大病を乗り越えた制作者の思い

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
金沢市に住む中山明美さんが「前進あるのみ」という願いを込めて作った勝虫・トンボ

「トンボは『勝虫(かちむし)』と言われます。縁起物なんですよ」。石川県金沢市内にあるがん患者とその家族のための支援施設「元(げん)ちゃんハウス」を取材した際、同市内に住む中山明美さん(61)からワイヤーアート(針金細工)のトンボのブローチをいただいた。単なる「手作りアクセサリー」ではない。聞けば、トンボには「前進あるのみ」という決意が込められていた。

手作りのトンボを手にする中山さん
手作りのトンボを手にする中山さん
羽の部分を作ってからビーズで目を作る
羽の部分を作ってからビーズで目を作る
胴体の部分に針金を巻き付け、安全ピンを固定
胴体の部分に針金を巻き付け、安全ピンを固定

 トンボの材料は長さ約80センチのワイヤーとビーズ、安全ピンである。ワイヤーを曲げて羽の形を作り、ビーズの目玉を取り付けた後、針金を折って胴の芯とし、尻の部分に飾りのビーズを取り付ける。安全ピンを固定してから余った針金で渦巻きか、ハート型の模様を作ると完成。中山さんはあっという間に1匹を仕上げた。初心者でも1、2匹作れば、すぐにできるようになるらしい。

35歳で脳腫瘍になり、ワイヤーアートを始める

 中山さんは25年前からワイヤーアートに取り組んでいる。35歳のころに脳腫瘍を患って手術を受けた後、独学で始めた。何度も渡英し、アンティーク美術の影響を受けてさまざまな作品を手掛ける中、トンボを作って困難を抱えた人へプレゼントするようになった。27歳の時に子宮内膜症、32歳では右手の関節部分を痛めて手術するなど、痛みを伴う疾病に苦しみ、全身麻酔の必要な外科治療を何度も経験してきた。トンボの背に渦巻きの模様が付いているのは「巻き返し」の願いを込めているという。

「巻き返し」の願いを込めて背中には渦巻きの模様が
「巻き返し」の願いを込めて背中には渦巻きの模様が

「何度も痛い思いをしてきました。痛みを知るからこそ、できる支援があるのではないかと思います。トンボは前にしか進まないから、不転退の決意を表すものとして戦国武将に愛されたんです。加賀藩の初代藩主・前田利家の冑(かぶと)を飾る立物はトンボだったそうですよ」

 そういえばTBS系のテレビドラマで話題になった『陸王』の主人公・こはぜ屋の社長が着ていたはんてんにはトンボが描かれていた。池井戸潤による小説の原作にも勝虫・トンボの由来が書かれている。逆境の中、前進する物語において、トンボは強い印象を残した。中山さんは、再発がんで闘病中の長女の看病をしながら、がん患者とその家族を励ましている。自身も脳腫瘍による体調不良が続いているものの、現在は「前を向くしかない」という心境である。

 中山さんのトンボは、いろいろな場所へ羽ばたいていった。

能登半島地震をきっかけに門前東小の児童と交流

 2007年3月25日、石川県輪島市西南西沖の日本海を震源地とする能登半島地震が起こった。発生から約2週間後、同県が運行するボランティアバスに乗って被害の大きかった輪島市へ向かい、門前東小の児童と一緒にワイヤーアートを作った。避難所にいる高齢者や子どもにとって手作業は、いい気分転換になったはずだ。

 その後、門前東小の児童との交流は、中山さんが体調を崩したために何度か中断したが、ずっと続けてきた。卒業式には毎年、激励の思いを込めてトンボを贈っている。今年も、卒業生・在校生に渡すトンボと小物をすでに作り終えた。3月25日までに届くよう、同小に送るつもりでいる。

輪島市の門前東小児童に贈るワイヤーアート
輪島市の門前東小児童に贈るワイヤーアート

 東日本大震災の被災者とも縁を結んでいる。2011年3月11日の地震発生後しばらくは、あまりにも被害が大きすぎて何をしたらいいか分からなかったという。2年後、岩手県陸前高田市で、手元に残ったはさみ一つを頼りに理容室を再開した同じ年齢の金野智恵子さんを紹介した報道が目に留まり、金野さんを訪ねて同市へ向かった。「奇跡の一本松」といわれる陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ松の木を見てから米崎小や地元の商店街、仮設住宅を訪れ、ワイヤーアートのトンボ作りを指導した。

 中山さんは被災地でトンボを作ってプレゼントするだけでなく、針金やビーズなどの材料を数百セット用意し、ペンチなどの工具、作り方を実演した映像を収めたDVDと合わせて贈るようにしている。被災者が自分でトンボを作り、完成品を販売したり、義援金のお礼の品にしたりすることができるからだ。

「高齢者の方が集まってトンボを作ることで人のつながりができて、リハビリにもなり、支援を呼び掛ける啓発品を作ることができる……。被災地の方はいい形でトンボを作り続けてくださっています」

東日本大震災の被災者にワイヤーアートを指導する
東日本大震災の被災者にワイヤーアートを指導する

「頑張ってね」でなく「頑張っているね」と言ってください

 中山さんが、被災者との交流から学ぶことは多いという。例えば、陸前高田未来商店街にある「鶴亀ずし」の店主とこんなやり取りがあった。

「被災者の方に『頑張ってね』というと、重く感じるでしょう。すでに十分、頑張っているのだから……。何て言えばいいでしょうか?」

「だったら、『頑張っているね』と言ってくださいよ」

 励ましたり、励まされたり……。トンボは行く先々で、人との縁を結び、気づきを与えてくれる。中山さんはいう。「痛みや困難に苦しんだ経験が、無駄にならない人生を送っていきたい」と。

 これまで1万匹以上のトンボを、被災地へ贈ってきた。

「1人で被災地に行き、1人でできる範囲のお金と時間、労力をかけて、できることをする。これが私のポリシーです。これからも、ずっと続けていきます」

 能登半島地震発生から11年、東日本大震災から7年が経過した。「被災者の痛みを忘れず、できることをしたい」と中山さん。痛みや困難と、向き合い続けてきたからこそできる支援の形なのかもしれない。

※写真/被災地でのワークショップのみ中山さん提供、ほかは筆者撮影

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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