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北信越の「Fの悲劇」はなぜ回避されたのか 福井ユナイテッドFC、存続危機の舞台裏<後編>

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
福井ユナイテッドFCキャプテンの橋本真人(右)と北信越リーグ得点王の山田雄太

宇都宮徹壱ウェブマガジンより転載。

<前編>はこちら

■経営危機を乗り越えての国体優勝

 上田戦での大勝から2日後、三国運動公園人工芝グラウンドで、福井ユナイテッドFCのトレーニングが行われた。到着した時には、すでに全体練習は終わり、各自が居残りトレーニングに汗を流している。キャプテンの橋本真人は、チームメイトと談笑しながらランニング。得点ランキング首位の山田雄太は、シュート練習に余念がない。

 山田は15年、橋本は16年に福井に加入。橋本は入れ違いだったが、どちらも佐野の引きによって、それまで縁もゆかりもない北信越でのプレーを選んだ。しかし16年、福井は5シーズンぶりにリーグ優勝を逃し、監督の石田は解任。選手兼任で今井昌太が新監督となるが、地域CL出場権獲得を目指した全社(全国社会人サッカー選手権大会)は2回戦で敗退し、あっけなくシーズンを終える。この年の指揮官の交代について、選手の思いは複雑だ。

「監督の戦術や起用法に従わないと、試合に出られませんでした。もちろん、選手としては受け入れないといけないとは思いますが、今から思うとチームとして壊れていましたね」(橋本)

「それまで一緒にプレーしていた人が監督になるのは、正直不安がありました。監督と選手とは、やっぱり一線があるべきだと僕は思っていましたから。結果的にチームとして、あまり上手くいかなかったですね」(山田)

 17年、福井の新監督に招かれたのが、愛媛FCやヴァンラーレ八戸の監督を歴任した望月一仁である。17年は北信越王者に返り咲いたものの、地域CLでは1次ラウンドで敗退。戦力は充実していたが、VONDS市原FC、鈴鹿アンリミテッドFC、松江シティFCと同組になる不運に泣かされた。

 続く18年は浅間との激しいデッドヒートを制したが、そこに暗い影を落としたのが『福井にJリーグチームをつくる会』の経営危機。開幕から6連勝した3日後の6月27日、福井新聞のスクープで発覚した。

(前略)NPO「福井にJリーグチームをつくる会」が資金難で単独運営が厳しい状況に陥ったことが6月26日、関係者への取材で分かった。/(中略)関係者によると、サウルコス福井の活動資金は主にスポンサー料やサッカースクール代のほかに、梶本知暉理事長個人の支えが大きかったという。6月に入り、梶本理事長が体調不良のため入院。選手の給与や遠征費など資金不足の問題が浮上した。

 現場の反応はどうだったのか。橋本いわく「今年JFLに上がらないと、そこでおしまいという噂は聞いていました」。山田いわく「その年に福井国体があったので、そこまではチームはなくならないとも聞いていました。チームが存続するには、とにかく国体で優勝するほかないって思いましたね」。

 これからサウルコスは、どうなってしまうのか? そんな現場の動揺を鎮めるべく、県協会の副会長で専務理事の西村昭治が練習場に赴き、選手たちに状況を説明した。県協会としても、地元での国体開催を目前に、サッカー成年男子チームであるサウルコス福井を潰すわけにはいかない。「とりあえず年内は存続させる」という説明だったようだが、なかには「国体で優勝すれば、サウルコスは生き残れる」と受け取った選手も少なからずいたようだ。それくらい現場は追い詰められ、混乱していたのである。

 9月30日から10月3日まで、4日間ぶっ通しで行われた福井国体サッカー成年男子は、開催県の福井が、栃木、島根、三重を打ち倒し、実に50年ぶりにファイナルに進出する。そしてテクノポートで行われた、東京都代表との決勝戦は、山田の2ゴールで2-0で勝利。見事、福井は地元での国体で初優勝を果たした。この間、福井新聞をはじめとする地元メディアは、福井県代表を「サウルコス」と伝えている。県民の間で「サウルコスを潰していいのか?」という世論が生まれたことは、のちに少なからぬ意味を持つこととなった。

服部順一GM。就任にあたっては「いろんな人から『止めとけ』って言われましたよ」と苦笑する。
服部順一GM。就任にあたっては「いろんな人から『止めとけ』って言われましたよ」と苦笑する。

■クラブの存続を巡る葛藤と逡巡

 国体では優勝したものの、福井にはJFL昇格という重要なミッションが残っていた。10月20日から始まった全社では、準々決勝でFC刈谷にPK戦で敗退。11月9日からの地域CLも、決勝ラウンド進出を逃している。

 この大会でJFL昇格を決めた松江、そしておこしやす京都AC、栃木ウーヴァFCという、前年に続く「死のグループ」。クジ運のなさは健在だった。そして11月11日の松江戦(1-2)が、サウルコス福井としての最後の公式戦となったのである。

 一方で、クラブの存続を巡る葛藤と逡巡は、その後も続いた。『福井にJリーグチームをつくる会』の年内での解散は決定し、県協会がサポートを続けるものの、年明け以降のことはまったく白紙。県協会の西村は、旧経営陣から引き継いだ際、あまりの経理の杜撰さに驚いたという。

「とにかく経営の体(てい)をなしていなかったですね。数百万円単位でショートしていたので、選手に払う給料さえ出せない状況でした。それからJFLに昇格した場合、1000万円の入会金が必要なんですが、そのために日本政策金融公庫から借りていたお金もなくなっていた。新会社を立ち上げるにあたり、7月からスポンサー回りを始めましたが、どの企業さんも『潰れる会社にお金は出せない』というスタンスでしたね」

 それでも西村には、わずかながら光明に感じられることもあった。まず、地元での国体優勝が、スポンサー集めでプラスに働いたこと。そして、FC岐阜や長崎でGM経験のある、服部順一と出会ったことだ。

「正直、服部さんとお会いするまで、クラブ解散の可能性は十分にありました」と西村。ならば、当人はどう受け止めていたのだろう。実のところ服部は当初、福井の再生プロジェクトに関わるつもりはなかったという。

「あれは11月の終わりくらいでしたね。『サッカークラブの運営がわかっている人の話が聞きたい』ということで、県協会でお話させていただきました。ただし僕が話したのは、これまでの事例に基づく一般論。GM就任のオファーについては、ずっとお断りしていたんです。状況の厳しさは僕自身も情報を持っていましたから」

 ではなぜ、火中の栗を拾う決断に至ったのか。続きを聞こう。

「12月初旬に、西村さんから『貴方が首を縦に振らなければ、このクラブは潰すしかない』と言われまして……。そこまで思ってくださるのなら、ということでお引き受けすることにしました。いろんな人から『止めとけ』って言われましたよ(苦笑)。それでも僕が加わることで、クラブの歴史がつながっていくのなら──ってね」

 かくして今年1月11日、新会社『福井ユナイテッド株式会社』が設立された。資本金は1020万円。トップチームのみならず、U―15チームやスクールも引き継ぐこととなった。代表取締役社長には、IT関連や海外人材交流の企業を経営する、福井出身の吉村一男が就任。ただし吉村の拠点はシンガポールにあるため、経営や運営の陣頭指揮は、GMの服部が担う。激務であることは間違いない。それでも服部は、現状に極めて前向きだ。

「家を建てることは決まったけれど、設計図も資金もない、というのが新体制の現状。この半年は、スポンサー営業にほとんど費やしてきました。資源、財源、人材。足りないものはいくらでもあるけれど、無理せずできることを着実にやっていくしかない。一方で『こうするべきでは?』と言ってくださる方には、『じゃあ、一緒にやりましょうよ!』と提案するようにしています。クラブ作りって、人と人が触れ合うエモーショナルな部分に、本質があると思っていますから」

サウルコスという名前は消え、クラブカラーも変わった。それでも「f」のエンブレムを胸にクラブは残った。
サウルコスという名前は消え、クラブカラーも変わった。それでも「f」のエンブレムを胸にクラブは残った。

■たとえ名前もカラーも変わっても

 福井取材の最終日、東尋坊に立ち寄ってみた。国の天然記念物にも指定されていて、観光地でありながら自殺の名所としても知られる東尋坊。火曜サスペンス劇場でもお馴染みの絶景には、ただただ圧倒されるばかりだ。「ここに飛び込む覚悟があれば、何だってできる!」とさえ思えてしまう。

 岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』が脳内でリフレインする中、土産物屋を冷やかしていると『崖っぷちTシャツ』なるものが売られていた。「去年の今頃は、ウチも崖っぷちでしたよ」と、案内してくれた福井サポーターが笑う。当時のことを笑って思い出せるほど、クラブの状況は復調傾向にある。

 新しい運営会社が立ち上がったことを契機に、クラブは過去との決別の証として、それまでのクラブカラーとサウルコスの名を消し去った。新しいクラブカラーにブルーを提案したのは、県協会の西村。日本海の色であり、国体のユニフォームもブルーだったことに由来する。そして「ユナイテッド」の発案者は、新社長の吉村。「オール福井」の願いが込められているという。

 おそらく吉村は、J3に福島ユナイテッドFCという1文字違いのクラブがあることを知らなかったのではないか。クラブは23年までにJ3に昇格することを目指しているが、その時に福井と福島のユナイテッドを紛らわしいと感じる人が続出するのは必至。クラブの決断は尊重するが、これだけ県が恐竜推しを続けているのだから、せめてサウルコスの名は残してほしかったというのが個人的な感想である。

 果たして関係者は、この決定をどう受け止めているのだろうか。サウルコス時代を知るスタッフは、クラブを去った者も残った者も、いずれも異口同音に「寂しいですね」と語る。しかしサポーターに話を聞くと、彼らは驚くほどに前向きであった。

「確かに『ユナイテッド』は面白みがないし、サウルコスに比べれば浸透度はゼロに近いですよね。実は、グリーンを残してほしいという要望も出していたんですよ。結局、何もかも変わったけれど、一番大事なのは福井にJを目指すクラブがあるということ。ですから僕らも、心機一転で応援することに迷いはなかったですね」

 これが選手になると、もっとドライだ。「真っ白な状態からやり直せるなら、むしろそのほうがいい」と山田が語れば、キャプテンの橋本も「僕も変わってくれてよかったと思います。練習にトレーナーを派遣してくれるようになったし、トレーニングウェアも新品が支給されるようなりましたから」と、切実な思いを口にする。

 山田も橋本も「サウルコスを愛してくれた人たちには申し訳ないんですけど」と前置きしながらも、クラブが良い方向に変化している現状に感謝と手応えを感じている様子。逆にサウルコス時代は、常に劣悪な環境でJFL昇格という結果を求められていたわけで、「変わってくれて良かった」という選手たちの反応は至極当然と言えよう。

 さて、昨年のサウルコス福井を巡る物語は、私にある既視感を与えた。それは21年前に起こった、横浜フリューゲルスの悲劇である。規模感こそ異なるものの、横浜マリノスとの合併発表から天皇杯優勝に至る過程は、経営危機の発覚から国体優勝に至る福井のそれと奇妙に符合する。

 ただし、エンディングだけは決定的に違った。福井の場合は「Fの悲劇」とはならず、今は新たにデザインされた「f」のエンブレムが、選手たちの胸に誇らしげに輝いている。

 確かに、サウルコスという名前は消え、クラブカラーも変わった。一抹の寂しさは否めない。されど愛するクラブは、人々の努力と情熱で生き残った。果たして、それ以上の望みがあるだろうか。

<この稿、了>文中敬称略。写真はすべて著者撮影

【付記】この取材ののち、福井ユナイテッドFCは北信越リーグを優勝。地域CLに出場して決勝ラウンド進出を果たすも、4位で終了してJFL昇格はならなかった。

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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