実名公表実名報道の意義と問題:京都府警が京都アニメーション放火事件で:プライバシーとは尊厳とは。
<自分に関する同じ情報が流れても、社会の反応によって傷つくこともあれば、癒されることがある。報道のあり方と同時に、私たちのあり方が問われている。>
■京都府警が被害者実名公表:京都アニメーション放火事件
35名が亡くなった放火事件から一ヶ月が経ち、京都府警は、亡くなった人のうち、未公表だった25人の氏名を公表しました。
実名公表に関して、ネット上では賛否両論です。いえ、否定的意見の方がずっと多いようです。
報道によると、京都アニメーションの会社の代理人弁護士も、「実名公表は大変遺憾〜故人とご家族のプライバシーとご意向を尊重していただくようお願い申し上げます」とコメントを出しています。
このニュースを報じたヤフーニュースのコメント欄には、次のような意見が寄せられています。
「遺族が実名公表を望んでいないなら、公表しなくていいと思う。」「無理して公開しなくても良かったと思う。」「遺族の意見は反映されているのでしょうか。」「なんのための実名公表なのかがよく分からない。」「被害者の方々の実名の公開には、どのような意味があるのだろう。」
京都府警の実名公表に関しては、ご遺族の思いも様々だったようです。賛成も反対もありました。今回の実名公表を受けて、記者会見を開いたご遺族もいます。
「素晴らしい息子だった。映画のエンドロールに名前が出るのが楽しみだった。ただの35人の一人で良いのだろうかと・・・。石田敦志(いしだあつし)という人間が京都アニメーションにいたことを、どうか、どうか、忘れないでください」。
■実名が原則だけれども
私は、このヤフーニュースに次のようなコメントをしました。
<実名公表が原則だけれども>
事件事故に関する加害者被害者など、原則は実名です。「誰かが亡くなった」では、事実確認ができず現実感が薄れます。実名だからこそ伝わることもあります。
警察が実名を伏せると、ケースによっては、政財界等の不祥事隠蔽の可能性もあります。警察は発表し、それをマスコミが報道するかどうかは、また次の段階です。両者の信頼関係が必要です。
その報道を市民がどう受け止めるかは、さらに次の段階です。実名が出ないために、デマが広がってしまうこともあります。実名が出たばかりに、本人や関係者が必要以上に苦しむこともあります。
被害者に注目が集まったり、被害者なのに責められたりもします。良いことをして表彰されたのに、非難を受ける人さえいます。犯罪報道は、何らかの形で被害者保護と防犯につながらなくてはなりません。そのためには、警察、マスコミ、市民、三者の協力が必要ではないでしょうか。
■京都府警の考え
報道によると、次のようなコメントが出されています。
「大変凄惨(せいさん)な事件で、関係者の精神的なショックも極めて大きいことから、ご遺族や会社の意向を丁寧に聞き取りつつ、葬儀の実施状況を配慮して慎重に検討を進めてきた。社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した」。
■マスコミの考え
NHKは、次のように述べています。
マスコミ各社、また同じ社内でも番組ごとに、新聞や雑誌ごとに、態度は異なるでしょう。ネットニュースも、サイトによって全く違うでしょう。
■どう報道すべきか、実名は?
事件や事故で、
「Aさんが亡くなりました」。
「新潟市在住の男性Aさんが亡くなりました」。
「新潟市在住で大学教員の男性Aさん(60)が亡くなりました」。
「新潟市在住で新潟青陵大学教員の男性、碓井真史(うすいまふみ)さん(60)が亡くなりました。碓井さんは四人家族で、20年前から新潟に移り住み、大学での教育や小中学校でスクールカウンセラーとして・・・」。
どのように報道するのか、正しいのでしょうか。
「Aさん」が最も故人の尊厳を守る表現でしょうか。それとも、故人の人となりを報道することが、尊厳を守ることになるのでしょうか。どのような報道が、故人のプライバシーを犯すのでしょうか。
どのような報道が被害者と遺族に寄り添い、どのような報道が今後の事件事故防止に繋がるのでしょうか。
実名を出すのか、どこまで報道するのかは、遺族が決めるのでしょうか。弁護士が決めるのでしょうか。警察やマスコミが決めるのでしょうか。ネットのコメントや世間の声が決めるのでしょうか。
■プライバシーとは
プライバシーとは、「私事を他人に知られたくないこと」です。
プライバシーの侵害となるのは、私生活上の事実、これまで公開されていなかった、公開されて被害者が不快に感じたという条件が必要です。
私が匿名で活動しているのに、誰かに実名や所属を暴かれて、私が不愉快になれば、プライバシーの侵害です(ただし、プライバシーの侵害自体に刑事罰はない)。また本人が亡くなってしまうと、権利者本人が存在しないために、プライバシー権は消滅します。
もちろん、だからといって、被害者や遺族を傷つけることが許されるわけではありません。しかしその一方、「傷つく人がいるのだから報道するな」ということだけで報道内容を決めてしまうことも、報道のあり方を歪めることになるでしょう。
■人間の尊厳とは、被害者に寄り添うとは、犯罪防止とは
尊厳とは、「尊く、おごそかで、犯してはならないこと。気高く威厳があること」です。
ここでは、法律よりも心の面を考えたいと思います。マスコミに名前が載ることは(ネットで名前が拡散されることも)、大変なことです。リスクを伴います。誇らしく、楽しい思いをする人もいれば、非常に傷つく人もいます。
視聴率が取れるから、アクセス数が稼げるからといって、被害者の尊厳を傷つけるようなことがあって良いわけがありません。しかし、どんなに良い報道でも、市民のあり方によっては被害者の尊厳が傷つけられることもあるでしょう。匿名報道ですら、ネット上ではしばしば実名が晒されます。ネット情報を安易にリツイートする人々もいます。
報道するマスコミ側は、またネットで言及するネットユーザーも、どんなに必要な報道や情報であっても誰かを傷つける可能性があることを忘れたくないと思います。
報道や情報に触れる側も、私たちのあり方次第で、被害者の尊厳が守られることも犯されることもあることを忘れたくないと思います。
私に関するある情報が世に出た時、世間の人々の反応によって、私は癒されることもあり、傷つくこともあるでしょう。何がプライバシーの侵害で、何が尊厳を犯す報道になるのか、実はそれは社会の成熟度合いによって、読者視聴者の態度によって、変わるものなのかもしれません。
事件報道のたびに、実名報道のたびに、報道のあり方、そして私たちの態度が、問われています。