松本死刑囚らに刑執行:彼は殉教者ではない:オウム真理教と私たち
<彼は宗教弾圧によって信仰のために死んだのではない。>
■松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に死刑執行
松本死刑囚らに死刑が執行されました。7月6日朝、死刑執行の第一報が報道されると、各メディアは予定を変更し、このニュースを伝え、オウム真理教事件に関する大きな報道を始めました。
■殉教者の影響力と転校者
オウム真理教の関連団体が、亡くなった教祖を神格化するのではないかとも言われています。
しかし、彼は殉教者(宗教弾圧などを受け信仰のために命を失った人)ではありません。私たちは、彼を殉教者にしてはいけません。殉教者が出ると、運動は盛り上がります。だから賢い弾圧者は宗教者や思想家を殉教させずに、転向させます。
大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した北朝鮮の元工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)に対して、韓国政府は死刑判決を下したものの、のちに恩赦し、日常生活を過ごさせています。彼女は、逮捕後に予想していた過酷な拷問などを受けず、また韓国の繁栄ぶりを見て、自分が騙されたことを知ります。
彼女はクリスチャンになり、被害者に謝罪して北朝鮮政府を批判しています。彼女が勇ましい北朝鮮工作員のまま死刑にされ、北朝鮮をほめ称えながら死んでいくよりも、北朝鮮のダメージはずっと大きいでしょう。
遠藤周作の小説『沈黙』。そして映画版の『沈黙-サイレンス-』(スコセッシ監督)では、命をかけて日本に渡ってきた宣教師の生涯が描かれます。主人公の宣教師は死をも覚悟して日本に来るのですが、幕府は処刑することなく、転校させて幕府の仕事をさせます。
信仰を理由に逮捕され死刑にされるのを見れば、庶民はとても恐れるでしょう。しかしその一方、形だけでも「信じない」と言えば助かるのにあえて死を選ぶ殉教者の姿は、人々の心を動かすのです。多くの殉教者を出した長崎では、キリスト教が禁止されている間もずっと信仰が受け継がれ、明治になって来日した宣教師たちを驚かせました。
だから運動体としては、亡くなったメンバーやリーダーを、殉教者に仕立て上げようとします。機動隊との衝突で仲間が亡くなったりすれば、その人の写真を大きく掲げ、「彼に続け!」と運動を盛り上げるのです。
■彼は殉教者ではない
彼は宗教弾圧を受け信仰のために命を失ったのではありません。政府は、オウム真理教への宗教弾圧などしていません。むしろ、オウムが宗教団体ではなかったら、もっと早く捜査の手が伸びていたかもしれません。宗教団体への介入に、警察は慎重です。彼は、信仰のゆえに逮捕されたのではなく、犯罪によって逮捕されました。
逮捕後も、彼はリーダーとして信者を守ろうとはせず、むしろ信者が勝手に行なった犯罪行為だと証言しました。彼は、犯罪を犯し、責任転嫁にも失敗して死刑判決を受けました。
■犯罪は死刑では終わらない
犯罪は死刑では終わりません。死刑が執行されたからといって、亡くなった方が戻るわけではなく、被害者や遺族の心と体は癒されません。「区切りがついた」「終わった」と語る被害者、ご遺族もいらっしゃいますが、一生懸命ご自分に言い聞かせているようにも思えます。謝罪も事実の解明もないままでは、納得できないと感じる人も多いでしょう。しかし、今後彼が口を開くことは考えにくいと諦めた人もいるかもしれません。
原因究明が進まなければ、類似犯罪防止の力にはなかなかなりません。オウム真理教事件を通して、洗脳、マインドコントロールという言葉は有名になりましたが、教団内で何が起きたか、詳細は不明なままです。
日本では起きないと思われていた宗教カルトによるテロ行為が、実際に起きたました。今も破壊的カルト宗教は、日本各地で活動しています。第二第三ののオウム真理教事件が起きない保証はありません。
私たちはオウム事件から学び、洗脳、マインドコントロールから個人を守り、組織による犯罪を防がなくてはならないのです。