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2050年を考えるヒントは、平安貴族の暮らしにある(上)

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント、大学院至善館特命教授
出展 PhotoAC

 2023年になった。年初にあたり行く末を考えてみるが「ウクライナ」「台湾危機」「資源高」など懸念材料ばかりが目立つ時代ーー一説には「戦前の再来」になった。不安の背景には、トランプ政治に代表される民主主義の危機、環境問題を克服できない暴走する資本主義への懸念がある。だが今回は発想をがらりと変えて、平安貴族のライフスタイルをヒントに等身大の視点から2050年の未来を考えてみたい。

〇平安時代が 2050 年社会のヒント

 なぜ未来を考えるのに、1300年も前の平安時代に遡るのか。一つは頭に染み付いた現代社会の常識、特に民主主義と資本主義の常識をアンラーニングするためだ。そもそも民主主義は社会契約説に基づくが、あれは西洋文明社会が発明した国民国家という一種の集団幻想に基づく。他には代えがたい有難い制度だが、もともとが不安定なものである。また資本主義は貨幣信仰のうえに成り立つが、これが社会を支配してきたのは産業革命以降、わずか二百年ほどでしかない。構造変化の時代だというなら、いっそ、こうした常識をいったん捨てて非連続的な思考をしてみよう。今回はそのよりどころを、平安時代の貴族の考え方に求めてみる。

 高校で習った源氏物語や枕草子に描かれた生き生きとした当時の人間模様(恋愛や風流の心など)は現代に通じる普遍性がある。一方で和歌や音楽に明け暮れる宮廷貴族の生活や経済社会事情は現代とは全く異なる。資本主義も民主主義もない時代にあれだけ高度で洗練された文明がどうして成り立ったのか。それを探ることで資本主義と民主主義にとらわれた頭の自己アンラーニングができるのではないか。

 もう一つはこれからの先進国のライフスタタイルがますます平安貴族に似てくることに注目したい。先進国のリタイヤ富裕層は、すでに医療、エアコン、車、レストラン、ITなどのおかげで昔の王侯貴族よりはるかに高い生活水準を謳歌する。

 生活費を稼ぐのに時間を使う必要はなく、生きがいをビジネス以外に求める。

 高齢化でこういう人はますます増え、AIのおかげで富裕層だけでなく一般の人も今よりはきっと生活が楽になる。貧富の格差は別として絶対水準は上がるだろう。すると経済やビジネス、ひいては分配に関わる政治への関心はますます薄れる(すでに今もその兆候がある)。

 ならば経済や政治から切り離した人の暮らしぶりを人間の本性に照らして考えてみるとどうか。その意味で現代と隔絶した平安時代は2050年を占うヒントの一つになる(もちろん目の前は「戦前の再来」の様相を呈しており、ウクライナや北朝鮮のような困窮や戦争の危機、パンデミックリスクに満ち溢れている。相対的貧困の問題も目の前にある。だがハイテク好況から昨年、世界がいきなり暗転したように、先のことはわからない。その意味で本稿は目の前の現実をいったん忘れてみるための頭の体操として読んでいただきたい)。

〇平安貴族の社会は経済と武力を意識しない世界だった

 平安貴族には当然、お金の心配はあまりなかった。荘園を所有しそこで働く庶民が担う生産の上前をはねて暮らしていた(地主=経済)。地位や身分は血縁に基づく天皇制を頂点とする宮廷社会のしきたりに従って確保された(身分制=政治)。なにしろ武士はまだ一派をなす前の時代である。

 こうした経済(荘園)と政治(身分制)の基盤(OS=オペレーテイングシステム)のもと、貴族たちは文化活動と己の教養を磨くことに一日の大半を費やした。彼らはまた他者とのつながり、共感を非常に重視した(いわば「社会関係資本」の蓄積)。それが宮廷社会での地位を安定させ、天皇との距離を近くし、出世や自己実現に直結した。こうし平安社会を支えたインフラは和歌だった。これはさしずめSNSやメールに相当する。あるいはOSを駆動させる仕組みという意味では「貨幣」「電力」に相当する存在と言えるかもしれない。

〇『源氏物語』から平安時代を洞察する

 平安時代の社会と個人の様子は『源氏物語』から読み取れる。『源氏物語』は平安中期に光源氏の恋愛模様を描いた長編物語(実話を下敷きにしたと思われるフィクション)だが宮廷社会の人間絵巻をよく描写しており、当時の社会を文化人類学的に理解する資料になる。その5つの特徴をみていこう。

1. 経済軸の不在

 源氏物語には貴族が金銭取引をする描写はない。光源氏など貴族たちはみな荘園を経済基盤にしていた。約20の荘園の記述が登場するが荘園で働く農民たちも貴族の財産で、荘園からは米や布、木材といったあらゆる生活物資を徴収することができた。光源氏らが個人的に遠出をする場所は近くに自分の荘園がある場所と決まっており、その荘園から衣食住の供給をはじめ葬儀などの行事に至るまで、すべての支援が得られた。貴族は多くの現代人のように目先の貨幣の獲得について心配する必要はなかった。

2. 天皇制の「文治」を才色兼備の女性が支えた

 平安社会はもちろん天皇制で統治された。その原理は「文治」、即ち高度な教養を持つ人物が尊敬され、政治の世界の出世もそれで決まった(繰り返すが、武士が出てくる前の時代だ)。文治の仕組みの頂点に天皇がいた。天皇は宮廷及び地方社会まで支配を行きわたらせるために文化を用いた。たとえば天皇は素晴らしい和歌を選びだして勅撰和歌集を編み、自身の後宮(文化サロン)でも芸術や文学を奨励した。 

 勅撰和歌集は四季などに始まる時代の規範をつくりあげた。春に始まり冬に終わる日本文化が強調する四季のサイクルも、和歌に由来する。あれは勅撰和歌集における和歌の並びによって練られてきたものだ。後宮では天皇の庇護のもと、才能あふれる女房たちによって現代にまで残る作品が多く生み出された。『枕草子』も『源氏物語』も後宮で生まれ、ひらがなの進歩、女流文学そして後宮の主である妃の地位向上に一役買った。

 貴族たちは、天皇との繋がりを持つため娘に高度な教養を身に着けさせた。教養高い女性といわれると後宮に召し上げられる可能性が高まった。そして天皇の子供を産んだ女性は本人はもとより血縁の一族全体が厚遇を得られた。よって出世の鍵は才色兼備の娘をきっかけに天皇に近付くことであり、その基盤には文化と教養をめぐる競争があった。現代社会の競争は資本主義のもとで金銭の多寡を軸に起きるが、平安貴族の競争は天皇制のもとでの文化と教養のレベルが決めてとなる勝負だった。

3. 貴族たちはひたすら文化活動にいそしみ、教養を磨いた

 『延喜式 一陰陽寮』の記述によれば、貴族たちが仕事を行うのは朝から昼にかけての4時間のみだ。それ以外はすべて自分の教養磨きや、文化活動に費やしていた。文化活動といっても道楽ではなく、天皇制の文治システムの中で生き抜く上での必須の道具だった。貴族の行動にはすべて細かな儀礼(プロトコール)が定められ、貴族たちはそれを踏襲していた。そのうえでもとりわけ優れた文化人が政治の世界で出世できた。日常のコミュニケーション、恋愛でも文化は必須だった。恋愛の駆け引きはすべて和歌などの文化的素養がベースで、その洗練具合をみて、人々は相手を選んだ。

 平安貴族が文化活動を自由に行う基盤には、もちろん荘園の富と、その富で得た紙や香、着物など特注品があった。 結果として平安時代の文化レベルは高まり、同時代の国々の中でも群を抜くものとなった。『源氏物語』や『枕草子』などの作品が生み出されていた頃のヨーロッパでは『ロランの歌』や『アーサー王物語』などが成立していた。だが、これは伝承や歌謡がまとまったもので、誰か一人によって生み出された物語ではない。ヨーロッパに長編小説が誕生するのは、300年も後のダンテを待たねばならなかった。

4. 貴族たちは 文化力を発揮してつながり・共感を求めた

 以上、みてきたように平安貴族の世界では洗練された文化・教養の持ち主が日常、恋愛、政治など、すべての場面で評価された。ではその「洗練」とはどのようなものなのか。

 文化の価値は、いかにつながり・共感を得られるかで決まっていた。たとえば、『源氏物語』を書いた紫式部は下級貴族の出で、本来であれば宮廷に上がることはできなかった。しかし『源氏物語』が評価され多くの人に読まれると、紫式部は宮廷に召しかかえられた。物語が多くの人々の共感を得たからこその出世である。また勅撰和歌集に選ばれた和歌の詠み人は、政治的にも上位の役職につくことができた。だから人々は結婚相手を和歌や感性のすばらしさで選んでいた。貴族たちは出世にも、恋愛にも、つながりや共感を得られる文化の力を必要とした。

5.すべての根底にある和歌

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慶應大学名誉教授、経営コンサルタント、大学院至善館特命教授

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。アドバンテッジ・パートナーズ顧問のほかスターフライヤー、平和堂等の大手企業の社外取締役・監査役・顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまでに世界119か国を旅した。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

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