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「貨幣信仰」から「データ信仰」へ:静かに進む脳内支配の主役の交代

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント、大学院至善館特命教授
出典:TOOL BOX ESTONIA

 今春、仕事で京都にしばし滞在し古くからあるお寺と神社の多さに改めて驚いた。そして敷地は広く建物は立派で庭や仏像は一流揃いだ。こうした豪華さは往時の宗教と権力の密着ぶり、そして当時の人々がいかに「祈り」を大事にしていたかを物語る。現代人は街の大部分を道路やビルに充てビジネスに勤しむが古代・中世の人たちは祈りの施設である寺社に莫大な投資をした。医療もない時代だ。神仏にすがり、祈る以外に手立てはなく宗教は生活と人生に必須だったのだろう。

○現代人は神仏の代わりに貨幣を信仰する

 ところで現代人も祈りの対象を持っている。貨幣だ。我々は貨幣を信仰している。そんなつもりはない人がほとんどだろう。だが我々は仕事も趣味もお礼も謝罪も無意識のうちに貨幣価値に換算して考えている。貨幣信仰は集団現象である。自分の蓄財に無頓着な人でも他人への気配りではお金のことを気にする。かくして現代人は何事もお金と数字抜きで済ませられない性分となった。

○脳内を支配するもの

 人間の拠り所、大事なもの、価値意識は時代と文明で大きく異なる。しかもそれは信仰に似ていて本人は無意識で当たり前の大前提が、他の文明から見ると理解し難い場合が多い。例えば来世の行く末を案じ加持祈祷にすがる平安人の姿は我々には奇異に映る。主君の名誉のために命を捨てる忠臣蔵の物語も現代人には理解しにくい。

 だが、逆に平安人から見れば貨幣信仰に毒され、将来不安の解消を通帳の数字のゼロの数を増やして解消する我々の姿は滑稽だろう。「貨幣信仰」だけではない。化石燃料を使った拡大再生産を前提にする資本主義のスピードは狂気にしか見えないだろうし、「選挙信仰」に代表される民主主義で有能とも思えない代議士が選ばれ、偉そうにしている姿は理解不可能であるに違いない。

○頭を真っ白にして「貨幣」の次は何か考える

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慶應大学名誉教授、経営コンサルタント、大学院至善館特命教授

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。アドバンテッジ・パートナーズ顧問のほかスターフライヤー、平和堂等の大手企業の社外取締役・監査役・顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまでに世界119か国を旅した。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

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