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プレミアムフライデー(笑)の今日だからこそ考えたい時間との付き合い方

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
腕時計が欲しくてしょうがない今日このごろです(写真:アフロ)

6月29日(木)の夕方、私は内閣人事局主催の勉強会で講演してきた。働き方改革に関心がある官僚約30名を前に講演した。働き方改革について批判を繰り返している私を呼ぶ時点で、実にロックである。専門家視点、現場視点での刺激がほしいということだろう。依頼して頂いた方のご意向を忖度し、空気を読まない発言を繰り返した。空気を読まず忖度、グッドルッキング、印象操作などという言葉を連呼した。お陰様で各誌にレビューや関連したインタビューが掲載されている最新作、『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)の内容をもとに、約90分吠えた。

この模様は後日、詳しく原稿にまとめるが(例の経産省次官・若手レポートに関しても衝撃的な反応が・・・若手約30名が参加者だったのだが、読んだ人は2割り程度だった)、印象的だったのは、「明日はプレミアム・フライデーですね。ゆう活でもしておきますか?」と最初に言ったところ、皆、苦笑いしていた。そう、働き方改革と言いつつ、霞が関はやはり仕事の絶対量が多く、突発的な仕事が発生する世界だ。簡単ではないということを確認できたのがよかった。民間企業の場合は儲からない仕事を切ってしまうという手があるが、官庁はそういうわけにはいかない。

そう、今月もプレミアム・フライデーがやってきた。仕事の絶対量、任せ方、受け方を変えない限り定着しないというのがぶれない持論である。会社や社会が変化するのは遅いので、自分が変わった方が早い。

ここで、私なりの時間に関する処世術を共有する。もっとも、この処世術も企業や個人により、できる、できないという問題があるのだが。参考までにご一読頂きたい。

■私が初めて「時間」を意識した瞬間は『ウルトラマン』と『宇宙戦艦ヤマト』だった!?

私は大学に出るまで、ほぼ北海道札幌市の郊外で育ちました。私が中学校の頃に、大規模な住宅街の開発が行なわれるまでは、緑がいっぱいで、それこそ、『ドラえもん』に登場するような裏山までありました。当時は野原を駆けまわることと、部屋で本を読むことが生きがいでした。いや、「生きがい」なんて言葉を認識する前でしたが。私は、幼稚園が1年保育だったので、入園するまでは時間割で動く世界をほぼ知らずに過ごしました。時間というものを意識するのは、日の出、日の入りでした。もちろん、壁にかけてある時計などはながめていましたが。思えば、少なくとも幼い頃だけは、「時間を忘れて遊ぶ」ということがほぼできていたわけです。

そんな私が、「時間」を意識するようになったのは、何がキッカケだったでしょう?もちろん、厳密にはいつも時計を見ているわけですけど。個人的に、時間を強烈に意識したのは『ウルトラマン』と『宇宙戦艦ヤマト』です。ともに、アニメ・特撮ですね。私が育った札幌は当時、この手の作品の再放送が盛んだったのです。

『ウルトラマン』は20代以下の読者にとっては、もはやオリジナルを見たことがある人は少ないことでしょう。むしろ、最近の作品でしょうね。そう、最近の『ウルトラマン』は、三世代作品になっていて、昔のウルトラマンや怪獣がそのまま登場するのです。

このウルトラマンの特徴といえば、地球上で変身して戦うことができるのは、わずか3分でした。3分が近づくと、カラータイマーと呼ばれるものが赤になり、点滅するのです。ドラマを盛り上がるための、また番組を時間内に成立させるための絶妙な演出でした。劇中では明らかに3分以上戦っているのではないか、3分と決まっているなら、なぜ最初から必殺技を出さないのかなどのツッコミどころはあるのですが。ただ、3分以内に仕事を片付けなければならないということを認識した貴重な機会ではありました。

『宇宙戦艦ヤマト』も同様です。この作品は、ウルトラマンよりはやや設定が難しめで、何度も再放送を見て理解したのを覚えています。要するに地球を救うために戦う物語なのですが(かなり端折って要約していますね)。この作品もツッコミどころ満載で、特に明らかに死んだはずの艦長が生きていたシーンなどはひっくり返りそうになりましたが。

私がこの作品で、時間を意識するようになった理由は、このアニメは毎回、「地球滅亡まであと◯日」という日数が表示されるのですよ。なんて、残酷なのでしょう。幼い私はいつもこれをみて、「そうか、あと◯日か」と思い、時間というのものを強烈に意識したものでした。ちなみに、学生時代の特に前半は、私にも社会に出たくないと思っていた時期があり、毎日、『宇宙戦艦ヤマト』風に「そうか、自由な大学生活もあと◯日しかないのか」と数えていたものでした(実話です)。

これが私が時間を意識した原体験です。しかし、思えば、幼い頃は時間などというものを意識せずに、実に自由に暮らしていたものでした。3分以内で戦う、◯日以内に地球を救うなど、世の中には時間の制約や締め切りが存在することをなんとなく知りつつも、実に自由に生きていたものでした。

今振り返ると、私たちにもアニメや特撮以外で時間を意識することなく生活していた時期はあったのですよね。懐かしいです。

■気づけば、ずっと忙しくないか?

ただ、これはあくまで幼少期のよき思い出です。気づけば、忙しくなっていきます。私が忙しさを感じるようになったのは、中学生くらいからでしょうか?生徒会長と部活動と勉強、そして遊びの両立はなかなか忙しかったわけです。ただ、それでも私はラッキーな方です。この原稿を読んでいる皆さんの中にも、小学校の頃から塾通いをしている方は多数いらっしゃることでしょう。私は塾通いというものを、中学の夏休み・冬休みの講習会以外、ほぼ体験していないので小学校時代は実に暇だったのです。今のは、私の自分語りにすぎません。私の時代でも、特に都市部は受験競争のピークで、大学進学を目指す者にとって塾通いなどは当たり前でした。

いまや漫画に描かれるような牧歌的で、暇で自由な少年時代などというものは、夢物語です。塾通いに習い事・・・。幼少期~10代は意外に忙しいものです。それこそ「ゆとり教育世代」などと言われるわけですが、意外にゆとりはありません。

以前はモラトリアムと揶揄された大学生活においても、それは夢物語ではないかと感じる瞬間があります。今時の大学生活は、忙しいのです。大学生活といえば、サボり放題、遊び放題のレジャーランドかというと、そうでもありません。というのも、大学にもよりますが、出席をとる講義が多くサボることができないのです。出席も大学によってはICカードで行なっており、代返は難しいです。キャリア教育科目などの科目も増えています。アルバイトやサークル、さらには早期化・長期化している就活で大忙しです。

社会人になってからもそうで、正社員も非正規社員も忙しいというのが現実です。いつになったら忙しさから脱出できるのだろうと考えてしまします。会社をやめてノマドワーカーになったところで、仕事をしているという前提で考えると忙しさは変わりません。このように、忙しい日々は続いていきます。このあたりは書籍の本文で書いたとおりです。

他にも30代をこえたあたりから、プライベートでの忙しさというものがやってきます。出産・育児との両立、さらには親の介護などです。マンションの理事、町内会の役員のような社会参加活動も何年かに1回やってきます。

これに関連して、読者の方が飲みの席で言っていた話が忘れられません。

「常見さんたち団塊ジュニア世代は、“最後のマス”で日本のこれからを握っているはずです。でも、大学に入るころにバブルがはじけて、就職氷河期で、企業に入っても上がつかえていて、これからという時期に親の介護が始まる・・・。働き盛りの時期に、まったく輝けないじゃないですか」

暗い現実ですが、事実は事実です。忙しさというのは職場のものだけではなく、プライベートも含めての忙しさなのです。

このままだと、忙しさというのはずっと変わらないような気がしますね。さあ、どうしましょう?

■「時間」や「忙しさ」とは常に冷静に、時に情熱的に向き合いたい

「時間がない」とか「忙しい」という問題は、個人的問題と社会的問題、そして体感値と物理的なものに分解されます。この忙しさはどのようなものなのかということに客観的に向き合いたいものです。だから面倒臭いのです。

忙しい社会に生きる私達ですが・・・。では、暇な毎日がいいのかというと、そうでもないですよね。結婚などをキッカケに「私は専業主婦になる!」と宣言する人は、私の世代ではそれなりにいたわけですが、では、彼女たちがそのまま専業主婦を続行したかというと、そうでもないです。すぐに、仕事が恋しくなり、復帰していくという。

私が大学の頃は、まだ単位認定などが極めてゆるく、出席もあまりとることはありませんでしたし、とにかく課題図書をもとにレポートを書けばOK、過去問さえ解いていればOKという実に楽勝なものでした。

ちなみに、私の母校、一橋大学では単位取得が困難な科目を「シビア」、楽勝な科目は「チョンボ」と呼びます。これは「鬼」と「仏」など大学によって呼び方が違うようですね。「チョンボ」の科目の中には、感動するくらい楽勝な科目も中にはありました。実に印象的だったのは、「芸術2」という科目です。結局、私は履修しなかったのですが、入学してすぐに先輩たちに熱烈に進められました。

「いや、私、芸術とか興味がないんで・・・」

「でも、取った方がいいぞ」

「興味ないです。ちなみに、どんな内容なのですか?」

「シェークスピアだよ」

「うわ、興味ないです」

「でも、履修登録して、レポート書けばAなんだぞ」

「・・・」

こんなやり取りをしたような。ちなみに、その科目の担当教授は錠一郎という名前でした。彼のニックネーム「エースのジョー」。そう、誰にでもAを配るからです。

やや余談ですが・・・。一橋のチョンボ文化というのはなかなか熱いものがあります。大学院時代に履修していた講義の担当教授で、講義中にチョンボの哲学を語り出した人がいました。「私は意思をもって、単位を取りやすくしている。院生の場合、修士論文を書くことがもっとも大切なことだからだ」と。ここまで力説されると頷くことしかできませんでした。いや、院生だとたしかにわかるのですけど。でも、たしかに学部時代にも、自分の「チョンボ哲学」を語る教授はいました。「講義をチョンボにするのは、自分がたどり着いた、一つの理想なのだ」とまで論じる人もいました。

今、振り返ると93年~97年にかけての学生生活は、いろんな意味でカオスでした。いや、世の中の流れをみても、連立政権になったり、円高が進んだり、サリン事件に阪神・淡路大震災などなど、たくさんの事件がありました。学生にとっては、就職氷河期の到来で、「大学に入ったら、人生レールにのったようなもの」というレールが約束されなくもなりました。一方でインターネットの登場などもあり、世の中の変化が始まっていったことを覚えています。

そんな中、私の目の前に広がっていたのは、ありえないくらいの牧歌的な世界でした。「日本の大学は、入るのは難しいが、出るのは楽勝」と言われていましたが、それって本当なんだということを目の当たりにしました。寮に遊びに行ったときに、寮生たちであまり講義に出ていない人たちが1部屋1部屋訪問して過去問を探す様子、めったに大学に来ない人が、講義の中でのレポート提出の瞬間だけやってきた様子、みんなが講義に出ずに学食でサボっているときにまるで通信兵のようにダッシュでやってきて「おい、出席だー!」と叫ぶ学生(一同、教室にダッシュ)・・・。こんな光景をよく見聞きしました。そこには、ザ・モラトリアム学生たちがいました。当時は、まだ前期課程は小平キャンパスという、これまた牧歌的な場でした。そこで、みんなゆうゆうと暮らしていました。講義に出ず、ひたすらゲームにビデオにアルバイト。自分の専攻だけがんばる、という。

かなり前置きが長くなりましたが、これは自由で幸せな時間だと言えるでしょうか。決してそんなことはないですよね。単に時間を食いつぶしているだけです。充実しているかというと、微妙です。まあ、仕事などに代表される「やらなければならないこと」が少ないのは間違いないですが。

一方で、世の中には素晴らしい、充実した忙しさというものがあります。「学園祭の前の日のような忙しさ」という喩えがありますよね?直前になっての変更や、トラブルなどもありつつ、明日の学園祭に向けて皆が寝る間を惜しんで頑張っている感じですね。皆さんも一度くらいは、仕事や、あるいは学生時代のゼミやサークルでこのような体験をしたことがあると思います。面白くないことをする職場よりは、給料が安くても楽しい職場で働きたい。そう思う人もいることでしょう。

労働というのは、常に冷静と情熱、両方の視点で見るべきだと思うのです。「楽しい仕事だから、深夜残業も休日出勤もOK!」というのは美談のようで、これはこれでおかしいです。もちろん、すべての仕事を残業ゼロで片付けるほど、世の中楽勝ではありませんが、とはいえ、このような状態は働き過ぎ以外の何物でもないわけです。

実際、仕事で体調を崩して倒れる人をよく見聞きしてきましたが、このような、仕事が大好きで一生懸命働きすぎてしまうのはその一つのパターンです。こういう人は、仕事が一段落したり、少し環境が変わった時に体調を崩したりします。いくら充実していても、やはり働き過ぎは疲れるというわけです。

このように、時間、忙しさというものは、常に冷静と情熱の両方の視点で捉えなければなりません。特に仕事生活が充実している人、仕事が面白くてしょうがない人ほど「待てよ、働きすぎじゃないか?」という視点を持ちたいところです。

■幸せな管理を目指そう

じゃあ、どうすればいいか?答は2つだと思っています。1つは、管理を上手にすること、もう1つはワガママになるということです。まず、管理についてお伝えすることにしましょう。これは時間に限りません。いや、でも実はもろに時間に影響します。仕事を進める上での管理の徹底が、結局のところ、時間短縮につながるのです。

私は「管理」が嫌いな人間でした。ちょうど28歳になるまで、人生は「管理」との闘いであったと言っても過言ではありません。でも、28歳を転機に変わりました。リクルートグループとトヨタ自動車との合弁会社、オージェイティー・ソリューションズの立ち上げのために名古屋に転勤。この新会社に出向したことがキッカケでした。

この会社は、簡単に説明するとトヨタのものづくり現場で活躍した管理・監督者を顧客企業に送り込み、改善プロジェクトを実施。その過程で、プロジェクトメンバーの人材育成を行なうというものです。ここで私は、トヨタマンたちのものづくりにかける執念、こだわりを間近で見ることができました。

ここに出向してから「管理」という言葉に対する抵抗感、嫌悪感がなくなりました。私の友人・知人はびっくりしました。実際にものづくりの現場を見て「管理が行き届いていなくて不幸せになっている場面」や「管理が行き届いていて、人々が幸せそうに働いている場面」を多く目撃し、考えが変わったのでした。そして、私が今まで嫌っていたのは「ダメな管理」、「不幸な管理」で、中には「幸せな管理」もあることに気付いたのです。

ダメな管理の例をあげましょう。「モノをどのようにつくるのか?」の基準となる標準類(いわばマニュアル)がない職場、形骸化している職場は非常に多かったです。このような職場では技能員は上司や同僚からの口頭での指導や見よう見まねで作業をするので、作業のやり方や手順が人によってバラバラ(ひどい職場では同じ人でも作業のたびにバラバラ)という状態になってしまいます。動きにもものづくり用語で言うところの3ムダラリ(ムリムダムラ)が発生してしまいます。この結果、個々人がモノを1個生産する時間に差がついてしまうのです。たとえ1秒の違いでも1日や月間では大きな差になります。また生産の進捗管理をするためには生産管理板やペースメーカーといったものを使うのですが、これらが存在しなかったり、あっても形骸化しているケースがあります(ある職場ではペースメーカーに正しい生産計画が反映されておらず、計画に対する差が-200になっているのに全員が定時で帰っていました)。さらに困ったことにこのような状態を管理監督者が把握していないという問題もよく発生していました。この結果、生産計画数が増加したときには、管理監督者は生産能力を把握できないまま、技能員に残業や休日出社を強いることになってしまうのです。現場を知らない管理監督者にこのようなことを強いられると職場の信頼関係も最悪になります。結果として、職場は生産性も人間関係も最悪な職場になってしまうし、このような状況が品質や原価にも悪影響を及ぼしかねないのは言うまでもありません。ものづくり現場の事例ではありますが、こういう例、皆さんの職場にもありませんか?

「生産管理」を例として取り上げましたが、「管理」がないために、経営者も従業員も顧客も不幸になってしまうことがあります。これらの「管理」が行き届いていれば、従業員は快適に作業できるし、企業は安定して品質のよい製品を供給できるし、顧客も喜ぶはずなのに。このように「管理」が人をしあわせにする例もあるのです。

ものづくりの現場での事例を紹介したましたが、ここで、元々の職場、リクルートの「管理」はどうだったろうかと考えてしまったわけです。はっきり言って、当時のリクルートは「管理」が嫌いな会社、下手な会社だったと思います。「管理」しないことがリクルートのダイナミクスを生み出しているともいえますし、製造業的な「管理」が必ずしも適しているとは思えません。ただ、一方で「管理」することを放棄しているのではないか?と思う部分もありました。このような「管理」の不幸が実際に起こっていました。営業担当ごとのスキルの差、基準が統一されていないヨミ表(売上の予測を管理するシートをヨミ表と言います)、慢性化している残業、工数管理の不徹底、メンバーの行動を把握していない管理職、属人的なスキルに担保される品質、様々な会議の形骸化・・・気になる現象は今思うと沢山ありました。いったん、「管理する」という視点を身につけると見方は大きく変わります。

私が、28歳に「管理」という視点を身につけてから、当時のリクルートの「管理」について「不幸だなあ」と思ったのは次のような事例です。

【事例1】「気持ちよいコスト削減」はできないのか?

コストにうるさくなってきていた当時のリクルート。でも、そのコスト削減の明確な基準が存在しませんでした。結果として、何をどう減らすか混乱が生じていましたし、達成感のある「気持ちよいコスト削減」ができませんでした。また「価値」や「品質」や「安全」に関わる「減らしてはいけないコスト」を減らしているケースも見受けられました。そもそも厳しい環境になってからコスト削減に取り組むこと自体、原価意識が希薄なのではないかというわけです。

【事例2】「XさんのAヨミとYさんのCヨミ、ちゃんと入ったのはどっち?」

前述しましたが、ヨミ表というものがありました。Aヨミは確実に申込書が入る案件(申し込み書が入る日付まで決まっている案件)、Cヨミは申し込み可能性が50%くらいの、まだ確実性が高くない案件です。営業のグループであれば、全社的に実施されていたのがヨミ会です。数字がいけそうかどうかを確認するわけです。しかし、グループごとにヨミの基準が違ったり、個々人によっても違うケースがありました。また、運用も徹底されておらず、「Aヨミ、なくなっちゃった!」とプレイング・マネジャークラスが真顔で話す場面も見受けられました。結果として、売上・収益の予測は大きくぶれてしまっていました。

【事例3】「あなたの残業時間、具体的に説明できますか?」

リクルートでは各業務でどのような作業がどの順番で何時間ずつ発生するか定義されていないことや把握されていないことが多かったです。そのため、個々人の業務負荷がみえない状態になっていました。結果として、同じ75時間の残業でも、業務負荷の関係で3人分の仕事を効率よくこなしてそうなった人もいるし、能力や取り組み姿勢の問題でそうなった人もいました。でも、業務の工数定義ができていないので実際に残業時間を減らそうとしても原因の追及ができないような状態になっていたのでした。「こき使われているのか、とろいのか」分からないというわけです。ちなみに、私はこの会社に出向してから、自分の仕事量を工数別に分解して把握できるようになり、残業時間の理由を具体的に説明できるようになりました。

こうしてみると、当時のリクルートは「基準」が存在しない状態や、現場の状況を把握していない状態で「管理」をしようとして嫌がられる「不幸な管理」になっていたのだと思います。もちろん、「価値を創造するためにはムダも必要。だから製造業と同じような管理はできない。」という意見もあるでしょう。そのとおりです。そもそも「管理」が必要な部分とそうでない部分もありますし、ムダやノン・マネジメント状態がダイナミクスやイノベーションを生む部分もあるでしょう。私も夜中まで企画書を書いて、〆日のぎりぎりに大型受注を決めてくる営業マンや、だらしない風貌と非効率な仕事の進め方ではあるが画期的な企画を生み出す編集マンなどが好きでした。でも「価値の創造」を言い訳に「聖域」をつくり、「管理」から逃げてはいけないのです。「不幸な管理」と結果としての「労働強化」が行われている現状に耐えるくらいなら、「しあわせな管理」を実現するための「基準」を創ればよいのではないか、と。

本当にコスト削減を行うための「原価管理」を行うためには、基準を設置することもそうですが、「会社にはタダのモノはない」ということを意識させるため、現場で原価がみえるような工夫をするなどの原価教育を具体的に行うべきなのですね。「気持ちいいコスト削減」が出来るように、コスト低減の目標設定を行い継続的に皆で盛り上がりつつ取り組むべきでした。商況が悪くなってから「構造改革」の名を借りた「コスト削減キャンペーン」という「処置」を行ったとしても「対策」にはならないのです。そもそも、「現場」のことをよく分からない人が「基準」や「指標」を作るから気持ち悪いのだなとも思うわけです。「管理」は「経営」だけが行うものではなく、「現場」の「個人」が働きやすくなるためにするものです。「管理」を他人事にすることにより、「不幸」が起きていないだろうかと思ったのです。「また上からコスト削減って言われちゃったよ・・・」という後ろ向きな話ではなく、「頑張ってこれだけコストを下げた、万歳!」と言える会社になれたのではないか、と。

どちらかというと、組織レベルの話を書いてきましたが、個人レベルでもそうです。書籍でお伝えしたような、時間を管理する手法を使ってみましょう。「管理する」ということは実は前向きな取り組みです。意識しましょう。

■時間にワガママになる

もう1つ意識したいポイントは、管理と真逆ではありますが、時間にワガママになるということです。ワガママもまた、時間のイノベーションをうみます。

突然ですが……。あなたがいま、やりたいことをいくつでもいいので、紙かパソコンのファイルに書き出してみてください。できれば紙に手書きの方が想いがこもるのでいいです。できるかどうかは、いったんおいておきます。やりたいと思ったことをとにかく書くのです。

意外に書けないかもしれません。そう、普段、会社勤めをしていると、ついついこのような「何かをやりたい」という衝動が抑圧されているわけです。「次回の○○のLIVEには絶対に行きたい」とか「専門学校に通いたい」など、何でもいいです。休日にやることだけではなく、平日にやることも含めて考えてください。

いったん書きだした後は、優先順位付けをします。全部は不可能なので、まず、絶対に譲れないものは何か、あるいはすぐにでもできそうなものは何かを考えます。

その上で、自分にアポとりをします。絶対にこの日は、この予定を入れる、というように。そして、その外せないアポから逆算して、自分の仕事時間のやりくりをするのです。

プライベートと仕事の両立のように書いてしまいましたが、仕事の中でもやりたいことがあるかと思います。先行投資的に、このプロジェクトを始めたい、新規事業立案に関わる仕事をしておきたい、などです。

このように、やりたいと思ったことに、とことんワガママになるのも、1つの手なのです。

こんな話をすると、真面目な人ほど「そんなにワガママになっていいんだろうか?」と思うことでしょう。ただ、それでもなんとかなってしまうものなのです。仕事をしていると「ムダだな、この時間」と思う時間は少なからずあるはずです。逆に「この時間は絶対に、自分の好きなことのために使う」と決めてしまい、覚悟すれば「そのためにはどうすればいいか」を考えることができます。

ちなみに、自分の時間を作るためのセコい努力として私が心がけているのは、繰り返しになりますが「予定を入れない」という予定を、予定表の中に設けてしまうことです。

また、会社員時代はその職場、現在は取引先ごとの「クセ」を理解することを心がけています。どういうことかというと、仕事をする上で、その組織なり個人がかなり細かくこだわるポイント、逆にあまり重要視しないポイントなどを理解するのです。すると力の入れどころがわかります。逆に言うと、努力してもあまり評価されないポイント、先方がこだわらないポイントも明らかになります。過剰品質にし過ぎないことによって、かけるパワーを減らし、時間を減らすことができます。

「重要ではない仕事をいかに軽量化するか」これも考えるポイントです。そのためには、プチ交渉がものを言います。「交渉」というと重く感じるかもしれませんが、要するに「お願いしてみる」ことだと思ってください。仕事が大変になってしまう理由は、仕事を「短期に、高いクオリティで、依頼された量を、一人で、一から」受けようとしてしまうからです。いや、個人がそう思い込んでいるだけです。「明日までに20枚のレポートを一人でやっておいて」みたいな依頼を真に受けたりしていませんか?そんなもの、無理です。こういう件は、実は相手もあまり考えずに依頼していたりするものです。特に、上司・先輩が若手社員に依頼する際はそうです。「交渉」までいかなくても、仕事の中身をちょっと「確認」するだけでも仕事は劇的に軽くなるものです。

短期に:時期を交渉できないだろうか?例えば、本当に明日まで必要なのだろうか?

高いクオリティで:本当はどれくらいのクオリティが必要なのだろうか?実はドラフトレベルでOKでは?

依頼された量を:そもそも、そんなにたくさんの量の書類が必要なのだろうか?

一人で:同僚や後輩、アシスタント、ひょっとすると上司・先輩を巻き込めないだろうか?外部の人にふれる部分はないだろうか?

一から:過去に出した企画書などのパーツを一部使えないだろうか?ひな形はないだろうか?

これだけで、だいぶ変わりますよね。ちなみに、これは私が時間短縮のために会社員時代からこだわっていることです。実にシンプルですが。さらに言うならば、「そもそも、その仕事をやる必要があるだろうか?」という視点まで持ち込むといいでしょう。例えば、書類などをつくる必要なゼロで、口頭での発表でいいんじゃないかという場合だってあるわけです。

そういえば、リクルート時代に聞いた先輩(のちの副社長)の武勇伝で、「入社3年目の時に、口プレ(口頭のプレゼン)で3億円受注した」というものがありました。やや極端な例ではありますが、ポイントさえつかめば可能ではあります。

私も20代の頃は長い企画書、プレゼン資料を作っていましたが、最近は最小限にしています。そのかわり、企画書のパーツやデータをいつもクラウドに保存していて、質問を受けた際にすぐに呼び出してお見せするようにしています。

このように「プチ交渉」をしてみる、そもそもその仕事は必要かどうかを考えると良いでしょう。

まとめると、時間にワガママになる。そのワガママを通すために創意工夫をする。これにこだわってみましょう。まずは簡単な練習として、1ヶ月以内に有給休暇を取ることを試みてください。1ヶ月あるなら、たいていの企業では迷惑はかからないはずです。そのために、時間をどうやりくりするか。仕事をどう見なおすか。考えてみましょう。

■私が意識が高かった頃 時間術の試行錯誤

『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)なんて本を出し、意識高い系の人を揶揄してきた私ですが・・・。実は私自身が意識が高い系の人でした。『日経ビジネスアソシエ』を定期購読し、ビジネス書にはまり、勉強会や異業種交流会に通っていました。いかにな意識高い系じゃないですか。

当時は私もたくさんの時間術を試していたものでした。そのたびに、たいていは失敗していました。本では語りきれなかった、私の失敗時間術をご紹介しましょう。

くれぐれも言いたいのは「手帳に振り回されるな」ということですね。いや、もっと言うと「人の手帳に振り回されるな」ということでしょうか。『日経ビジネスアソシエ』などに出ている手帳術特集ですが、私はたいてい読み飛ばすことにしています。なぜなら、そこで紹介される例は高度すぎて、上手く使いこなせないからです。さらに言うならば、自分の業務に合った、いや、自分の個性にあった手帳の使い方があるというわけで。読んでも圧倒されて「ダメだ、私」と思うだけであって、救われません。

ただ、手帳(Google Calendarなども含む)が大事であることは間違いありません。自分の業務や個性に合わない手帳を使うことほど、ストレスになることはありません。個人的に大失敗したのは、お洒落だという理由、クリエイティブっぽい人(笑)が使っているという理由からMOLESKINEのウィークリーダイヤリーを使っていた時期ですね。これ、たしかにお洒落で自由度も高いのですけど、目盛りがないんですよ。だから、直感的に可処分時間がどれだけあるのかわからない。結局、2ヶ月くらいで能率手帳に乗り換えました。今は、Google Calendarです。

あと、意識高い系の人達はやたらとデジタルガジェットを使います。いや、私もそれなりに使っていますよ。ただ、これもまた自分にちょうどいいものかどうかという問題がありますね。個人的な思い出で言うと、00年代前半に今は懐かしいPALM OSを搭載したSONYのPDA、CLIEを愛用していたのですけど、今思うと、これ、全然ダメでしたね。PCと同期して使うのです。Wi-Fiなどまだあまり普及していない時代だったのです。スケジュールの閲覧はともかく、入力などは絶望的でした。

この時期、学んだ時間術で役に立ったものもあります。それは「早めに荒いものを作って確認してもらう」というものです。完璧なものをつくろうとして、それを相手に確認してもらうよりも、荒いもの、β版を作って確認してもらった方が、仕事の命中率が上がって、時間の短縮につながるというものです。これは今も大事にしていることです。

結局、ポイントは自分に合っているかどうかです。覚えておきましょう。

■時間の主導権を取り戻す

最後に。現代社会は時間との戦いです。日々時間に追われています。ただ、この「追われる」状態というので、みんな苦しんでいるのではないかと思うのですね。本でも書きましたが、時間の主導権を取り戻すことにこだわりたいです。

昔、島耕作シリーズを紹介するキャッチコピーで「仕事に追われず、ビジネスを追う」というものがありました。ややかっこよすぎ、意識高すぎなのですけど、このマインドは大事だと思うのです。追われる立場ではなく、追う立場になる、と。やや精神論ですけどね。

1 気持ちよく

2 無理しない

3 怒られない

という、三か条にこだわりつつ、楽しくいきましょう。

時間の主導権を取り戻すのです。

※常見陽平公式ブログ試みの水平線から、加筆し転載

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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