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リコーの新型スマートグラスの正体〜実用的なARグラスのための革新的な2つのテクノロジー

塚本昌彦神戸大学大学院工学研究科教授(電気電子工学専攻)
リコーが発表した新型スマートグラス(開発中のプロトタイプ)(写真はリコー提供)

 リコーから新しいスマートグラスが発表された。2020年8月3日にリコーサイトにて概要が公表され、8月5日にディスプレイ関連の国際学会SID Display Week 2020 Symposium(イベントは8月3日から7日まで)にて口頭発表がなされた。ニュースでも多く取り上げられたので、知っている人は多いだろう。光学系の技術やオフィス系デバイスのマーケットを持つリコーがスマートグラス業界に殴り込みをかけたという印象だが、リコーは以前から電気調光素材などのスマートグラス関連技術の開発を行っていたので、長期にわたりこの分野への進出を狙ってきたものと考えられる。今回、試作機とはいえインパクトのある完成形のお披露目となったことで、内外の反響は大きかったのではないかと想像できる。本記事では、ニュース等では報道されていないSIDで発表された技術、すなわちこのスマートグラスの正体であるところの2つの新規技術について解説する。ちなみに、このスマートグラスは学会発表のためのプロトタイプであって、製品の発表ではないという点には注意してほしい。

 おおざっぱなイメージとしては両眼シースルーの軽量のARグラスということだが、写真から外部に線がつながっており、スマホなどの映像ソースが外にあるということがわかる。実際には外部には変換モジュールがあり、電源もそこから供給されているとのことだ。さらにその先にスマホなどの映像ソースがあることになる。

 今回の発表の技術的なポイントは2点である。一つは特殊な導光板でつくられたメガネのレンズ部であり、もう一つはテンプル(つる)のなかに仕込まれた中継レンズである。両者は基本的に独立な技術であり個別に使うことができるものだが、今回の試作機では両者を一体としてチューンしたようだ。

 最初の導光板部分についてだが、従来の導光板のほとんどがガラスのものだった。スマートグラスに使えるレベルの精密な表面加工がガラスでないとできなかったためだ。今回のものはプラスチックとのことで、その点がコストや重さ面で圧倒的に有利である。詳しいメカニズムは下記の図のようになっている。階段状のプラスチック表面の上にスリットミラーが蒸着加工されている。このスリットは非常に細く目のすぐ近くにあるので、目には全く見えず画面と外界が重なり合っているかのように見えるはずです。シースルーで前方が見える点、画面が外から見えない点についてもこの方式のもたらすメリットである。こういった導光板とスリット画像を組み合わせるテクノロジーとしては、LUMUS、マイクロソフトHoloLens、日立LGデータストレージ、Apple特許などで用いられているのだが、今回はそのどれとも異なるもので、プラスチック加工が可能なものという意味で重要性がある。

導光板のメカニズム。左側から入った映像がプラスチックの導光板部内を何度か反射したのち階段状のミラー加工がなされた楔形部分から目に向けて出ていく。(図は論文記載の図をもとに筆者が構成)
導光板のメカニズム。左側から入った映像がプラスチックの導光板部内を何度か反射したのち階段状のミラー加工がなされた楔形部分から目に向けて出ていく。(図は論文記載の図をもとに筆者が構成)

 もう一点の中継レンズは以下の図に示すようなものである。中継レンズ自体は内視鏡などでこれまでにも広く使われているもので、映像を光学的に中継するという公知の技術である。それをスマートグラスのテンプルに入れて、ディスプレイモジュールを後方に持ってくることでメガネの重量の前後バランスをよくするという点が新規提案にあたる。実際、多くのスマートグラスが前方に重心があり、下を向くとずれ落ちるものが非常に多いのが現状で、改善策としては後ろで縛ったり、後方にバッテリなどの重いモジュールを持ってくるなどの措置がとられている。今回の提案はそれに代わる新しい解決策となる。

中継レンズのメカニズム。左が従来方式で右が提案方式。ディスプレイモジュールを後方にもってきて前後の重量バランスをよくする。(図は論文記載の図をもとに筆者が構成)
中継レンズのメカニズム。左が従来方式で右が提案方式。ディスプレイモジュールを後方にもってきて前後の重量バランスをよくする。(図は論文記載の図をもとに筆者が構成)

 今回の試作機では、ソニーのECX336Cという高輝度なOLEDディスプレイモジュールとザインエレクトロニクスのV-by-One HS法を用いるチップで映像伝送を行っているとのことである。ソニーのOLEDもザインの伝送チップもスマートグラスの業界では非常にポピュラーなものだ。前者は最新の非常に高輝度なものである。結果として、論文中では実現可能なものとして視野角40度、解像度640*400、9軸センサー(加速度、角速度、コンパス)内蔵で57g、発表中では実際出来上がったものとして視野角35.9度、解像度640*400、49.7gという詳細スペックが公表されている。レンズ周りの太い黒縁は太いテンプルに合わせたデザイン的な要素であって、中に配線があるとかではないようだ。

 今後の方向性としては、一つはリコーからの商品化、もう一つは他社への技術提供あるいは部品提供の二つが考えられる。研究としてはさらなる広視野角、高解像度や伝送の無線化(バッテリの内蔵)を目指してほしい。プラスチックでメガネ部が構成できるということ、重量バランスを後ろに持ってこられるということはいずれも小型のARグラスでは重要な要求事項であり、提案内容は有力な技術であるといえる。Appleが近々ARグラス商品を出すという噂があるなど海外ではARグラスの盛り上がりがみられるが、それと比べると国内のARグラス熱は圧倒的に低いように感じられる。このような技術が国内から出てきたという意味で、国内での今後のこの分野の盛り上がりが楽しみだ。

 一つだけ残念なことは、このグラスに名前を付けてほしかったことである。

 動画でも解説しています:YouTube、ウェアラブルチャンネル「リコースマートグラスの仕組み」(2020.8.14追記)

参考文献

S. Hirano, et al., Super-Light Smart Glasses Using a Thin Plastic Light Guide Plate,

Proc. 2020 SID Virtual Display Week Symposium

神戸大学大学院工学研究科教授(電気電子工学専攻)

ウェアラブルコンピューティング、ユビキタスコンピューティングのシステム、インタフェース、応用などに関する研究を行っている。応用分野としては特に、エンターテインメント、健康、エコをターゲットにしている。2001年3月よりHMDおよびウェアラブルコンピュータの装着生活を行っている。NPOを立ち上げ、ウェアラブル産業の普及・振興に努めている。参考:ウェアラブルチャンネル(YouTube) https://www.youtube.com/channel/UCA2MKr5OFn-ZuxeKUbSfbcw

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