「ロッシが居なくなったら。。。」

引退の時はいつか来るとは分かっていながらも、その時は永遠に先延ばしされそうな気がしていた。少なくとも昨年までは、多くのファンや関係者がロッシの引退を想像できなかった。

そして今も、ロッシが引退した後のMotoGPをなかなか想像できない。

しかし、いよいよその時がやって来る。2021年11月14日(日)にスペインで開催されるバレンシアGPを最後に偉大なMotoGPスター、バレンティーノ・ロッシは引退する。彼の功績を振り返っていこう。

バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシ写真:ロイター/アフロ

3クラスともに王者に輝いたロッシ

ロッシはグランプリ(ロードレース世界選手権)に26年間も参戦し続けた「鉄人」だ。2021年の最終戦バレンシアGPで432回目の出走を迎えるロッシの記録は圧倒的で、歴代2位のアンドレア・ドビチオーゾはロッシに100回もの差を付けられている。ドビチオーゾは来季からMotoGPに再び参戦するが、この出走回数ナンバーワンの座を塗り替えるのは相当難しいだろう。

バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシ写真:ロイター/アフロ

また、ロッシは軽量級(当時125ccクラス)、中量級(当時250ccクラス)、そして最高峰(500ccクラス/MotoGPクラス)の3つ全てでチャンピオンに輝いたライダーで、3階級制覇を達成したライダーは過去に1人しかいなかった。最高峰クラスを500cc、MotoGPを別とカウントするならば4回となり、これは誰も達成できていない記録である。

1996年に125ccクラスでグランプリにデビューしたロッシは2年目となる1997年に11勝をマークして初のワールドチャンピオンに。そして、1998年に250ccクラスにステップアップして、これまた2年目の1998年には9勝を飾って王者に。さらに、2000年に当時の最高峰500ccクラスに上がると、2年目の2001年には11勝でチャンピオンになった。

125ccクラスで初めてのワールドチャンピオンになったロッシ(中央)。坂田和人(左)、上田昇(右)ら当時全盛の日本人ライダーを打ち破っていった
125ccクラスで初めてのワールドチャンピオンになったロッシ(中央)。坂田和人(左)、上田昇(右)ら当時全盛の日本人ライダーを打ち破っていった写真:ロイター/アフロ

そう、ロッシは参戦1年目から優勝し、参戦2年目には王座を獲得するという、ライダーとして理想的なキャリアを歩んできたのだ。後にマルク・マルケスが同じようなパターンで3階級制覇を達成することになるが、マルケスがルーキーイヤーでいきなりMotoGPクラスの王者に輝いたことで完全に上書きされてしまった。

マルケスは昨年怪我を負わなければ、最高峰クラス王者7回というロッシの記録でさえも上書きしていた可能性があるが、ロッシは現役最多となる全クラス合計9回という記録を維持したまま引退する。

500ccクラス時代のロッシ
500ccクラス時代のロッシ写真:ロイター/アフロ

グランプリのイメージを変えた男

ライダーとしての実力もさることながら、バレンティーノ・ロッシはエンターテイナーとしても偉大だった。

トップライダーたちによる激しいコース上でのバトル、メディアを使ったライバル同士の舌戦などがファンを刺激していた時代と違い、イタリア人らしい陽気な性格で、ライバルたちのコメントを様々なジョークやユーモアでかわして行く姿はかつてのオートバイレースにあった殺伐とした雰囲気を大いに変えていった。

ロッシはレースが終わってからもエンターテイナーだった
ロッシはレースが終わってからもエンターテイナーだった写真:ロイター/アフロ

スターティンググリッドやピットでカメラを向けられるとジェスチャーを使って明るく振る舞い、レースによっては自分の顔をヘルメットに描くなど、テレビのエンターテイメントとして楽しめる要素をたくさん提供していったライダーだった。

今やMotoGPではチャンピオン決定時にエンターテイメント性あふれる祝福のショーが開催されるのが恒例になっているが、ファンがクスっと笑ってしまう映像演出ができるのは、ロッシが作ってきた「ファンを楽しませる」振る舞いが原点にあるだろう。

バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシ写真:ロイター/アフロ

ファンは彼のニックネームである「ザ・ドクター」のロゴが書かれた黄色のウェアに身を包み、観客席で黄色の発煙筒を焚いて盛り上がる。その応援スタイルや雰囲気はF1のマックス・フェルスタッペンを応援するオレンジ一色の応援スタイルにも大きな影響を与えたと言えるだろう。

コース上の真剣勝負の一方で、新しいファンも親しみやすい空気感。今のMotoGPが楽しいエンターテイメントになったのは間違いなくロッシが居たからだ。

勝っても負けても応援し続けたロッシのファンたち
勝っても負けても応援し続けたロッシのファンたち写真:ロイター/アフロ

王者になってもチャレンジする姿勢

ロッシが魅力的なのは何も彼が目立ちたがりだからではない。やはりライダーとして魅力的だったのは、一つのメーカーに拘らず、王者として君臨していながら、メーカーを移籍して新しい環境に身を置いて、再びゼロからのチャレンジをしてきたことである。

ヤマハコミュニケーションプラザに展示されているロッシの歴代MotoGPマシン【写真:DRAFTING】
ヤマハコミュニケーションプラザに展示されているロッシの歴代MotoGPマシン【写真:DRAFTING】

2001年〜2003年、500ccクラスとMotoGPクラスをホンダで制した後、ヤマハに移籍。ヤマハでもさらに2年続けてチャンピオンを取った。ヤマハに7年在籍した後、母国イタリアのバイクメーカー、ドゥカティに移籍。かつてはタイヤメーカーによる競争が激しかった2007年にドゥカティはチャンピオンを獲ったが、タイヤのパフォーマンスに依存する部分も大きかった時代だ。

ヤマハ、ホンダに比べてパフォーマンスは厳しかったドゥカティをロッシがどう立て直すか注目されたが、結局、ロッシをもってしてでもドゥカティは優勝できなかった(最高位は2位)。

2011年、ドゥカティに乗るロッシ
2011年、ドゥカティに乗るロッシ写真:ロイター/アフロ

この時代も幾度となく引退が噂されていたが、2013年にはヤマハに復帰。全盛期のような圧倒的な速さはなかったが、2014年から16年まで3年連続の2位となり、新世代スターのマルク・マルケスの好敵手であり続けた。

年齢を重ねても、チャンピオンを獲ってもチャレンジを続けたロッシ。常にダート路面のコースを走ってバイクに乗るトレーニングを続けるなど、その努力はバイクレーサーを夢見る子供たちの憧れとなっていった。

ロッシのチーム、VR46のMoto2マシン。ライダーはロッシの義理の弟、ルカ・マリーニ
ロッシのチーム、VR46のMoto2マシン。ライダーはロッシの義理の弟、ルカ・マリーニ写真:ロイター/アフロ

ロッシが設立した「VR46」からはフランコ・モルビデリ、そして今季ワールドチャンピオンを争ったフランチェスコ・バニャイアなどロッシに続くイタリア人ライダーたちも成長を続けている。また、「VR46」は来季からMotoGPに本格参戦することになっており、引退後はチームオーナー、そして指導者としての手腕も大いに期待されている。

26年という長い期間にわたって世代を超えたファンを生み出してきたバレンティーノ・ロッシ。全てにおいてMotoGPのカリスマだった孤高のレーシングライダーの引退レースは全世界が今まで感じたことがないほどのエモーショナルな空気に包まれるだろう。レース後にどんな特別なセレモニーが待っているのだろうか。

母国イタリアのファンに感謝を伝えたロッシ
母国イタリアのファンに感謝を伝えたロッシ写真:ロイター/アフロ