佐藤琢磨も参戦する「NTTインディカーシリーズ」(以下、インディカー)で、若干24歳のアレックス・パロウ(チップガナッシ/ホンダ)が2021年のシリーズチャンピオンに輝いた。パロウはインディカー参戦まだ2年目ながら、3勝をマーク。終始安定した走りで着実にポイントを重ね、最後はチャンピオン争いを逃げ切った。

ロングビーチでチャンピオン獲得のチェッカーを受けるパロウ【写真:INDYCAR】
ロングビーチでチャンピオン獲得のチェッカーを受けるパロウ【写真:INDYCAR】

日本で愛された神対応

「日本育ち」という言葉が合っているかどうかは分からないが、2019年までの日本国内の主要モータースポーツを楽しんでいた方ならば、インディカーのアレックス・パロウを日本育ちと表現したくなる気持ちは分かっていただけるだろう。

スペイン出身のレーシングドライバー、アレックス・パロウは2017年に全日本F3選手権(現・スーパーフォーミュラライツ)のドライバーとして来日。2018年は一旦、日本でのレース活動から離れたものの、日本での評価が高く、2019年には国内最高峰のスーパーフォーミュラにデビュー。ルーキーイヤーでいきなり優勝し、チャンピオン争いに最後まで残るなど大活躍を見せたのだ。

2019年、日本のスーパーフォーミュラで大活躍したアレックス・パロウ(右)【写真:MOBILITYLAND】
2019年、日本のスーパーフォーミュラで大活躍したアレックス・パロウ(右)【写真:MOBILITYLAND】

国内レース界のスター選手になっていくパターンかと思いきや、彼の目は違うフィールドに向いていた。2019年の夏に元インディカードライバーのロジャー安川が繋ぎ役となり、インディカーのテストに参加。パロウはインディカーへの憧れが強く、2020年より日本の「チーム郷」の支援もあってデイル・コインレーシングからインディカーに参戦することになったのだ。

当時、この転向に対しては日本のファンから惜しむ声が多数上がっていた。日本で僅か2年しか走っていなかったにも関わらず、パロウは日本のファンに受け入れられただけでなく、その走りで彼らの心を鷲掴みにしてしまったのである。

もちろん走りだけではない。パロウは明るい笑顔と丁寧なファンサービスでも人気を獲得していった。いわゆるファンに対する神対応だ。

チャンピオン争いの最終戦でもファンサービスを笑顔で行うパロウ【写真:DRAFTING】
チャンピオン争いの最終戦でもファンサービスを笑顔で行うパロウ【写真:DRAFTING】

近年の国内レースは後にF1へと昇格するストフェル・バンドーンやピエール・ガスリーなどF1エリート候補生たちが話題をさらっていたが、彼らはすでに出来上がった優等生であり、どこか距離を感じる部分もあったのだろう。

一方でパロウの存在は彼らとは真逆。恵まれないレース環境でも、毎戦必死になってレースをするパロウにはどこか日本のレースファンが昔から好きな「雑草魂」を感じてしまうものがあった。

インディカーで才能が開花した

2020年、新型コロナウィルス感染拡大の中で始まった「インディカー」にデビューしたアレックス・パロウは、いきなり非凡な才能を見せつける事になった。デビュー3戦目のロードアメリカで初の3位表彰台を獲得し、その印象的な走りに関係者たちはパロウの獲得を急いだ。

2020年、インディカーにデビューしたパロウ
2020年、インディカーにデビューしたパロウ写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

そして2021年に移籍することになったのが、名門「チップガナッシレーシング」。インディ500の優勝4回、ドライバーズチャンピオンを13回(チャンプカー時代を含む)も獲得したトップチームである。

レースの環境は一気に強力な体制となったが、このチームには6度のインディカー王者に輝いた絶対王者、スコット・ディクソンが居る。フェリックス・ローゼンクビスト、マーカス・エリクソンら他カテゴリーで実績があるドライバーであっても、エースのディクソンを脅かすことはできなかった。

スコット・ディクソン
スコット・ディクソン写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

鳴り物入りで名門シートを掴んだパロウも同じようなパターンになるかと予想されていた中、移籍後の初陣となった今季開幕戦・アラバマでいきなり優勝。経験不足のオーバルコース、テキサスではポールポジション獲得。インディ500ではあと少しで優勝の2位と好成績を残し、シーズン3勝、10回のトップ5フィニッシュで見事シリーズチャンピオンを掴んだのだ。

いくら名門チームのドライバーになり、最高の環境を手にしたとはいえ、全16レース中7レースは未経験のコース。全3勝のうち2勝(アラバマとポートランド)は初めてレースをするコースだったことや、終盤の3戦(ポートランド、ラグナセカ、ロングビーチ)も未経験コースだったことを考えれば、パロウのチャンピオン獲得は偉業と言えるだろう。

エリオ・カストロネベスと優勝を争ったパロウ(後)
エリオ・カストロネベスと優勝を争ったパロウ(後)写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

そもそも近年のインディカーでは参戦2年目でのチャンピオン獲得というケース自体がほとんどない。スコット・ディクソンは1年目の2003年にチャンピオンを獲得しているが、チャンプカーを含めると3年目の王座獲得だったし、初のチャンピオン獲得までにダリオ・フランキッティは4年、ジョセフ・ニューガーデンは6年もかかっている。

このデータからも分かるとおり、インディカーはルーキードライバーや経験の浅い若手にとって厳しいレースと言える。

ビルヌーブも2年目で王者に

アレックス・パロウの偉業を見て思い出すのが、1997年のF1ワールドチャンピオンであるジャック・ビルヌーブの存在だ。

ジャック・ビルヌーブ
ジャック・ビルヌーブ写真:ロイター/アフロ

ビルヌーブは1995年にインディカー(当時チャンプカー)で参戦2年目にしてチャンピオンを獲得。インディ500でも優勝して、翌年からF1へとステップアップを果たしたドライバーだ。1970年代から80年代の伝説的ドライバー、ジル・ビルヌーブの息子というネームバリューもあったが、インディカーで実力を証明してF1へのチャンスを掴み、ワールドチャンピオンになるという異色のキャリアを歩んだドライバーである。

1995年 インディ500で優勝したジャック・ビルヌーブ【写真:INDYCAR】
1995年 インディ500で優勝したジャック・ビルヌーブ【写真:INDYCAR】

アレックス・パロウとジャック・ビルヌーブの共通点は参戦2年目でインディカーのチャンピオンになったというだけではない。ジャック・ビルヌーブは1992年に全日本F3選手権に名門トムスから参戦し、シリーズランキング2位を獲得。そこから舞台をアメリカに移し、そのキャリアを進めていったのだ。ヨーロッパから日本を経由して米国に行き、インディカー王者になった点でもパロウはビルヌーブと似た道を歩んでいる。

そう考えると、その先、インディカーからF1へというかつてビルヌーブが歩んだルートをパロウも歩んでいくことを期待したいものだ。しかし、2000年代にインディカーがオーバル主体のレースになったことで、この時代に両者には少し距離ができてしまい、近年はインディカー経由のF1というパターンはほとんど見られなくなってしまっている。

インディ500を走るパロウ
インディ500を走るパロウ写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

とはいえ、状況はこの数年で変わり始めた。インディカーはオーバルコースのレース数が減少傾向(今季はインディ500含む4レース)になっている。そんなこともあり、ロマン・グロージャン、マーカス・エリクソンなど元F1ドライバーたちが新たに参戦するようになってきたのだ。さらに、元レッドブルの育成ドライバーのパト・オワードがチャンピオンを争うなど、今やインディカーでは元F1ドライバーと未来のF1候補生たちが大きな存在感を示している。

アレックス・パロウ【写真:INDYCAR】
アレックス・パロウ【写真:INDYCAR】

「夢は達成した!次の夢を取りに行こう!」

インディカーの公式インタビューにそう語ったアレックス・パロウ。現実的な次なる夢は今年取り逃したインディ500の優勝であろう。

ただ、25歳以下でインディカー王者となったのは2003年のスコット・ディクソン以来。久しぶりの若手チャンピオン誕生だったことを考えると、その非凡な才能をF1やル・マンなど自動車メーカーの資金が流入するシリーズやチームが放っておくわけがないはずだ。

これからどんなキャリアを歩んでいくのか今の時点では分からないが、世界選手権のドライバーとしてパロウが日本にやってきて、ファンが「おかえり」と歓迎するチャンスが出てくる可能性もあるだろう。

そんなことを想像させてくれる、24歳の青年が自分の力で道を切り拓いた瞬間だった。