Yahoo!ニュース

【F1】過去には予選落ちも!難攻不落のモナコGPで奮闘した日本人F1ドライバーたち

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
モナコを走る小林可夢偉(写真:ロイター/アフロ)

モンテカルロにF1のエキゾーストノートが帰ってくる。2020年はコロナ禍で中止された、伝統の「モナコGP」が2年ぶりにモナコ公国のモンテカルロ市街地サーキットで開催される(決勝は5月23日)。

世界三大自動車レースの一つ、モナコGPに初挑戦するのが日本人F1ドライバーの角田裕毅(つのだ・ゆうき)だ。角田は昨年F1直下のF2に参戦していたが中止されたため、モンテカルロ市街地コースをF2で経験しないままF1にステップアップすることになってしまった。

モナコGPを前に記者会見に参加した角田
モナコGPを前に記者会見に参加した角田写真:代表撮影/ロイター/アフロ

かつてはアイルトン・セナジャン・アレジら新進気鋭の若手ドライバーたちが目覚ましい結果を残し(共に初モナコGPで2位表彰台)、トップチームからのオファーを受けることになった舞台。角田にもあっと驚くパフォーマンスを期待したい。

日本人を苦しめたモナコ GP

F1の年間カレンダーで最も重要なレースに位置付けられる「モナコGP」。現在のコースレイアウトは1周約3.3km。ヨットハーバー沿いを走るロケーションと大筋のレイアウトは1970年代から変わっていないのだが、安全性を考慮した細かな改修が時代ごとに行われている。

ガードレールに囲まれたタイトな市街地コースは1つのミスがレースウィークの流れを大きく変え、決勝では即リタイアにつながってしまう難しさがあるが、公道を使った市街地レースが開催されていない日本で育ったドライバーたちにとってモナコGPはまさに難攻不落のコースだった。

F1デビュー年、1987年の中嶋悟
F1デビュー年、1987年の中嶋悟写真:青木紘二/アフロスポーツ

1987年にF1デビューした中嶋悟(当時ロータス・ホンダ)は初めてのモナコで予選17番手を獲得。ただ、チームメイトのセナからは5秒以上離されるタイム。当時のロータス・ホンダは上位4チームに入るほどのポテンシャルがあったが、経験不足からセナに大きく差をつけられてしまった。

決勝ではトップから3周遅れながら10位完走。今で言うとポイント獲得となる順位での完走を果たした中嶋だったが、翌88年、89年と中嶋悟はなんと予選落ちを喫し、決勝に進出できないという憂き目にあっている。

続いた鈴木亜久里片山右京もモナコでは苦戦。半分以上のマシンがリタイアすることが多かったサバイバルレースのモナコだが、日本人ドライバーがトップ10に入ることは非常に困難だった時代があった。

日本人のモナコ最上位は?

2000年代になると、市街地コースでは日本人が苦戦するという定説が覆るようになってくる。東洋のカジノリゾート、マカオの市街地で開催されるF3世界一決定戦「マカオGP」で2001年に佐藤琢磨が日本人として初めて優勝を飾ったのだ。このレースはアイルトン・セナやミハエル・シューマッハらがF1デビュー前に優勝を飾った「若手の登竜門レース」。佐藤の優勝は一つの時代が変わった象徴でもあった。

佐藤琢磨が走らせた2004年のBARホンダ
佐藤琢磨が走らせた2004年のBARホンダ写真:ロイター/アフロ

しかし、そんな佐藤琢磨も初年度は予選16番手、決勝は接触によるリタイアと苦戦。ただ、BAR・ホンダでキャリア最速マシンを得た2004年は予選8番手と日本人で初めてのシングルグリッドからのスタートを得た。しかし、この時は2周目に派手にエンジンブローし、リタイアに終わり、マカオウイナーの佐藤でもキャリアを通じてモナコでは好成績を残せなかった。

日本人で初めてモナコGPでポイントを獲得したのは2008年の中嶋一貴(当時ウィリアムズ・トヨタ)だ。2008年にF1デビューした中嶋は初のモナコで予選14位から7位でフィニッシュ。かつて父の中嶋悟も得意とした雨のレースだったが、日本人初のモナコでのポイント獲得(入賞)を果たした。

2008年の中嶋一貴
2008年の中嶋一貴写真:アフロスポーツ

そして、日本人でモナコ最上位の成績を残したのは小林可夢偉だ。F3マカオGPでもポールポジションを獲得するなど市街地コースでも速さを見せていた小林は、参戦2年目の2011年のモナコGPで予選13番手から決勝で5位入賞(トップと同一周回)を果たした。5位フィニッシュはこの当時の小林にとっては自己ベストのリザルトで、トラブルでリタイアするマシンは少なく、18台完走の中での上位フィニッシュだった。

モナコを走る小林可夢偉
モナコを走る小林可夢偉写真:ロイター/アフロ

事前準備はOKの角田

日本人F1ドライバーのパイオニア達はモナコで非常に苦労し、外国人ドライバーの差が明白な時代があった。しかし、シミュレーターの充実、映像資料の充実、下位カテゴリー参戦(GP2/F2)などで事前にコースを経験できるようになったりと、昔に比べて事前に準備できることが増えてからは徐々にそのギャップが縮まっていったことがわかる。

近年では2016年にGP2で松下信治が日本人で初めてモナコの前座レースで優勝。この時はリバースグリッドのレースだったが、松下は2017年、18年のF2では正グリッドのフィーチャーレースでも2度に渡り表彰台を獲得。松下は残念ながらF1のシート獲得はならなかったが、もはや日本人が市街地コースが苦手という時代は終わったと言える。

角田裕毅のアルファタウリ・ホンダ
角田裕毅のアルファタウリ・ホンダ写真:ロイター/アフロ

今回、モナコに初挑戦する角田はEuro Formula Openで2018年にフランスのポー市街地、そして世界一決定戦のマカオGPで市街地コースの経験がある。「準備のために、シミュレーターの時間をたくさん取りました」と語った角田だが、第4戦・スペインGPでは苦戦し、予選で声を荒げたことが問題視された。

実際にアルファタウリ・ホンダのマシンはカタロニアサーキットの低速コーナーが続くセクター3で苦戦しており、低速コーナーが多いモナコでは厳しい戦いが予想されることは本人が事前のコメントでも語っている。

モナコを象徴する映像としてセナのオンボードがよくピックアップされるが、あの当時のシフトを操作しながら暴れるマシンをねじ伏せるようにコントロールする姿は過去のもの。当時のセナのタイムと2019年のルイス・ハミルトン(メルセデス)のタイムを比較するとレイアウトが若干違うとはいえ、1周僅か3.3kmのコースでありながら今の方が10秒以上もタイムは速い。

それだけダウンフォースが増え、マシンの安定性が増し、パワーユニットが最適なパワーを駆動に伝え、ラップタイムは短縮されてきている。マシンの素性が予選結果にもあらわれやすく、同じチームのドライバーが近い順位で並び、昔に比べるとドライバー間の差が生まれにくいのも事実。予選結果が大きく影響するモナコで厳しいレースになってしまうかもしれないが、角田に輝く何かをモナコで見せて欲しいと期待してしまうのは僕だけではないだろう。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

辻野ヒロシの最近の記事