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ファンデルマークが夢のMotoGPデビュー。鈴鹿8耐で名を上げたライダーがまた一人、世界の最高峰へ!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
鈴鹿8耐に参戦し、MotoGPデビューを果たすマイケル・ファンデルマーク

オートバイ・ロードレースの最高峰「MotoGP」に日本のレースファンにはお馴染みのオランダ人ライダー、マイケル・ファンデルマークが念願のデビューを果たす。ヤマハのMotoGPマシンを走らせる「Monster Yamaha Tech3(モンスター・ヤマハ・テックスリー)は10月27日(金)〜29日(日)にセパンサーキットで開催される「マレーシアGP」に2017年の鈴鹿8耐ウイナーのファンデルマークの起用を発表。体調不良により日本GPから欠場中のジョナス・フォルガーの代役としてスポット参戦する。

10月15日に開催されたMotoGP日本グランプリのスタートシーン【写真:MOBILITYLAND】
10月15日に開催されたMotoGP日本グランプリのスタートシーン【写真:MOBILITYLAND】

鈴鹿8耐育ちのオランダ人ライダー

スラッと伸びた手足、小顔で少年のような表情。まさに白馬に乗る貴公子のようなルックスを持つマイケル・ファンデルマークは今季、ヤマハのライダーとして「スーパーバイク世界選手権」に参戦し、ランキング6位につけている。今年の鈴鹿8耐でも優勝を果たしたが、2013年から5年連続で同レースに出場し、既に3度の優勝を達成。まだ24歳の若いライダーではあるが、今や鈴鹿8耐では戦力として欠かせない存在だ。

鈴鹿8耐でテスト走行するファンデルマーク
鈴鹿8耐でテスト走行するファンデルマーク

そんな彼のレースキャリアが始まったのは12歳の時。父と見に行った伝統の「オランダGP」を見て、レースの虜になってしまった。しかし、12歳という年齢はバイクレースではかなり遅いスタート。10代で軽量級(Moto3)、中量級(Moto2)などの世界選手権レースに登場する選手が当たり前の中、彼はメインストリームとは違う路線でキャリアを重ねてきた。

当初は他のライダーと同様に2ストローク125ccクラスで腕を磨いてきたが、2011年には排気量600ccのMoto2クラスにスポット参戦。細身ながらも長身の彼は4ストロークの排気量の大きなバイクの方が自分にあっていると感じ、翌年はヨーロッパの600cc市販車レースに出場。2013年には市販車ベースの「スーパースポーツ世界選手権(600cc)」にホンダから参戦していきなり優勝争いを展開した。

キラ星のごとく突然頭角を表したファンデルマークにホンダは鈴鹿8耐のテストのチャンスを与え、2013年にホンダのトップチーム「MuSaShi RT HARC PRO」の正ライダーに抜擢。600ccのライダーながら1000ccを器用に乗りこなし、鈴鹿8耐のルーキーながら走るたびにタイムを縮めていった。

2013年、鈴鹿8耐・テストに初登場した時のファンデルマーク。実は最初のテストはHARC PROではなく、TSRでのテストだった。
2013年、鈴鹿8耐・テストに初登場した時のファンデルマーク。実は最初のテストはHARC PROではなく、TSRでのテストだった。

2013年、高橋巧、レオン・ハスラムと組んで出場した「鈴鹿8耐」ではハスラムの怪我でリザーブ的な扱いから急遽レースライダーとして重要な役割を任されることに。彼のキャリアを考えれば、ホンダのファクトリー級マシンに乗れること自体がラッキーすぎるといっても過言ではない状態の中、落ち着いたレースぶりで勝利に貢献した。

翌、2014年になると戦力として認知され、レース中にヨシムラ・スズキから出場したランディ・ド・ピュニエを猛追し、オーバーテイク。この猛追が後に勝利への鍵となった。格上のベテランで元MotoGPライダーのド・ピュニエを抜き去り、大舞台で自信をつけたファンデルマークはその年の「スーパースポーツ世界選手権」でワールドチャンピオンを獲得。翌2015年、1000ccの「スーパーバイク世界選手権」にジョナサン・レイ(当時ホンダ)の後釜として抜擢され、トップライダーの仲間入りを果たした。

2013年、当時20歳で鈴鹿8耐に参戦した。
2013年、当時20歳で鈴鹿8耐に参戦した。

献身的な協力、ステディな走りが高評価

2015年からも「スーパーバイク世界選手権」に参戦しながら、鈴鹿8耐に参戦し続けたファンデルマーク。2015年はケーシー・ストーナー、2016年はニッキー・ヘイデンという元ワールドチャンピオン2人が「MuSaShi RT HARC PRO」に加わったが、それほどのビッグネームがラインナップに加わってもホンダのエースチームから外されることはなく、彼は鈴鹿8耐で確固たるポジションを構築していった。

そんなファンデルマークをホンダから引き抜いたのはヤマハ。「スーパーバイク世界選手権」の勝利のためというより、実は「鈴鹿8耐」の戦力として、ヤマハはファンデルマークを欲しがったのだ。2017年はホンダとスズキが新世代マシンを投入し、ヤマハとの差が詰まることが予想されていた。2015年にポル・エスパルガロ、ブラッドリー・スミスら現役MotoGPライダーの速さを活かし、鈴鹿8耐で19年ぶりに勝利したヤマハだが、追われる立場になった時の厳しさをその時から充分に認識していたのだ。鈴鹿8耐に招聘するライダーの選定はMotoGPのライダー移籍、その年の成績、スケジュールはもちろん、翌年の契約交渉(ストーブリーグ)にも左右される部分が大いにあるため、状況が常に流動的になりがちだ。つまりはそれに左右され、バイクの方向性も定まりにくくなる。そこで鈴鹿8耐で素晴らしい仕事ぶりを発揮していたファンデルマークと2017年に向けて交渉することで、ヤマハは3連覇に向けて盤石の体制を整えたかったのだ。

ファンデルマークの移籍、そしてヤマハの狙いは大成功。中須賀克行、アレックス・ロウズ、マイケル・ファンデルマークというヤマハYZF-R1をレギュラーでライディングするスーパーバイクトリオはライバルを寄せ付けない無双っぷりで鈴鹿8耐・三連覇を成し遂げたのである。

表彰台の中央に立つYAMAHA FACTORY RACINGの3人【写真:MOBILITYLAND】
表彰台の中央に立つYAMAHA FACTORY RACINGの3人【写真:MOBILITYLAND】

ロッシの代役出場は叶わずも

3度目の鈴鹿8耐優勝を達成したファンデルマークにビッグチャンスが舞い込んできた。9月のアラゴンGP、怪我で欠場のバレンティーノ・ロッシ(Movistar Yamaha MotoGP)の代役としてヤマハはファンデルマークの起用を発表。夢の「MotoGP」クラスデビューが、なんとロッシの代役という重責を任された。この事はいかにヤマハからの評価が高いかを物語っているといえよう。

しかし、パドックからはファンデルマークの起用に懐疑的な意見も聞こえてきた。スプリントのライダーとしては速さが光る「スーパーバイク世界選手の」のチームメイト、アレックス・ロウズを推す声だ。この時点ではロウズの後塵を拝することが多く、表彰台もまだ今季達成できていなかったファンデルマーク。速さでロウズが勝るのは誰の目にも明らかではあった。ただ、ロッシが欠場した「代役」という立場で、ロッシを上回るパフォーマンスを発揮できる逸材などそうそう居ない。ヤマハにとってはアラゴンGPでは何よりもステディにレースを戦い、データを持ち帰ることが重要だったはずだ。ファンデルマークはこれまで一度も鈴鹿8耐でチームを危機に陥れるミスをしていないライダー。そんな彼が指名されるのはごく自然なことだったのではないだろうか。

彼にとっては残念なことに、アラゴンGPではロッシがドクターからのOKをもらい出場。ロッシは驚異的なパフォーマンスを見せつけ、世界中のファンを興奮させることになった。

マイケル・ファンデルマーク
マイケル・ファンデルマーク

そしてまた訪れた「MotoGP」デビューのチャンス。日本GPでは野左根航汰が、オーストリアGPではブロック・パークスがフォルガーの代役に起用され、今回の「マレーシアGP」はついにマイケル・ファンデルマークの番だ。彼は「スーパースポーツ世界選手権(600cc)」時代にここマレーシア・セパンサーキットで優勝を果たし、その年のチャンピオンに輝いている。

勝利した思い出の地、セパンで夢を叶える24歳。遅咲きだろうと、メインストリームを歩んでなかろうと、世界の最高峰に挑戦するチャンスは巡ってくる。また一人、「鈴鹿8耐」を通過点に夢を叶えるライダーが現れた。そんな彼のMotoGPライダーとしての走りを応援したくなってしまう。マイケル・ファンデルマークが子供の頃に父と観戦した「オランダGP(ダッチTT)」を最高峰クラスMotoGPで走る日が、また一歩近づいたのかもしれない。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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