ついに発見!愛子さま成年のボンボニエール その珍しい特徴とは?
筆者が担当するBSテレ東「皇室の窓スペシャル」の放送をご覧になった方もいると思うが、その存在すら判然としていなかった「愛子さま成年のボンボニエール」は、各所への取材の末、現在開催中(~6/3まで)の学習院大学史料館の特別展「学習院制服事始」で展示していることが分かった。
その際、いろんな情報を提供してくれたのが、長年にわたって学習院、皇族、華族などに関する研究を行い、ボンボニエール研究の第一人者である、学芸員の長佐古美奈子さんだった。
今回、展示されている「愛子さま成年のボンボニエール」は、所有する個人の方から特別にお借りしているという。
では、そのボンボニエールは、どんなものだったのか。所在を知った筆者はスタッフとともに、すぐに学習院大学史料館を訪ねた。
◆愛子さま成年のボンボニエールの全貌
それは白い紙に大切に包まれていた。おそらく空気に触れると銀は変色しやすいことから、それを防止するためなのだろう。
長佐古さんがそっと白い紙を開けて、中から取り出したのは、何とも可愛らしいボンボニエールだった。
掌の半分ほどのサイズで、縦4センチ、横6センチ、高さが2.8センチの丸みを帯びた長方体だ。
表面の右側には、愛子さまのお印であるゴヨウツツジが上品にデザインされており、その斜め上には皇室の紋章である菊の御紋が配されている。
派手さや仰々しさはまったくなく、慎ましやかで控えめな愛子さまのイメージにぴったりだ。
長佐古さんが、特徴を詳しく解説してくれた。
「素材は銀で、一般的な銀製品に使われている、強度を与えるため銀を92.5%使用したスターリングシルバーです。このボンボニエールの最大の特徴は、蝶番がついていることです。近年のボンボニエールは、上蓋と本体がセパレートされ、完全にふたつになるタイプが大半なのですが、このボンボニエールは、蝶番がついていることで本体と上蓋が上下に開く形になっています」
確かに蝶番によって蓋と本体が分離しない形となっている。まるで古いオルゴールのように蓋を開けた瞬間、安らかな調べが聞こえてくるような、レトロでありながらロマンチックな印象を与えてくれる。
「蝶番が付いたボンボニエールは、近年ではとても珍しいものです。明治時代に作られていた初期のタイプですね。明治22年、大日本帝国憲法発布式の折、日本で初めて作られたボンボニエールも蝶番がついたものでした」
と、長佐古さんは解説してくれたが、なぜ今、ボンボニエール黎明期のデザインに似せて作ったのか、そのことまではわからないという。
日本の歴史に興味を持ち、深く学ばれている愛子さまの関心事を象徴するように、「ボンボニエールの原点」を復刻したのかもしれないと、筆者は勝手に想像を巡らせた。
◆ボンボニエールに込められた思い
この「愛子さま成年のボンボニエール」の存在自体が不明確であったのは、非常に限られた数しか作られず、皇族方やご親戚などお身内の方のみに配られ、一般の目に触れる機会がなかったからなのだという。
確かに愛子さまが成年を迎えられた時はコロナ禍とあって、お祝いの茶会や祝宴は開かれなかった。ティアラも黒田清子さんからお借りし、苦しい状況にあった国民を慮っての対応をなされた。
そんな中で、記念のボンボニエールもごく少数に限定し、ささやかにお祝いされたのだろう。その希少さは作られた数からも分かる。
長佐古さんによると…
「ボンボニエールは、お祝いの席の引き出物として配られますので、4年前の天皇陛下の即位を祝う饗宴の儀では、約2,500個のボンボニエールが作られました。しかし、愛子さまの、このボンボニエールは50~100個くらいしか、作られていないと思われます」
近年作られた銀製ボンボニエールは重量が約70~120グラムで、このボンボニエールは82グラムと少し軽めだ。素材となった銀は決してお安いものではない。できるだけ材料費をおさえた結果と思われる。
最初は作られたのかさえ分からなかったが、紆余曲折の末、見つけることができた「愛子さま成年のボンボニエール」。小さな銀色の、このボンボニエールは、可愛らしさの中に輝きを放つ、今の愛子さまのお姿と重なって見えた。
「愛子さまへとつながる皇室独自の文化 「ボンボニエール」の130年」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20230415-00345013