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樋口純裕「10年後もW杯を戦いたい」。引退も考えた競技歴15年目で見出したリード・クライマーの新境地

津金壱郎フリーランスライター&編集者
昨年のW杯リードで笑顔を弾けさせた樋口。写真:Eddie Fowke/IFSC

「そろそろ潮時なのかなと思っていましたね」

 3月2日(土)・3日(日)に千葉県印西市で開催される『第32回リード・ジャパンカップ』で優勝候補の樋口純裕(ひぐち・まさひろ)は、昨季の前半戦を振り返ると、土俵際に追い込まれていた心境を吐露する。

 昨シーズンは田中修太(今春から神奈川大1年)と本間大晴(今春から日本大2年)が、W杯リードのデビュー戦となった開幕戦で準決勝へ進出すると、第2戦のシャモニー大会では8名が争う決勝に駒を進めて、田中が6位、本間が7位。さらに田中は第4戦アルコ大会でも5位と躍動した。

 新鋭が輝きを放つのとは対照的に、第3戦のブリアンソン大会からW杯リードに出場した樋口は、第3戦21位、第4戦18位。不本意な結果しか残せず、国内のリード種目の第一人者としてのプライドは地に堕ちかけた。

「真剣に競技からの引き際を考えていました。成績がこのままダメだったら、来年はどうしようかな、と。でも、自分からリードを奪ったら何もやることないなという思いもあって、クラーニ大会にかけていました」

 昨季のW杯リードは7月末までに4大会開催され、世界選手権などでの中断期間を経て9月末の第5戦スロベニア・クラーニ大会で再開された。

 この大会に背水の陣で臨んだ樋口は会心のパフォーマンスを見せた。予選で18位になると準決勝は5位で通過。決勝は4番目に課題に挑んで、優勝したステファノ・ジソルフィ(イタリア)、2位のヤコブ・シューベルト(オーストリア)に次ぐ3位になった。

昨年のW杯リード第5戦クラーニ大会で、自身W杯リード29戦目にして初めて表彰台に立ち、失っていた自信を取り戻した樋口。(C)Eddie Fowke/IFSC
昨年のW杯リード第5戦クラーニ大会で、自身W杯リード29戦目にして初めて表彰台に立ち、失っていた自信を取り戻した樋口。(C)Eddie Fowke/IFSC

「自分の番が終わった時点で暫定1位。残っていた選手がフランチェスコ・ヴェトラータ(イタリア)と、ショーン・マッコール(カナダ)とヤコブとステファノの4人。ヤコブとステファノは自分より確実に格上だから、ショーンとヴェトラータの時は祈るような思いでした。3位が確定した時は「マジかー!」っていう気持ちだけでしたけど、表彰台に上がったときは、世界がこんなにも輝いて見えるのは久しぶりだなと感じましたね」

 高校2年生だった2010年の韓国・春川大会でW杯リードにデビューしてから足かけ8年29戦目で初めて立ったW杯リードの表彰台は、大会前に考えていた競技からの引退の二文字を完全に消し去るものになった。

「単に決勝に残れたのとは違って、表彰台に上がれたのが大きかったですね。ちゃんとトレーニングをして臨めば成果は順位として表れると実感できました。あの表彰台で東京オリンピックも「ワンチャンあんじゃね」と思えるくらいメンタルは復活しました(笑)。まぁ、現実的に考えれば、ボクの場合はオリンピックを目指すにはスピードとボルダーが足を引っ張りすぎてるんですけど(笑)」

 そう笑う樋口の目は5月の『コンバインド・ジャパンカップ』を見据えている。3種目の「ジャパンカップ」に出場した選手の上位20〜30選手がコンバインド・ジャパンカップに出場でき、そこで1位を獲得した選手には、8月の世界選手権への出場権が与えられる。

 2009年、2012年、2016年と世界選手権に過去3度出場した樋口は、昨年の世界選手権の日本代表の座を逃したことで、「もう一度、世界選手権は出たいんです」と意欲を燃やしている。

フィジカル強化の成果を実感する今季、本職のリードで存在感を発揮できるか

 昨年はその後、中国でのW杯リードに2大会に出場した樋口は、11月には鳥取県倉吉でのアジア選手権に挑んだ。仕事の兼ね合いで大会前に十分なトレーニングを積めなかったなかで、リードの予選と準決勝を1位で通過。しかし、決勝は7位に終わり、競技後は目を赤く腫らした。

「アジア選手権の決勝課題は自分のために作られたルートだと思ったんですけど、想定していたところよりも早くにパンプが始まってしまった。でも、練習してないのに1位になっていたら、また勘違いしていたかもしれないので、いま思えば結果的にはよかったですね」

アジア選手権リード決勝後は、予選、準決勝のパフォーマンスに魅了された子どもから、サインと写真撮影を求められた。筆者撮影
アジア選手権リード決勝後は、予選、準決勝のパフォーマンスに魅了された子どもから、サインと写真撮影を求められた。筆者撮影

 オフシーズンはフィジカル強化に重点を置いて取り組み、今年1月のボルダリング・ジャパンカップ(BJC)は17位、2月のスピード・ジャパンカップは21位に終わったものの、「フィジカルは仕上がってきた」と手応えを感じている。

「週2回のフィジカル・トレーニングの成果を実感できました。それだけにBJCはもう少し上位に行きたかったですね。スピードはほとんど練習したことがないので、あんなものです。ただ、リードでは出力の上がったパワーは生きると思っています」

 筋力のアップにともなって体重が増えることで持久力や保持力が弱まるデメリットもある。パワーアップで登りのスタイルが変わる可能性もあるが、そうしたことに「不安も抵抗もない」と樋口は言う。

「この2〜3年でスポーツクライミングを取り巻く環境は変わりました。フィジカルトレーニングにしても、以前ならクライマーには不要だという固定観念がありましたが、いまは競技に出る選手には当たり前になっている。どれが正解かわからないし、独りよがりかもしれないけれど、いまのボクは 『MOREパワー』に傾いていて、それで充実感を得られているんです。保持力や持久力を高めるトレーニングも積んでいるので不安はないですね」

 変化の真っ只中に身を置き、さらなるレベルアップに貪欲なのは、「デグのように、あと10年くらいは第一線でW杯リードに出たい」という目標があるからだ。デグとは、フランスのロメイン・デグランジュという今年で37歳になる大ベテラン。33歳だった2015年にW杯リードで初優勝し、35歳で臨んだ2017年シーズンにはW杯リード年間王者に初めて輝いた。

「リード選手のキャリアが長いことを、デグが身をもって示してくれているので、ここで諦めるわけにはいかないなって。彼は腕がパンプし始めてカラータイマーが点滅してからが強いんですよ。普通の選手なら力尽きる前兆なのに、デグはそこから平気で10手以上は伸ばしてくる。そういう彼の回復力や持久力が一番ほしい能力で、いまは彼のフォームを真似たりしながら研究をしているんですよ。ここからボクがまだまだ成長する可能性はいくらもあるので」

W杯リードのクラーニ大会では教え子の平野夏海(16歳)も、キャリア3戦目で初めて決勝に進出して6位。その成長は「自分の結果以上に嬉しかったですね」と樋口は振り返る。(C)Eddie Fowke/IFSC
W杯リードのクラーニ大会では教え子の平野夏海(16歳)も、キャリア3戦目で初めて決勝に進出して6位。その成長は「自分の結果以上に嬉しかったですね」と樋口は振り返る。(C)Eddie Fowke/IFSC

 その樋口にとって存在感を示すべき大会が、いよいよ幕を開ける。例年3月に開催されるリード大会は『日本選手権』の名が冠せられてきたが、今年はボルダリング、スピードと統一してリードも『ジャパンカップ』の名で開催される。

 1987年に第1回大会が行われてから2017年まで継続された『リード・ジャパンカップ』は、樋口にとって2012年と2015年に制したゲンの良い大会。さらに3月2日・3日の『第32回リード・ジャパンカップ』にエントリーしている男子67選手、女子46選手のうち、過去にリード・ジャパンカップと日本選手権の両大会で優勝経験があるのは、女子で野口啓代と田島あいか、男子で樋口純裕しかいない。

「優勝した時のリード・ジャパンカップは6月の開催でしたからね。3月開催のリード大会は、ボクのなかでは実質は日本選手権ですよ(笑)。ただ、大会名は何でもいいんですけど、今回は大晴(本間)や修太(田中)といったミレニアム世代に負けたくないです。昨年は彼らの台頭が刺激になった部分はあるけれど、まだまだ彼らを圧倒できる力があることを証明したいと思っています」

 競技への情熱を取り戻した樋口が、今季のリード戦線を先頭に立って引っ張っていく。

ひぐち・まさひろ

1992年9月7日生まれ、佐賀県出身。

身長 167cm

高校教師で山岳部顧問の父親のもと3〜4歳でクライミングを始める。小学生時代は水泳や柔道の合間に行う程度だったが、中学入学を機にクライミングに専念。2005年に国内ユース大会に初出場して2位。以降は羽鎌田直人などと同年代のトップを争った。佐賀北高が甲子園で優勝した翌年の2008年に佐賀北高へ入学し、早稲田大を経て現在はクライミングジムPUMP2に勤務する。リード・ジャパンカップに出場する樋口結花(多久高)は妹。

フリーランスライター&編集者

出版社で雑誌、MOOKなどの編集者を経て、フリーランスのライター・編集者として活動。最近はスポーツクライミングの記事を雑誌やWeb媒体に寄稿している。氷と岩を嗜み、夏山登山とカレーライスが苦手。

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