『年齢』や『身長差』、最年長ボルダリング選手が挑むアスリートの壁[クライマーズファイル]

前年2位の加島智子は、2017年大会は指の故障で本領を発揮できずに終わった(写真:田村翔/アフロスポーツ)

”若者のスポーツ”の固定観念を打ち破る30歳からのブレイクスルー

 ボルダリング、リード、スピードの3種目の複合成績で争われるコンバインドが、東京五輪の実施種目になって以降、スポーツクライミングを取り巻く環境は目まぐるしく変貌してきた。

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 そのひとつが競技年齢の低年齢化だ。国際スポーツクライミング連盟の発表によれば、競技に出場する選手の中央値は19歳。1月26日(土)・27日(日)に東京・駒沢屋内球技場で行われる『第14回ボルダリング・ジャパンカップ(以下BJC2019)』でも、女子の出場50選手の平均年齢は19.28歳だ。

 このため“若者のスポーツ”としてクローズアップされることが多いが、実際にキャリアのピークとなると、そうとばかりは言い切れないようだ。

 東京五輪の出場をモチベーションにする野口啓代は29歳にして世界トップレベルで争い、W杯リード通算27回の歴代最多優勝記録を持つ30歳のキム・ジャーイン(韓国)は、いまなおリードの第一線で活躍している。

 岩場に目を向ければ、18歳から20歳にかけてのW杯リード3連覇(04年~06年)、世界選手権リードで4回の優勝を誇るアンゲラ・アイター(オーストリア)は、31歳だった2017年に女性として世界で初めて5.15b(※)を成功させている。

※ルートの難易度。スペインにある全長50mの『La Planta de Shiva』。初登はアダム・オンドラ、再登はヤコブ・シューベルト。

 ただ、彼女たちは子どもの頃にクライミングを始め、10代で競技の頂点を極めたことで恵まれた環境に身を置いてきた、いわばクライミング界のエリートでもある。

 そうしたなか、20代半ばでクライミングを始め、30歳になって国内トップへと登りつめた選手がいる。

 加島智子、1982年7月23日生まれの36歳。今回のBJC2019では最年長の出場選手だ。

昨年12月に二子山でリード・クライミングを楽しんだ加島 写真提供:加島智子
昨年12月に二子山でリード・クライミングを楽しんだ加島 写真提供:加島智子

 加島がクライミングを始めたのは20代半ば。「すぐにハマりましたね」という彼女は、それまでの鍼灸師の仕事を早々に辞め、ボルダリングジムのスタッフに転職。以来「強くなることだけをドップリ」考えてきた。

 27歳で臨んだ2009年の『第5回ボルダリング・ジャパンカップ』は、初出場でいきなり9位。とはいえ、当時はまだ、流行に敏い人が『ボルダリング』を知る程度で、BJCに出場した女子選手数は27名。しかも、現在のような予備予選があったわけではなく、出場は大会での実績と岩場での実績を自己申告する時代であった。

 2011年の第6回大会は不参加、2012年の第7回大会は17位、2013年の第8回大会は10位だった加島が、大きな飛躍を遂げたのは30歳になってからだった。

 2014年2月の第9回大会で自身初の6名で争う決勝に進んで4位になると、翌年は5位。そして、2016年は優勝した野口啓代と互角の勝負を繰り広げて2位。頂点まであと一手に迫った。

 2016年8月に東京五輪の追加種目となってから迎えた2017年大会は指の故障に苦しんで13位。そして、昨年は7位。競技への注目度が上がっているのとは対照的に、加島の存在感が薄らぐ結果が続いた。このまま成長著しい10代に飲み込まれてしまうのか―――。

クライマーなら誰もが思い描く夢を実現させて陥った落とし穴

 インタビューのはじめに2018年大会のことを訊ねると、「メンタルがボロボロでしたからね。トレーニングもままならないくらい」と彼女は切り出す。

「私が弱かったというのが一番なんですけど。自分たちでボルダリングジムを始めたことのメンタル的な負担は想像を超えていましたね」

 2017年11月に、ご主人の加島健至さんとともに、埼玉県深谷市にボルダリングジム、Lutra Lutra climb parkをオープンした。

新規オープンに向けて多くのクライミング仲間から贈られたお祝いを手に夫婦で記念撮影 写真提供:加島智子
新規オープンに向けて多くのクライミング仲間から贈られたお祝いを手に夫婦で記念撮影 写真提供:加島智子

 この年の夏場に物件を決め、9月頃からクライミング仲間の協力などを受けながら工事を進め、クライマーなら誰もが一度は思い描くであろう夢を実現させた。

「私は乗り気どころか、ブレーキを踏みっぱなしでしたよ。それなのに旦那が勝手にどんどん進めちゃって。だって、不安しかないじゃないですか。お客さんが本当に来てくれるかわからないし、貯金が減るどころか、大きな借金ですよ。クライミングジムで働いていれば、安定してお給料がもらえて、好きなクライミングもできる。それなのに着工してからは、満足に登れない日が続きましたから」

 そうボヤく加島だが、その表情はにこやかな笑みをたたえている。

「私は環境の変化への耐性が弱いんですよね。いまはもう割り切れた……というか、後戻りできないだけなんですけど(笑)。ただ、やっぱり去年のBJC2018の頃は、メンタルがボロボロ。ジム経営のことが不安でいっぱいいっぱいで、自分のクライミングどころではなかったですね」

 着工した9月からオープン直後の翌年1月まで、満足にトレーニングできない状況にありながらも、BJC2018で7位は地力の高さを際立たせるが、そんな彼女が再び心からクライミングを楽しめるようになったのは、昨年3月頃だった。

専門業者による壁建てが終わって、11月にマット搬入。加島も小さな体でフル稼働した 写真提供:加島智子
専門業者による壁建てが終わって、11月にマット搬入。加島も小さな体でフル稼働した 写真提供:加島智子

ビレイパートナーが思い出させてくれたクライミングの楽しさ

「前に勤めていたジムのお客さんが、ルトラに来てくれたんですよ。その方は足が悪いんですけど、クライミングが大好きで。誘われて休みの日は一緒にリード(ロープを使ったクライミング)をするようになったことが大きかったですね」

 それまでの加島はボルダリング一辺倒で、進んでリードをやることは少なかったが、”刺激的な”ビレイパートナーの登場によって、毎週水曜日はリードの日になった。

「だって、凄いんですよ。選手たちはよく「力を出し切る」なんて言うじゃないですか。でも、一緒に登っている人が、そんな言葉が軽く感じるくらいハンパない底力を出すんですよ。自分自身を超えようとする姿。あれを見ていたら、大好きなクライミングができる環境にいるのに悩んでいる自分がちっぽけだなって思えて」

競技としてのボルダリングを継続する理由とは

 クライミングを楽しむ気持ちを取り戻した加島は、昨年4月からはW杯ボルダリングに出場。W杯に初出場した2014年重慶大会以来となる海外でのW杯ボルダリング2大会を含む3試合を戦い、そのすべてで準決勝に進出した。

「もうお腹いっぱいでしたね。全戦に出たいと思った頃もありましたけど、初めて1シーズンで3大会もW杯に出場してみて、全試合に出ている(野口)啓代ちゃんや(野中)生萌ちゃんたちの凄さがわかりましたね」

2014年4月、中国大会でW杯初出場する加島を、当時勤めていたボルダリングジムの常連客は壮行会を開いて送り出した 写真提供:加島智子
2014年4月、中国大会でW杯初出場する加島を、当時勤めていたボルダリングジムの常連客は壮行会を開いて送り出した 写真提供:加島智子

 

 その理由を加島は次のように説明する。

「大会出場のために日本と海外を行き来していると、飛行機に乗っている時間の方が長いくらいで、トレーニングなんて全然できないんですよ。そのなかで、彼女たちはいつも決勝に残る。私はジムを始めてから自分のために登る時間が以前よりも減ったんですけど、彼女たちに比べたらトレーニングの時間はあるなって」

 自分でクライミングジムを持っていると好きな時に登れそうなイメージがあるが、実情は「そうはいかないんすよねー」と加島は明かす。受付、セット替え、雑務、お客さんへのインストラクションなどがあり、それに加えて加島は他のクライミングジムからもセッターの依頼があるからだ。

 それでも加島は海外遠征を経験したことで「負けた時の言い訳がなくなっちゃいました」と笑う。夫婦共通の楽しみである岩場でのボルダリングを優先することも可能にもかかわらず、それでもなお競技を続けている理由はなにか。

「私にとって岩場も、競技も、ジムでのローカル・コンペも、ただ単にジムで登るだけの日も、すべてが同じ価値なんですね。それこそ、お客さんに登り方を教えるのも私のクライミングの一部だし……。登れれば嬉しいし、登れなければ悔しい。でも、それよりも『まずは登りたい』と思えることを大事にしたいなって」

岐阜県瓢ヶ岳(ふくべだけ)のフクベボルダリング・エリアの名作『ガルボ』(1段/2段)を登る加島 写真提供:加島智子
岐阜県瓢ヶ岳(ふくべだけ)のフクベボルダリング・エリアの名作『ガルボ』(1段/2段)を登る加島 写真提供:加島智子

 初心を取り戻した加島に、今年のBJC2019の意気込みを訊ねた。

「若い子たちのレベルが凄く上がっているので、順位はどうなるのかわからないですけど、どんな順位でも「出し切った!」と胸を張って言えるくらい楽しみたいですね」

 加島の言葉で、強く印象に残っているものがある。それは2017年のBJC準決勝で沈んだ直後のものだ。この年1月のBJCは、東京五輪の実施種目決定後に初めて行われたことで、高い注目度を集め、そのなかで中学2年だった伊藤ふたばが優勝し、中学1年だった森秋彩(もり・あい)が4位となった。

「ふたばちゃんも、秋彩ちゃんも1年間であれだけ成長したので、同じくらいのクライミング歴の私もまだまだ成長できるなって」

 

 この発言の裏にある“すべてをポジティブに変換する思考力”が、彼女の最大の武器だろう。それを取り戻した加島は、BJC2019では151cmの体を躍動させ、年齢という固定観念を吹き飛ばしていくはずだ。

 10代から20代前半の選手が主流という競技は、スポーツクライミング以外にも多くある。ただし、ほとんどの競技において、アスリートとしての限界点がそこにあるわけではない。転換期にあるスポーツクライミングにとって、競技の普及・発展・成熟のためには、いまの10代・20代前半のクライマーが30代になったときに、トップレベルで競技を継続できる環境を整える取り組みも欠かせないものだ。そして、それができたときに初めてキャリアのピークがどこにあるのか見えてくるのではないだろうか。