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仲間のいる高みへ。ボルダリング・ジャパンカップにかける名嶋祐樹の思い [クライマーズファイル]

津金壱郎フリーランスライター&編集者
昨年のボルダリング・ジャパンカップの模様(写真:中西祐介/アフロスポーツ)

たいせい君とヨシと、そしてナジ

 ボルダリング・ジャパンカップ2018(以下BJC。2月3日・4日@東京・駒沢公園屋内球技場)の注目選手として、前々回はスポーツクライミングのオリンピック強化選手に選ばれている緒方良行(記事はこちら)、前回は数少ないチャンスを生かして国際大会への扉を開いた石松大晟(記事はこちら)を取り上げた。

 ふたりがクライミングを始めたのは2008年。小学6年の石松は熊本県熊本市で、小学5年の緒方は福岡県久留米市で、登る楽しさに目覚めた。そして2013年、ふたりは石松が父親に連れられて久留米市内のクライミングジムを訪れたことで出会い、意気投合して頻繁に一緒に登るようになった。

 熊本市と久留米市。距離にして約75km。新幹線なら約30分、電車なら約1時間20分と近くはない。だが、同じ次元で登れる同世代が少なかったこともあり、The Ranch(熊本県熊本市)、ロックパーティ(福岡県大牟田市)、iMpACt久留米(福岡県久留米市)、Zip rock(福岡県糟屋郡)といったジムに集合してはレストする間も惜しんで腕を磨いた。

「土日だけじゃなく、平日も一緒に登っていました。学校が終わったら駅までダッシュして。夢中になりすぎて遅くなった時は、父に車で迎えに来てもらったり、疲れ切った時は母に頼んで新幹線を使わせてもらったりして」(緒方)

「ある日のロックパーティでは開店から閉店まで、ボルダリングとリードを叫びながら気合いで登り倒しました。あれは強烈に覚えていますね」(石松)

 学年がひとつ上の石松が高校を卒業して上京するまで2年間続いた日々を、「あの2年間は一番成長スピードが速かった」(緒方)、「あれほど登り込んだ時間は後にも先にもない」(石松)と振り返る。

 国際舞台で活躍するまでに成長したふたりのエピソードには、実はもうひとり登場人物がいる。

 名嶋祐樹、彼もまた高校時代に石松、緒方と一緒に切磋琢磨した仲間だ。

 彼がクライミングを始めたのは小学5年のとき。きっかけは同級生の緒方に誘われたことだった。運動は好きだけれど、小児喘息で走ることを避けていた少年は、すぐにクライミングの虜になり、放課後は緒方とジムへ一目散に向かうのが日課になった。それは中学を出て、緒方と別々の高校に進んでも続いた。

「たいせい君(石松)の強さは上のレベルにあって、ぼくとヨシ(緒方)はそこに追いつこうと必死で食らいついてく感じでしたね。あの高1、高2の濃密な時間があるから、いまがあります。最近は3人揃って登ることはほとんどないけれど、世界で戦うふたりのどちらかと一緒に登っても同じレベルで張り合えている。だから、もう一度っていう気持ちになれました」

今年1月の成人式に小・中の同級生の緒方(左)と一緒に出席した名嶋(右) 写真提供:名嶋祐樹
今年1月の成人式に小・中の同級生の緒方(左)と一緒に出席した名嶋(右) 写真提供:名嶋祐樹

クライミングを離れて気づいた自分の脆さ

 名嶋が「もう一度」と口にするのは、昨年はクライミングから距離を置いた時期があるからだ。理由は大会で思い描く結果が出ないことに疲れたからだった。

「5月下旬から7月くらいまでは、クライミングから目を逸らしていました」

 こどもの頃から2日と空けずに登ってきた彼にとっては辞めるに等しい感覚だった。

 緒方は高校3年での世界ユース選手権優勝を皮切りに国際大会へと飛び出し、石松もBJC2016で4位となった後はケガで遠回りしたものの、昨年5月上旬のボルダリング・ワールドカップ(以下ボルダーW杯)で6位となった。

 一方の名嶋は、高校1年で挑んだBJC2014は83位。翌年は36位。高校3年のBJCは出場しなかったが、スポーツトレーナーの専門学校に入学して上京してからは20歳以下のユース大会にも出場し、2016年の全日本クライミングユース選手権ボルダリングで11位。そして、昨年はBJC一般参加選手選考会(選考会)を通過して挑んだ1月のBJC2017で29位。5月中旬のボルダリングユース日本選手権2017は決勝に残ったものの6位に終わり、世界への切符はつかめなかった。

「ボルダリングユース日本選手権で初めて決勝に残ったけれど、負けた悔しさしかなくて。たいせい君とヨシは世界で戦っているのに、ぼくは国内で燻っている。自分がどれだけ練習したとしても、ふたりに追いつけないし、世界の舞台にも立てない気がして。それで選手としての自分を諦めかけました」

卓球・平野美宇の反撃の物語が転機に

 クライミングをしない1ヶ月半のなかで、テレビで卓球の平野美宇を取り上げた番組を観て、名嶋は初めて自分自身ときちんと向き合い、なぜ競技で結果が出ないかを考えたという。

 平野は2016年のリオデジャネイロ五輪の卓球女子代表から漏れ、サポートメンバーとして帯同したリオでの役目は練習での球拾い。その悔しさをバネにしてリオ五輪後の10月に、W杯で中国勢以外での初めての優勝という快挙を成し遂げ、昨年1月の全日本卓球選手権では女王の座についた。

「ぼくは平野選手のようなレベルにはないけれど、共感できる部分が多かったですね。それまで自分が思い描く結果が残せないのは、他の選手が強いからだと思っていて。でも、確かに他は強いけど、一番の理由は自分に足りてないものがあるからだと、ようやく受け入れられた。大会前に妥協していたのに、勝てない理由をほかのせいにして逃げていた。それに気づいて自分がどういう選手になりたいかをノートに書き出し、どうしたらなれるかを考えました」

 7月から少しずつクライミングを再開した名嶋は、「根本から変えないと大きく変化しない」と思い、それまでとは取り組み方を大きく変えた。

「以前はジムに行ったら、強い人とセッションしながらひたすら登って、「疲れたぁ」で帰っていました。でも、再開してからは自分の苦手な課題やムーブとも向き合うようにしました。スラブが弱点なので、体幹トレーニングをしたり、バランスを養う練習をしたり、登る日とトレーニングをする日を別々にした。登るにしても大会を想定して1トライ1トライに集中するとか、いろんな工夫をするようになりました」

 スポーツクライミングは岩場でのフリークライミングから派生した競技にすぎない。岩場に軸足を移す選択肢もあるなか、競技に戻った理由を名嶋は明かす。

「岩場もローカルコンペもジムでのセッションも好きです。だけど、高校生の頃にたいせい君とヨシと3人で、W杯の動画を見ながら、あの舞台で勝負することを目標にしてきた。だから、戻るのは競技というのは自然なことでした」

すべてを一新して臨んだBJC選考会を1位タイで通過

 BJCには五輪強化選手や前回大会21位まで、ユース大会の成績上位者などは本戦から出場できるが、それ以外の選手はBJC選考会でふるいにかけられる。名嶋も昨年12月のBJC選考会に挑んだ。

「普段の力を出せれば通過できると思っていたので、順位ではなく、自分に課したテーマを意識して臨みました。会場への向かい方、到着してからのストレッチの順番や方法、飲み物や食べるもの、それを摂るタイミングなど、細かい部分にまでこだわって出場しました。

 最も注意したのが、他の選手を気にしないということです。それまでの大会は会場に着いたら他の選手に目が行って、あの選手は調子良さそうだなとか、出番が自分と近い選手がアップしていたら自分も始めようかなとか、いつもまわりを気にしていた。

 だから、BJC選考会は自分にだけ集中して、自分のペースで準備をしようと心がけました。競技がスタートしても、それまでなら歓声で前の選手が登ったことが伝わってきたら、「次の課題は自分も登らないと」と焦ったけど、選考会は課題にだけ集中できました」

 選考会1課題目を1トライ目で完登すると、その後の4課題もすべて登り切った。前回選考会の39位から大きく順位を上げ、今回は1位タイで通過となったが、浮かれるとこはない。

「1位通過はうれしかったけれど、それよりも新しく試したことに手応えをつかめたことが少し自信になりました。ブラッシングやオブザベーションを丁寧にやって、1トライを大切にするというテーマもクリアできた。

 ただ、5課題目は「一撃したい」と欲が出て、2トライ目はその失敗を引きずったままで登れず、結局は登るのに3トライかかった。高いレベルに行くと1トライが大事になるのに、気持ちの切り替えがまだ下手なので、それが本番までの課題ですね」

昨年、福岡県代表として出場した愛媛での国体でリード決勝のミスを引きずった際、緒方に言われた「ボルダリングに切り替えよう」の言葉が響いたという名嶋。写真提供:名嶋祐樹
昨年、福岡県代表として出場した愛媛での国体でリード決勝のミスを引きずった際、緒方に言われた「ボルダリングに切り替えよう」の言葉が響いたという名嶋。写真提供:名嶋祐樹

今シーズンが決まる覚悟で臨む予選5課題

 石松や緒方のように世界の舞台に立つことを目標にしてきた名嶋が、BJC初日の予選を通過すれば、ボルダーW杯八王子大会の開催国枠代表に選ばれる可能性は高い。

「BJCの先のことは考えていません。目標をあげれば決勝に行くことだし、最低でも予選を通過して6月にあるボルダーW杯八王子の出場権を取りたい思いはあります。だけど、それはBJCの結果に対してついてくるものなので、意識しないようにしています。いまは2月3日の予選5課題に自分のベストを尽くして登る。それだけです」

 BJC初日は予選が行われ、男子予選は14時30分開始(予定)。出場選手は2グループに分かれ、ランキング上位からグループごとの5課題をトライ5分、待機5分を繰り返しながら競う。名嶋が予選5課題に挑むのは、1組目がスタートをしてから1時間30分ほど経過してからになる。

「勝負はステージに出て1課題目を見てから、5課題目の制限時間までの45分間。ここが今年1年を決めるくらいの気持ちで臨むので、自分の出番から逆算して、普段の練習からどのタイミングでウォーミングアップをするのがいいのかなど試しています。」

ふたりが知らない成長の証を見せたい

 緒方、石松、名嶋を個別に取材するなかで、緒方と石松が語った名嶋像が次のものだ。

「気持ちが優しすぎるから、これまでの大会ではメンタルの弱さが足を引っ張って結果が出なかったけど、ナジは間違いなく強いです。それは保証しますよ」(石松)

「ナジは強いですよ。本番で力が出せないタイプで、本人もそれを気にしているから、大会になると余計な力が入って、ますます実力が出せなくて。でも、ナジは昔から人前で見せないけど、陰での努力はすごい。かっこつけなんです(笑)。そのナジがBJC選考会とはいえ結果を残した。これからもずっと一緒に戦っていきたいのでBJCが楽しみです」(緒方)

 アマチュアスポーツで結果を出していない選手を取り上げることは、本人のデメリットになる可能性がある。好成績を残せなければ、心ない言葉が向けられたりもする。取材の最後にもう一度それを説明し、記事にしない選択肢もあると伝えると、名嶋は強い口調で「大丈夫です」と返してきた。

「覚悟は決まっているので。記事になっても、ならなくても、たいせい君とヨシから差をつけられているのは事実ですから。BJCでダメだとしても、結果をすべて受け入れて次に向かうだけ。

 

 たいせい君とヨシがいてくれるから、ぼくは世界の舞台に立つという目標を見失わずに来られた。ふたりが待ってくれているかわからないけど、ふたりと対等に戦うことで感謝の気持ちを伝えたい。そう決めているんです」

 2月3日に行われる男子予選に臨むのは96選手。2日目の準決勝には20名が進み、そのうち決勝戦に立てるのは6選手のみ。すべての選手がそれぞれの思いを胸にBJCを迎える―――。

なじま・ゆうき

1998年3月16日生まれ(19歳) 福岡県久留米市出身。身長170cm

「たいせい君とヨシとぼくの弟は同い年で、ふたりの弟はクライミングをしているのに、うちの弟だけはサッカーなんですよ」と残念がる。

フリーランスライター&編集者

出版社で雑誌、MOOKなどの編集者を経て、フリーランスのライター・編集者として活動。最近はスポーツクライミングの記事を雑誌やWeb媒体に寄稿している。氷と岩を嗜み、夏山登山とカレーライスが苦手。

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