九州電力が太陽光発電を停止することを決めた。電力の作りすぎによる逆潮流を防ぐためだ。でも、これって、太陽光発電を悪者にしていないか、何か変ではないか?それなのに電力を増やすために原発を再稼働するのか?

電力は発電と消費を基本的に一致させる必要がある。消費が多ければ、供給できなくなってしまうし、消費が少なければ過剰電力をどこかで消費しなければならない。九州電力はだから電力が過剰にならないように、予めソーラー発電の電力を送電線に乗せないことを決めた。せっかく自然エネルギーで発電し、環境を守り、地球を持続的可能な場所にしているのに、である。

だったら、どうやって解決するかだ。答えは簡単。九州電力で電力が余るのなら、足りない地域へ送ればよい。ところが、今の日本の電力網は、こんな簡単なことができないのである。本来なら、九州で余った電力を不足している北海道へ送ればよい。しかし、北海道-本州の送電線は容量が足りないため、先日の大地震では、余った電力を北海道へ送ることができず、停電せざるを得なかった。

日本は、狭い国なのに、互いに電力を融通しあえない国である。これがそもそもおかしいのである。本州と九州の間、さらに50Hzと60Hzの境界、本州と北海道の間、これらがボトルネックになっている。ボトルネックを解消すれば、もしかすると原子力は要らないかもしれない。地球にやさしいソーラー発電を止めてまで、極めて危険な原発を再開しようとしている。どう考えてもおかしい。

欧州では、各国が互いに電力を融通しあっている。ドイツが2020年代には原発をやめようとしているが、フランスから原子力発電で作った電力を譲ってもらっているのはおかしい、という声がでるほど互いに依存しあっている。デンマークからも風力発電で作った電力をドイツはもらっている。国や言葉、信じるべき宗教さえ違う国同士が電力を譲り合っているのに、なぜ日本国内で同じことができないのか。おかしいではないか。

原発再稼働よりも何よりも、日本全体で電力を融通しあえる送電網をまず構築すべきではないだろうか。今のままでは、北海道電力は自力で火力発電所を新設しなければならず、その電力コストは北海道民が負担することになる。北電経営陣の判断ミスで、苫東厚真発電所に大規模な設備を集中させてきた。リスク分散の考えを独占企業が持っていないこと自体がおかしいのである。

だからといって分散することは、もちろん多少コストが犠牲になる。しかし、万が一の時のコストはほとんどかからない。つまり、万が一のコストも加味して、リスク分散のコスト計算をすべきなのだ。かつて日本IBMの環境部長から聞いた話を思い出す。IBMでは全ての工場の環境管理にコストをかけ、汚染水が絶対に外部に漏れないように対策を打っているという。対策を打たずにいれば、万が一漏れた場合のコストは膨大になり、風評被害も含め企業が倒産しかねないからだという。そのようなリスクを背負った時のコストを含めると環境対策コストは微々たるものだ、という訳だ。

残念ながら日本企業は、リスクを考えた経営をしていないところが多い。例えば東芝メモリは四日市工場に巨大な半導体生産工場を作っている。万が一、南海トラフによる東海沖地震が来て崩壊などの事故が起きたらどうするのか。万が一の時のリスクを全く考えていないため、一緒に工場を運営しているウェスタンデジタル社は、シンガポールなどの地震のない海外にも拠点を作ることを提案していたが、東芝経営陣はやむなく岩手県の北上にも工場を新設することを決めた。ウェスタンデジタルを東芝経営陣は悪者扱いしていたが、世界の半導体企業の大手はインテルにせよTSMCにせよ、ほとんど全て代替施設を構築している。

電力を融通しあう送電網も同じような考えだ。万が一の場合の電力の不足、余剰に対応するためだからである。一刻も早く、次の災害に備えるために全国の電力網を見直し、融通しあえる体制を作るべきである。

                                                      (2018/10/15)