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エルピーダを再興させた坂本幸雄氏、ご逝去ニュースの謎

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長
在りし日の坂本幸雄さん エルピーダの社長時代 筆者撮影

 なぜだろうか、不思議でならない。いまだに日本の半導体にとって重要な人物の一人であった坂本幸雄氏が逝去されたというニュースをマスメディアが全く採り上げなかったことである。

 坂本さんは2月14日に心臓発作で帰らぬ人となったようで、家族だけで葬儀を行ったという。エルピーダメモリを再興させた坂本さんご逝去のニュースを、台湾メディアは一斉に報じていたのにもかかわらず、26日まで日本のメディアはどこもこのニュースを扱わなかった。27日にようやく日経が採り上げた。

図 エルピーダメモリ社長時代の坂本幸雄さん  出典:筆者撮影
図 エルピーダメモリ社長時代の坂本幸雄さん  出典:筆者撮影

 台湾のメディアは、坂本さんご逝去のニュースをほとんどが採り上げていたことと対照的だ。台湾の有力メディアであるDigiTimesは坂本さんを「最後の日本のメモリ指導者」、別のメディアは「日本半導体の父」や「半導体産業の救世主」と称えた。

 坂本さんは、日本体育大学を出て、日本テキサスインスツルメンツに入社した。ここで倉庫番から始め、最終的に副社長になられた。しかし、日本TIは社長を外から採用した。坂本さんは、日本TIを出てメモリやファウンドリなどの企業を経て、2002年、日立製作所とNEC、三菱電機との合弁会社エルピーダメモリの社長に迎えられた。

 当時のエルピーダは、大手DRAM部門同士が一緒になり、大企業病にかかっていた。坂本さんは「毎年400億円の赤字を連続3年垂れ流しているのに、出張にはファーストクラス、日常はゴルフの話ばかりの役員が多かった。彼らには親会社に帰ってもらった」と語っており、日立やNECなどからの独立を図り始めた。

 DRAMのような大量生産品は、巨大な設備投資を行い、ウェーハの大口径化と配線線幅の最小化、すなわち微細化を行いコストダウンしていくビジネスである。日立もNECも子会社扱いしたのにもかかわらず、エルピーダ設立後はもう資金を提供しないから自分で利益を上げよ、と言っていた。しかし投資せずに利益を上げることはできない。そこで、坂本さんは、資金調達するため欧米を中心に回り、Intel Capitalをはじめファンドから1800億円の資金を集めた。これを元手にエルピーダに投資、DRAM量産で遅れていた設備を一新させ低コストで生産する仕組みを構築した。翌年早くも黒字化を達成した。そして、2011年には世界第3位のDRAMメーカーになった。

 歴史を簡単に書いたが、その中身には坂本流が満載されている。一つは社員のストックオプション。米国企業のストックオプションは役員レベルにしか与えられないが、元TIにいた坂本さんは社員を優先して与えた。もう一つは業績と連動したボーナス。エルピーダは米国企業のように四半期ベースで決算報告を行うが(現在は日本企業の多くが四半期ベースの決算を行う)、営業利益率が15%を超えたら社員に0.75ヵ月分のボーナスを与えた。20%を超えたら役員にもボーナスを与えた。社員のやる気は高まった。

 しかし、リーマンショックによる影響はじわじわ製造業を締め付けてきた。金融業界はエルピーダに対して全く資金を貸してくれなくなった。キャッシュフローが尽きたところで会社更生法を適用したが、工場は運営し続けた。坂本さんはエルピーダ広島工場に管財人として残り、売却先を求めて奔走した。Micron Technologyに売却することで従業員の雇用を守ることができた。

 その後、中国において活動し始めた中、2月14日に心臓発作を起こし帰らぬ人となった。台湾メディアがいうように坂本さんはエルピーダを再興させた人間であり、リーマンショックがなかったら、、、と今でも思う。

合掌

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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