きのえつよしが語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#17】
2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。
♬ ライヴ・アルバムの制作が縁で関わることに
神楽坂にあったTheGLEEという小さなアコースティック・ホールに7年ほど務めていたんですが、そこでshezooさんのトリニテというグループを担当させていただいて、ライヴ録音したものをリリースしたりしていました(『Prayer–sabato santo』2018年)。
そのあと退職して、自分の会社を立ち上げたのが2020年の10月。そのことをTheGLEEでお世話になった方々にご挨拶かたがたお知らせしていたら、それがshezooさんの目に止まったらしくて、年末ぐらいに〈マタイ受難曲2021〉の企画が立ち上がっているということでご連絡をいただいたのが、関わるきっかけになります。
そんな流れで〈マタイ受難曲2021〉に、配信・録画・録音というかたちで参加することになりました。
♬ 映像の時代を見越して学んだ技術を投入
もともとはバークリー音楽大学出身で、卒業してから東京で作曲や編曲などの音楽の仕事をしていました。いわゆるDTMと言われているパソコンを使ってアレンジをするような仕事です。サエキけんぞうさんのサポートなんかもやったりして、40歳ぐらいまではそんな感じで過ごしていたんですが、41歳でTheGLEEに就職、スタッフというか肩書きは“部長”でしたけど、ライヴハウス運営の統括的な仕事を担当していました。
アルバム制作をするレーベルの事業部の立ち上げなどを提案し、“音響の良いライヴハウス”を前面に出したハイレゾ音源でのリリースなんかをやっていました。
私ぐらいの世代で音楽に携わろうと思うと、“専業”が難しいという考え方が強くなっていて、大学当時からミックスとかエンジニア的なこととかを意識して学ぼうと思っていたんですね。それから動画関係の仕事もこなせるようにしたいと考えていた。
それもあって、TheGLEEを退職するときに、今後は動画と音楽の結びつきがますます強くなっていくんじゃないかと、それで映像制作の会社を立ち上げたんです※。
※GardenNotes Music公式チャンネル https://www.youtube.com/channel/UCWpWJCt76CqnRQWwDF-doZQ/featured
♬ グールドのピアノしか聴いたことがなかったバッハ
正直に申しますが、音響が良いと評判でクラシック畑の演奏家にも評価の高いTheGLEEというライヴハウスにいたにもかかわらず、クラシックには明るくないんですよ。
記憶にあるのは、友人の一人にグレン・グールド(ピアノ)好きがいて、彼にグールドが弾いているバッハのアルバムを“聴かされた”というのがあるぐらい。だから当然、〈マタイ受難曲〉も知りませんでした。
で、1日目を観たときにほとんど“初めて”という感じだったんですけれど、これはエラいものに関わってしまったな、と。あまりにも壮大なスケールだったので、呆然としてしまったというのが正直な感想でした。
1日目は配信の予定がなくてカメラリハーサルのような気分で観ていたんですが、観ておいてよかったなと思いましたね。
そもそもshezooさんからお話をいただいたときには、チラシの内容程度のものだったんですが、仕事として淡々とこなしていけばいいと割り切っていた部分もあったと思います。それが1日目を観たことで圧倒されてしまって、それをどうやって伝えられる映像にするかを、2日目を迎えるにあたって考えたところはありました。
カメラは当初から4台の予定で、それをワンオペで撮っていました。今回はツイキャスでの配信で、チケットを購入していれば2週間はアーカイヴを観ることができるようになっていたんですけれど、画質なんかに関しても証明さんに良い仕事をしていただいていたので、すごくやりやすかったと思っています。
それから、出演者の方々は本番直前まで変更が続いてタイヘンだったようですけれど、こちらは台本も進行表もない状態で臨みましたから、その点のプレッシャーは感じなかったというか。
逆に、台本があると、それを追おうとして、スイッチングなんかが遅れてしまうんですよ。これはほかの現場でもそうなんですけれど、基本的には“流れ”を感覚でとらえていくようにしないと、映像は作れないんですよね。
撮った映像に関しては、最初はいろいろと編集の手を加える予定だったようなんですが、結局はほとんどそのままで作品になっています。
個人的にも、自分の経歴として誇れる作品に関わることができたと思っているんですが、実際には私があれこれ手を加える必要がないぐらい、シッカリとした構成のステージだったということなんです。