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酒井康志が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#13

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♬ 酒井康志の下ごしらえ

 音楽一家ではなかったけれど、父親がオーディオマニアでクラシック愛好家だったので、家にはレコード・コレクションがそろっているという環境。

 小学校へ上がると、父親所蔵のコレクションを勝手に引っ張り出して“遊び道具”にするようになる。親が勧める運動は性に合わず、家で音楽を聴き続けているうちに、兄の影響もあって10歳にしてストラヴィンスキーに親しむようになるが、もちろんすんなりと理解できたわけではない。

 しかし、「わからない音楽はわかるまで聴けばいい」という兄に従って何百回も聴くうちに〈春の祭典〉をそらんじるようになり、いつの間にか現代音楽のハードルが著しく低い小学生ができあがっていた。

 中学になると吹奏楽部に所属して、ユーフォニアムを手に音楽の道への憧れをもったものの、親の反対を受けて断念。

 そんな高校進学のころに出逢ったのがマイク・オールドフィールド(1953年イギリス生まれのマルチインストゥルメンタル・プレイヤー。200回の多重録音で制作したデビュー作『チューブラー・ベルズ』が1974年公開の映画「エクソシスト」に使われて大ブレイクした)。無調の現代音楽に慣れた耳にも刺激的で、以降はプログレッシヴ・ロック方面へも食指が動き、グレン・グールドのようなレコーディングに特化したクラシックのピアノ演奏家がいることを知るに至って、演奏以外の音楽分野への興味を膨らませていく。

 バンド活動の一方で音響として劇団にも顔を出すようになり、ボーダレスなパフォーマーとして活動を続けるようになって現在に至る。

 VOCALOID(=ヤマハの開発した音声合成システム)の初音ミク(2007年から展開されている女性のバーチャルアイドルのキャラクター)との出逢いはSNSのmixiで知り合ったダンスミュージック畑のミュージシャンやDJたちとのコラボで、パソコンを使って音楽制作をするようになったことから。

 当初から「初音ミクにシェーンベルクを歌わせようとしていた」という、“筋金入り”のオペレーターなのである。

♬ “遊び道具”として身近の存在だったバッハ

 オーディオマニアでクラシック愛好家だった父親がドイツ音楽好きということもあり、家にはバッハのレコードがたくさんありました。

 そのなかに〈マタイ受難曲〉も当然のようにあったわけですが、なにしろLP4枚組とか5枚組というヴォリュームなので、聴き通すにはハードルが高すぎる作品だという記憶があります。

 中学高校でハマっていたグレン・グールドもバッハをたくさん扱っていて、そういう意味ではバッハって身近な存在ではありましたね。

 特にグールドのアプローチは、いまの自分のサウンドづくりにも大きな影響を与えていると思います。右手で弾くべき美しいメロディを、あえて左手で演奏することで際立たせて見せるようなことが、彼ならできたりする。それをバッハでも現代音楽でもやれるところがスゴいんですけど。

 shezooさんにお目にかかったのは、いちばん古い記憶では震災(2011年東日本大震災)の直後ぐらいかな。

 その前に、初音ミクにシェーンベルクを歌わせて発表しているんですけど(FOMALHAUT名義、2010年10月から2011年2月にかけてシェーンベルク作曲〈月に憑かれたピエロ〉の計7曲をニコニコ動画/SOUNDCLOUDにアップ)、震災後に1年ほどかけてバルトークの〈ミクロコスモス〉全6巻153曲を収録するピアノの練習曲集をとにかく全曲、初音ミクに歌わせるというプロジェクトを始めて、それが終わるか終わらないかというころでshezooさんの存在を知ったんだと思います。

 shezooさんもバルトークを取り上げたライヴをやってらっしゃって、ジャズでもなくクラシックでもないというボーダレスな活動をされていたので、公園通りクラシックス(東京・渋谷)だったと思うんですが、ライヴをされるときに観に行ってご挨拶したら、意外にもshezooさんも初音ミクの動画のことを知ってらっしゃったんですね。それが初対面。ライヴではとても知的な音を出される方だなぁと思って、話してみるとご本人はすごくポジティヴでエネルギッシュ。ある意味、作ろうとする音楽とイメージが一致する人だなぁ、って。

 その後も、トリニテを観に行っていたりして、お目にかかると「一緒になにかやりましょう」というお誘いはあったのですが、実際の共演はこの〈マタイ受難曲2021〉のプロジェクト。2018年ぐらいのことだったと思います。

♬ 初音ミクに合唱パートを歌わせたいというリクエスト

 その段階では、まず〈マタイ受難曲〉の全曲を、ジャズやクラシックの枠にとらわれない演奏者と、合唱を入れてやりたい、とおっしゃっていました。オリジナルには“ソプラノ・イン・リピエーノ”という少年合唱パートがあって、その部分を初音ミクにも歌わせたい、というリクエストだったんです。

 さすがに生演奏に合わせてドイツ語の初音ミクを歌わせたことはなかったので、とりあえず音源を作ってみて、何度かshezooさんとやりとりを始めました。

 その時点で初音ミクを生演奏で歌わせることに成功していたのは、冨田勲先生の〈イーハトーヴ交響曲〉だけだったと思うんですけれど(2012年11月23日に東京オペラシティで大友直人指揮、日本フィルハーモニー交響楽団により初演)、それ以外の舞台でミクちゃんのホログラムが出てくる場面では、音自体は全部打ち込みというか、タイムコードが打ってあって、ミュージシャンがそれに沿ったクリックを聞きながら演奏している、というスタイルだったと思います。つまり、人間(=役者)がミクちゃんに“合わせる”ということですね。

 今回の〈マタイ受難曲2021〉では、ミクちゃんが曲に合わせて歌うということなので、技術的にどう解決すればいいのか、その時点ではわかってなかったんです。

 で、準備を進めているうちに、最初に予定していた公演日(2020年5月)がコロナ禍の影響で流れて、2021年2月になりましたという連絡が来た。私は「野外でやることになっても付き合います!」と言ってたんですが、その時点からまたまた内容が変わってきて、どうやら合唱隊との共演は感染症対策上好ましくないので、掛け合いの合唱入りの曲の一部と、15曲ぐらいあるコラールすべてについて「初音ミクでやれないか」というリクエストが飛んできたんです。

 〈マタイ受難曲〉って、コーラスが2グループに分かれて掛け合いをするんですよね。それを初音ミクでどうやって表現するのかを、本番の半年前の時点でなにも手がかりがない状態から考えなければならなくなっちゃったんですよ。だから、2020年9月以降はもう、私の生活は〈マタイ受難曲2021〉一色でした。

 プロトタイプの音源を作ってはshezooさんに送り、ある程度曲数がたまるとshezooさんとスタジオで実際にピアノを弾くのに合わせて、その場で初音ミクを再生して歌わせる、というのを繰り返していました。例えば、フェルマータに初音ミクがどれだけ対応できるのかとか、どの程度揺れてしまうのかというのが、実際に音を合わせてみないとわからないので。それでまた、スタジオから自宅へ戻って修正する、という繰り返しでしたね。

 やっていて感じたのは、1970年代のプログレのミュージシャンって、こんな気持ちで作品を作っていたんだろうなぁ、って。メロトロンっていう楽器があって、鍵盤の数だけ楽器本体のなかに磁気テープがぶら下がっていて、その長さ分の7秒間だけ音が出るというものなんですけど、演奏者はその7秒をギリギリまで使おうとして、ドキドキしながら弾くわけです。それと同じようなことを私は、音符単位で初音ミクにやってもらおうと頑張っていた、という感じかな。

〈マタイ受難曲2021〉で“ボーカロイド・オペレーション”を担当した酒井康志(写真提供:木村秀子)
〈マタイ受難曲2021〉で“ボーカロイド・オペレーション”を担当した酒井康志(写真提供:木村秀子)

♬ あくまでも“歌い手の初音ミク”として参加するために

 ほかのメンバーの方々は、直前まで楽譜が届かないとかタイヘンだったようですけど、それなのにあんなにスゴい演奏ができるんだから、さすがですよね。そういう意味では、私はまったく違うテンポで本番までの作業をしていました。というのも、ボーカロイドの場合は段取りの99%まで事前にできあがっていないと話にならないですから。

 発声のタイミングはもちろん、歌詞の内容も理解してのボーカロイドの参加でなければ意味がないし、そんな意味のないことをshezooさんが望んでいるわけはないと思っていました。ドイツ語独特の発声の仕方もあって、摩擦音は音符より前に発しなければならないんです。その摩擦音のあとにアクセントの頭が来るというような言葉では、摩擦音に合わせて発音させてしまうと遅れてしまう。その部分では、私が手動で初音ミクの「シュッ」という声が聞こえた瞬間に指を離して次のキーを押す、というような対応をしていました。

 そんなふうに人間に近づけようと音を刻んでいるうちに、最終的には88鍵の鍵盤では間に合わなくなって、61鍵の鍵盤を2段にして105鍵の鍵盤にして対応しました。あ、理論上は122鍵使えるんですが、オクターブが重なったりするので、最も刻んだ曲で105のアサインが必要だった、ということです。オクターヴシフトの機能を使うと同じ鍵盤で1つ上の音にアサインできるワケなんですけど、それをやるとミスが多くなるから、今回は1鍵1音のアサインにしました。

 鍵盤上の音の配置も自由に決められるのですが、これもやはりミス防止のため、下から順に。なので本番中、指の動きとしては半音階を上行しているだけです。

 楽譜も用意していたのですが、楽譜の音符の並びを見てしまうととっさにその音符を弾いてしまいそうになるので、楽譜は曲の進行の確認だけに用いて、実際の演奏は波形データの方を見ながら弾いていました。

 振り返れば、〈マタイ受難曲2021〉に関して、ほかの演奏者にクリックを聞きながら合わせてもらうという方法を、最初から考えてなかったんですよ。shezooさんにも相談したことがなかった。あくまで私が、いや、初音ミクが、生の演奏に合わせる、と。

 もちろんそれは、初音ミクが生で歌っているわけではなく、サンプラーを順番に再生しているだけなんですけれど、タイミングや強弱を含めて、初音ミクが生演奏のできる演奏家になったのが、あの公演だったんじゃないかと思うんです。

 実は本番の初日、それまで起きたことのないクラッシュが発生して、1曲目が終わったところでパソコンが動かなくなっちゃったんですよ。エヴァンゲリストが語っているあいだになんとか再起動できたので間に合ったんですけど。

 そんなハラハラドキドキの本番でしたが、コロナ禍の影響による終演時間の制限でカットせざるをえなかった曲もあったので、ぜひ初音ミクの成長した姿の“全貌”を見ていただける機会がまたあることを願っています。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:さかい やすし 作曲家、鍵盤楽器奏者、ほかにカリンバ、テルミン、短波ラジオ、初音ミクなどの“演奏”

札幌市出身。オーディオ好きの父親の影響で幼少からクラシック音楽を聴いて育つ。年の離れた兄の影響で10歳にしてストラヴィンスキーや新ウィーン楽派を聴くようになる。15歳のときにマイク・オールドフィールドの音楽と出逢い、多重録音を志向。

1990年、カンタベリースタイルのジャズ・ロックバンド“Calyx”結成。1994年、劇作家・高野竜(作詞)と作詞作曲ユニット“FOMALHAUT”結成。ヴォーカルに鈴木あかね(こんにゃく座)を迎え北関東を中心にライブ活動。1stアルバム『虹』(2000年)、2ndアルバム『春の嵐(Gertrud)』(2008年)。

2008年には、RAKASU PROJECTとのユニット“ミン藝喫茶「あミン」”に参加。脚本・演出・実験台・湯吞ミンその他を担当。また、テリー・ライリー〈IN C〉を多重録音した「独りIN C」を制作。

2010年、初音ミクにシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を歌わせてボカロ・デビュー。PVがウィーンのシェーンベルク博物館で無断で紹介されていることを喜んでいる。

2013年から“〈IN C〉生演奏オフ会”主催。

酒井康志(写真提供:酒井康志)
酒井康志(写真提供:酒井康志)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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