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千賀由紀子が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#01

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♪ 千賀由紀子の下ごしらえ

 ピアノを習っていたのは小学校まで。というのも、中学のときに大阪から神奈川へ引っ越してきたのだが、そのときに先生が見つからなくて、やむなく断念したから。だから、修了したのは赤バイエルと黄バイエルまでだった。次に進もうか、というところで「終わっちゃいました」。

 聴くほうについては、ざっくばらんにいろいろなジャンルの曲へ触手を伸ばしていた。フィフティーズみたいなのが好きな時期もあれば、ジャニス・ジョプリンが好きになったり。それからもちろん、“ベストテン世代”ということで、“1980年代のアイドルはフツーに好き”な学生時代を過ごす。

 そんなフツーの高校生だった千賀由紀子が悩んだのは、将来の進路だった。どういう方向へ進めばいいのかと、迷いに迷っていた彼女がとりあえず選んだのはとある専門学校。「絵本を描いてみたい」という動機を満たしてくれる選択だったはずが、「ろくな授業がなくて……」という結果になってしまう。

 それで1年でやめて、絵を学ぶにはまずデッサンからと、学校に通い直すことにして3年間、美術の勉強にいそしんだ。

 さて、就職活動という段になったものの、何処かに就職するという選択ができずに思い悩んでいたところ、バイト先で声優をめざしている人と出逢う。

 すると、声の世界を覗いてみたいという欲求が生まれ、養成所に入所。

 そこは声優と俳優を育成するための養成所で、1年目は声優希望者と俳優希望者が同じカリキュラムをこなし、2年目から専門に分かれるというシステムだった。

 その1年目で舞台の戯曲と出逢い、触れ合ったことで、舞台の魅力にはまってしまう。養成所の2年目からは俳優を選択。そこから、俳優人生が始まった。

〈マタイ受難曲2021〉でエヴァンゲリストを演じる千賀由紀子(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉でエヴァンゲリストを演じる千賀由紀子(撮影/写真提供:永島麻実)

♪ タルコフスキー経由だったバッハ体験が一気に身近に

 バッハについて興味を抱いたのは、だいぶ大きくなってからでしたね。例えば、タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」でバッハのコラール・プレリュード「主イエスよ、私はあなたを呼ぶ」へ短調(BWV639)を耳にして「わぁ、なんてステキな曲なんだろう」って思ったり。とは言っても、「マタイ受難曲」はタイトルを知っていただけという感じだったんですけど。

 shezooさんと出逢ったのは、横濱エアジンでした。"未踏の地"という、ゆいさん(ゆい。Soleiyu eye / ピアノ、コーラス、メロディカ)とNorikoさん(Noriko Suzuki / ヴォーカル)のユニットに、朗読で何度かご一緒させていただいて、そのうちの一回に多治見智高さん(ヴァイオリン)とも共演させていただいたのですが、あるとき、多治見さんとshezooさんが一緒にエアジンでライブされていて、それを聴きに行ったんですね。

 そのときに、shezooさんのほうから、「よかったら朗読でコラボをやりましょう」って声をかけてくださったんです。それがすごく嬉しくて。私にとって“未踏の地”で音楽と言葉の共演ができたことがとても刺激的だったので、shezooさんとも共演できたらどんなことになるんだろう、って。

そのあと、"透明な庭"(shezooと藤野由佳 / アコーディオンのユニット)のライブも聴きに行く機会があって、いつかご一緒してみたいなという思いが強くなっていきました。

 そうこうしているうちにコロナ禍になってしまったんですが、そんな時期に私もなにかできることはないかと考えていたら、エアジンのうめさん(うめもと實 / マスター)から「なにかやらない?」って声をかけていただいて、そこで初めて、私からshezooさんにお声がけするかたちで、2020年の6月にshezooさんと北沢直子さん(フルート)と私との3人でのライブが実現しました。

♪ エヴァンゲリストを知らずに請けたエヴァンゲリスト役

 〈マタイ受難曲2021〉については、本当にタイトなスケジュールだったので、夜中に打ち合わせをやったりしてましたね。LINEでやりとりしていたんですが、寝落ち寸前みたいな……。

 エヴァンゲリストのグループLINEができたのって、2021年の1月15日だったんですよ。公演日のほとんど1ヵ月前。だからもう、ホントに駆け足で準備していたという感じですね。

 私に「エヴァンゲリストで出演してくれませんか?」って声をかけていただいたのが2020年の7月で、とにかく楽しいに違いないからすぐに「ぜひやらせてください!」ってお返事したんですが、実際にはなにをすればいいのかぜんぜん把握できてませんでした。

 そもそもエヴァンゲリストというのがなにかも知らなかったので、まずはYouTubeで〈マタイ受難曲〉を観て、そのときようやく「たいへんな役目を引き受けてしまった……」と思ったんです。とりあえず、自分で役が見えてくるまでやってみるしかないな、と。

 実際の打ち合わせでは、shezooさんが作ったプロットについて、例えば「大きな夕陽が肩越しに沈んでいくのが見えた」という部分を、“肩越し”を省いて、「大きな夕陽がゆっくりと沈んでいくのが見えた」にしたらどうか、に修正していく感じです。言葉の配置や省略によって、それを聴いたお客様にどういう景色を連想してもらえるだろうか……。そういう作業を、shezooさんと西田さん(西田夏奈子 / エヴァンゲリスト)と私とであれこれ話し合い、最終的な判断はshezooさんにお任せするという感じでしたね。

 “ふっつり消えた”と“ぷっつり消えた”では、ほんのちょっとの違いなんですけれど、でも、微妙にニュアンスが変わってくるので、そこには皆んなでこだわったというか……。

 それと、衣装。本番直前までかなり迷ってました。ゲネプロ(本番同様に舞台上で行なう最終リハーサル)まで私も西田さんも、エヴァンゲリストは舞台の端にいて、自分の出番が来たらスッと立って喋るというイメージだったんです。まさか、ど真ん中にいなければならないとは思わなかったので……。急遽、あまり存在感が出ないような、モノトーン系の衣装にしようと考えていたら、shezooさんが「そうじゃないんです」って。

 それで考え直すことにして、1部と2部で衣装替えをして色も使って、劇場の背景や壁の色も配慮して、ということになりました。

♪ 振り返れない立ち位置で全神経を集中

 本番は、とにかく全身のあらゆる神経、いつもは使っていないような神経もぜんぶ張り巡らして向かった、という感じです。

 西田さんとも、Zoomでは打ち合わせしていましたが、直前のエアジンでのセリフ合わせをするまで直接お会いしたこともなかったので、リアルではどういう声のトーンなのか、その時点でようやく確認できたという感じでしたから。

 それと、エヴァンゲリストは中央に配されたわけですけれど、そうすると演奏者の動きとか合図を確認することができないんですよね。キョロキョロしたらぶち壊しですから。そういう意味でも、あらゆる神経を使いまくっていたという感じです。

 ただ、実際に舞台が始まると、すごくステキな音楽が流れていて、そこにエヴァンゲリストのセリフを「責任をもって送り出さなくちゃ!」みたいな気持ちになってました。

 これがshezooさんが言っていた「歌わないオペラというかミュージカルをやりたかった」ということだったんだ、って。

 私、現実に現われたその世界があまりにもスゴすぎて、エンディングの曲を聴いているときに胸の高鳴りが抑えられず、涙がツーッと流れていたんですね。だから、この舞台に参加してみて、なにかをつかんだというよりは、“つかまれた”という感じだったんじゃないかと思っています。

 今回、shezooさんが考えられた〈マタイ受難曲2021〉を上演することに関して、マイクを使っていたりクラシック畑じゃない演奏者や歌い手だったりと、非難があるかもしれないという心配を耳にしたんです。しかし、こうした企画、機会をつくってくれたからこそ、〈マタイ受難曲〉の世界観に触れることがなかった人も、たくさん会場に来てくれたり配信を観てくれたりしたんだなぁ、って。

 ですので、エヴァンゲリストのセリフもそうでしたが、非難を恐れずに〈マタイ受難曲2021〉を実現させたことも含めて、「なにか行動を起こす」ことの大切さを伝えられたというか……。そのためのパワーの源になりえた作品だったんじゃないかと思っているんです。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:せんが ゆきこ 女優

1972年生まれ、 兵庫県出身。CRG所属。1997年~2020年、劇団AUN(吉田鋼太郎主宰)に所属。主にシェイクスピアを中心に活動。その他、さまざまな団体に出演し、活動の場を広げている。特技は藤間流日舞。出演TVドラマ:「3年A組–いまから皆さんは、人質です–」(2019)、「神ノ牙–JINGA–」(2018)、「声ガール!」(2018)、「先に生まれただけの僕」(2017)、「グッドパートナー~無敵の弁護士~」(2016)、「ナポレオンの村」(2015)。

千賀由紀子(写真提供:千賀由紀子)
千賀由紀子(写真提供:千賀由紀子)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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