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なぜASEANの重鎮たちは日本の対中政策に苦言を呈したのか

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカ・バイデン大統領肝いりの経済連携構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF(アイペフ))」が5月23日、始動した。だが影響への評価は定まらない。早くから環太平洋経済連携協定(TPP)に復帰できないアメリカの「苦肉の策」との指摘もあり、効果には懐疑的な目も向けられてきた。焦点は、東南アジア諸国連合(ASEAN)をどれだけ取り込めるか、だった。

 結果、ASEAN加盟10カ国のうち、7カ国が参加することになった。この数字をどう評価するのかは置くとしても、来日した各国の首脳たちの態度が煮え切らなかったのは間違いない。やはり、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」のだろうか。

 ASEANには対中包囲網の構築であるIPEFに警戒感がある。日本の役割は、「ASEANをアメリカ側に引き込むこと」だとされ、「橋渡し役」という言葉がメディアに躍った。しかしASEANの受け止め方は必ずしもそうではなかった。

 来日しメディアの取材に応じたシンガポールのリー・シェンロン首相やマレーシアのマハティール元首相の言葉からは、米中対立に巻き込もうとする日本の動きを警戒しけん制する発言が聞かれたからだ。

日本は歴史問題の解決を

 来日したリー首相は、東京で開かれた第27回国際交流会議「アジアの未来」に出席した。シンガポール出発前には主催の『日本経済新聞』の取材にも応じている。

 そのインタビューのなかでリー首相は、中国をどうとらえるかについて、「今やアジアの多くの国にとって中国は最大の貿易相手だ。アジアの国々は中国の経済成長の恩恵にあずかろうとしており、貿易や経済協力の機会の拡大をおおむね歓迎している。中国も広域経済圏構想『一帯一路』のような枠組みを作り、地域に組織的に関与している。我々はこうした枠組みを支持している」とし、またTTP加盟も「歓迎する」と明言している。

 日本では「債務の罠」だと極めて評判の悪い「一帯一路」を肯定的にとらえている違いが分かるが、その上でリー首相は「中国が繁栄して域内の各国と協調を深める方が、国際秩序の外で孤立するより好ましい」と中国へのスタンスに言及した。つまり、IPEFの目的が「排除」であれば、それは好ましくないと言ったのだ。

 さらに興味深かったのは、「アジアの未来」に登壇したときのスピーチだ。リー首相は、日本がアジアで役割を果たすため、として「歴史問題の解決」に言及したのだ。

 シンガポールの『聯合早報』はその発言を、「日本は自らの歴史をどのように処理するかを考えた上で、長期的に未解決となっている歴史問題を解決するべきだ。そうすることで初めて、日本は地域の平和に対してより大きな貢献ができ、オープンで包容性のある地域の枠組みの構築、維持に参加することができる」と報じている。

 『しんぶん赤旗』はさらに詳しく、〈リー首相は『日本はアジアの未来に不可欠の存在』としたうえで歴史問題に言及し、『日本は戦後、侵略した国々と十分に和解しなかった』と指摘。問題を未解決のままにしてきたことが日本とアジア諸国の『信頼を構築することを難しくしてきた』と強調しました〉と伝えている。

ASEANに対立は必要ない

 訪問した日本でわざわざその国にとって耳の痛い話題に触れたのだから、これが日本への強いメッセージであることは間違いない。もちろん「橋渡し役」に対する緩やかなけん制だと考えるべきだ。

 興味深いのは、先に触れたマハティール元首相も別の観点から日本に苦言を呈したことだ。マハティール氏は日本でNHKのインタビューに応じ、IPEFについて「中国を排除し、対抗しようとするものだ」と否定的に評した上で、ASEANとのスタンスの違いを以下のように語っている。

「経済発展には安定が必要で対立は必要ない。アメリカは中国を締め出すことに熱心なようで、南シナ海に艦艇を送り込んでいる。いつか偶発的な事故が起きて暴力行為や戦争になるかもしれない。これはASEAN諸国の経済発展にとってよいことではない」

 マハティール氏は首相在任中、日本の先進的な工業技術などを学ぶ「ルックイースト政策」を推進したことで知られる知日派で日本に対する評価も高い。それはリー首相も同じである。

 従来であれば二人の口から厳しい日本批判が聞かれることはなかったのではないだろうか。では、なぜ彼らはそろって日本の動きにくぎを刺したのか。それは日本がいま、米中対立をASEANに持ち込み、彼らを巻き込もうとする迷惑な存在になり始めているからだ。

 日本外交にとって日米関係は土台である。しかしアメリカの点数を稼ごうとするあまり他国の利益を蔑ろにすれば、失うものも大きい。日本はあくまでアジアの一員なのだ。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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