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会社員の「失言」が炎上する時代に学ぶべき、井上康生監督と大野将平選手の絆

徳力基彦noteプロデューサー/ブロガー
井上康生監督と柔道男子の日本代表選手達(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

選手達の活躍で大きな盛り上がりを見せた一方で、開催直前まで様々な問題が噴出した東京五輪。

その東京五輪の開催期間中に、会社員の「失言」炎上騒動も繰り返されていたのをご存じでしょうか。

いわゆる「失言」の炎上騒動といえば、女性蔑視発言問題で東京五輪組織委の会長を辞任することになった森会長や、さまざまな失言で日本人の感情をさかなでして物議をかもしたIOCのバッハ会長、最近では金メダルを勝手にかんだ上に後藤選手に失礼な発言を繰り返していたと言われる河村市長など、政治家や芸能人などの著名人によるもの、というのが常識でした。

ただ、その流れは明らかに変わり始めています。

会社員の「失言」がニュースになる時代

五輪期間中に発生した炎上騒動の記事だけ並べても以下の通り。

SNSでプラモ転売容認のホビー雑誌編集者、退職処分に 上司3人も降格 ホビージャパンが発表

“大坂なおみ選手に差別的投稿” 徳間書店 編集者との契約解除

夏野剛社長の発言は「大変不適切」 KADOKAWAが見解、役員報酬の自主返上も発表

カードゲーム開発者がSNSで個人を中傷、解職処分に 同社代表ら3人も役員を辞任

KADOKAWAの夏野剛社長のケースは、経営者ですしAbemaTVの番組内での発言ですので少し種類が違いますが、それ以外の3件は社員や業務委託していた編集者のSNS上の投稿が起点。

これまでは、いわゆるバカッター騒動と呼ばれる社員による不適切なSNS投稿の問題は、飲食店やコンビニなどでの不衛生な行為が問題の中心になってきました。

しかし、最近では会社員のSNS投稿などの「失言」も炎上の火種になる状況になってしまったようです。

上記の4件はそれぞれ

・会社名を記載したアカウントが職業倫理的に不適切な発言をしたことによる炎上

・匿名アカウントでのアスリートへの差別発言が会社ばれしたことによる炎上

・経営者が実名で番組中に過激な発言をしたことによる炎上

・名物社員が誹謗中傷等の不適切発言を繰り返したことによる炎上

と、背景も原因も異なりますが、いずれも退職や契約の解除、報酬の返上など厳しい処分が下されているところがポイントです。

コロナ禍や五輪騒動の影響もあると思われますが、SNS上での失言に対するユーザーの許容ラインは明らかに下がっており、炎上騒動による会社の業績への大きさも変わっていることが原因かもしれません。

「失言」の対応で退職は行き過ぎか

こうした流れを受けて、今後気になるのが、こうしたSNS上の「失言」による炎上に対する企業の対応です。

特にホビージャパンのケースにおいては、「高額転売」を容認する発言をした社員の姿勢はありえないにしても、本人が法を犯したわけでもないのに「退職」処分にしたのは、やりすぎではないか、「とかげのしっぽ切り」ではないかという指摘も多数される流れになりました。

参考:ホビージャパン社員「高額転売」“容認”発言 「中間搾取」の問題を分析する

今回のホビージャパン社員が、自ら退職したのか、退職に追い込まれたのかは分かりませんが、本来、企業側は、社員を教育する責任も負っているはずで、社員が失言しただけでその社員を退職に追い込むというのは、企業のあるべき姿なのか?というのが多くの人が感じた違和感でもあるでしょう。

そういう意味で、是非企業の方に参考にして頂きたい逸話が、今回の東京五輪で二連覇を成し遂げ「世界最強の柔道家」と称えられた大野将平選手の復活劇です。

8年前にツイッターで物議をかもす

大野将平選手といえば、勝利してもガッツポーズなどを取らずに、深々と礼をして相手を敬うという礼儀作法が道徳の教科書でも紹介されるほどの、日本を代表する柔道家です。

今回の東京五輪においても、金メダル獲得後のインタビューで、「(東京五輪開催への)賛否両論があることは理解しています。ですが、われわれアスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば本当に光栄に思います。」と、言葉を選ぶように冷静に発言されていた姿は非常に印象的でした。

そんな大野将平選手も、若い時にSNSでの失言で炎上していたと言ったら、皆さんは驚くでしょうか?

それは8年前の2013年9月。

暴行問題によって謹慎中だった大野選手は、停学中の身ながらツイッターを頻繁に更新し、全日本学生柔道連盟(以下、全柔連)会長の怒りを買うほどの騒動になってしまったそうです。

その騒動の影響は大きく、全柔連が選手のツイッター利用を規制するというニュースが出てしまったほどでした。

参考:全柔連が選手にツイッター規制

当時はまだ今ほどツイッター上の失言が、メディアに取り上げられることは無かった時代です。

私もこの記事を最初に見たときは、残念だなと思いながらも、リスクを考えると規制も仕方がないのかなと思ってしまった記憶があります。

禁止ではなく教育を選んだ全柔連

しかし、2012年11月に柔道男子日本代表監督に就任した井上康生監督と全柔連は、この大野選手のツイッター騒動を受けて、現在の普通の企業の対応とは真逆の対応を取ります。

選手のツイッター活用を禁止したり規制するのではなく、正しい使い方を指導して使いつづけさせるという道を選択したのです。

筆者自身、その日本代表選手に対するSNS講座の一部を担当させていただく機会があったのですが、その際に井上康生監督がこうおっしゃっていたことを良く覚えています。

「ソーシャルメディアにはリスクもあるけどメリットもあるのはわかっている。

 若い世代にとっての大事なコミュニケーションツールだし、将来柔道界にとっても重要なメディアになるはずだから、一律禁止にはしたくない。規制もしていない。でも炎上して人生棒に振ってほしくないので正しい使い方を学んでほしい」

参考:日本柔道復活と井上康生監督に学ぶべき、日本の「伝統」の守り方

井上康生監督が、選手が負けても、選手を責めず自らを責める、というのは有名な逸話ですが、まさにその姿勢を就任当初から持ち続けておられたわけです。

あれから8年。

井上康生監督は、見事に大野将平選手をはじめとした選手達の自主性を信じ続け、史上最強の柔道ニッポンを育て上げました。

参考:「選手ではなく、自分を責める」井上康生監督。史上最強の柔道ニッポンに育てあげた

あの時、井上康生監督や全柔連が若い大野将平選手の過ちを許さなかったら。

井上康生監督や全柔連が大野将平選手のツイッター活用を禁止していたら。

こうした心を動かされる瞬間も、ツイートも、生まれなかったかもしれないわけです。

もちろん、この逸話は大野将平選手の圧倒的な実力と努力があったからこそ生まれた話であり、柔道という特殊な世界だからこそ成立した話だと感じる方もおられるでしょう。

社員を信じてDXに成功したビームス

ただ、企業においても、今後間違いなく問われるのは、社員によるSNSの失言がおきないように、SNS利用を単純に禁止したり規制したりするのか、それともSNS活用の教育をしていく会社となるのかという点です。

例えば、ビームスは日本でも有数のデジタル化に成功した店舗といわれており、ショップの店員のほとんどがブログやインスタグラムなどのSNSを活用して、オンラインで接客を展開。

なんとコロナ禍においてEC化率43%を達成しました。

参考:ビームス、コロナ禍のEC化率は43% 「秘訣は人にあり」設楽社長

そのビームスの設楽社長にお話をお聞きした際に口にされていたのは、「ビームスの資産は人である社員。その社員を信じるのが大事」という井上康生監督と同じ趣旨の言葉でした。

これから企業が問われるのは、井上康生監督や設楽社長と同じく、組織に所属する社員や自分の部下を信じることができるかどうか、ということではないかと感じる逸話でした。

私たちが井上康生監督から学ぶべきこと

もちろん、社員を信じるべきかどうかや、社員にSNS活用を続けさせる意味があるかどうかは、その組織の業態や方向性にもよりますから、正解はありません。

同じスポーツでも、すでに1年半以上SNSの無期限禁止を貫いている相撲協会のように、メリットよりもSNS失言のリスクの方が大きいと判断して、社員のSNS禁止をするのも一つの選択肢でしょう。

参考:相撲協会のSNS無期限禁止から考える、個人投稿を禁止する組織の共通点

ただ個人的には、井上康生監督や全柔連が大野将平選手の不用意なツイートのような過ちを許し、選手を信じるサポートを続けてこられたことが、今回の東京五輪で過去最多の金メダルを獲得する最大の原動力だったのではないかと感じます。

失言の内容や背景にもよりますが、社員が失言して炎上したら、単純に退職させるのが普通になる社会というのも、やはり何か間違っている気がします。

選手の失敗を許し自らの失敗として受け止め、復活の機会を提供することで、多くの選手から尊敬されるような選手を育てるという、井上康生監督と大野将平選手の絆を参考にする企業が増えて欲しいと心から思います。

noteプロデューサー/ブロガー

新卒で入社したNTTを若気の至りで飛び出して、仕事が上手くいかずに路頭に迷いかけたところ、ブログを書きはじめたおかげで人生が救われる。現在は書籍「普通の人のためのSNSの教科書」を出版するなど、noteプロデューサーとして、ビジネスパーソンや企業におけるnoteやSNSの活用についてのサポートを行っている。

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