池江璃花子選手のショートフィルムから学ぶ、「広告」が嫌われる時代の「広告」のあるべき姿

(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

水泳の池江璃花子選手が日本選手権で素晴らしい活躍を見せてくれています。

4日に100メートルバタフライ決勝で勝利し、東京五輪メドレーリレーの代表に内定したかと思うと、その疲れが抜けきらないはずの6日は100メートル自由形準決勝でも全体1位の記録をマーク、8日の決勝に進んでいます。

参考:池江璃花子が五輪代表2種目目視界「自信がある」100m自由形で決勝進出

2019年2月に白血病と診断され、闘病生活を経てからのプール練習再開は昨年2020年3月。

本人も「自分が勝てるのはずっと先のことだと思っていた。」と語っていたように、医療関係者の方に聞くと、「普通に考えたら信じられない」という見事な復帰を果たしてくれています。

池江選手のもう一つの挑戦

アスリートとして、私たちの魂をふるわせるような素晴らしい活躍をしてくれている池江選手ですが、今回、闘病生活から復帰をする過程で、広告業界においても歴史的な一歩として刻まれるであろう挑戦をされていました。

それが、「センターレーン」というタイトルで公開された一本のショートフィルム。

この動画の中では、「みんなにどうしても勝てないので今は」や「これでもう泳げなくなったら私は水泳と関わるかどうか分からないので」など、池江選手の大会前の本音と不安が赤裸々につづられており、あらためて今回の池江選手の復帰までの道のりが壮絶であったことを痛感します。

このショートフィルムの監督は、「万引き家族」などの映画監督として有名な是枝裕和監督。

大会前の3月29日に公開されたばかりの動画ですが、池江選手の活躍やワールドビジネスサテライトなどでのテレビ放映の影響もあり、この記事執筆時点で、この動画の再生回数は既に600万回を超えています。

これはP&Gプレステージが販売するスキンケアブランド「SK-II」が「SK-II STUDIO」というブランドのフィルムスタジオを設立し、様々なコンテンツを発信していく取り組みによって生まれた作品の第一弾だそうです。

参考:池江璃花子x是枝裕和 「センターレーン」が描く運命の形

様々なメディアにP&Gプレステージがスポンサードした記事広告が複数出ていることも確認できますし、この一連の取り組みにP&Gプレステージと「SK-II」が本気で取り組んでいることが良く分かります。

企業が「作品」をつくる時代

企業がいわゆる商品宣伝の「広告」ではなく、今回のショートフィルムのように「作品」を作る流れというのは、ここ数年顕著になってきているトレンドです。

例えばネスレ日本は、ネスレシアターという自社のウェブサイトで様々なショートフィルムを制作しており、2019年には、カメラを止めるなの監督や出演者とスピンオフ映画まで作っていました。

参考:カメ止めのスピンオフが壊してしまった「広告」と「映画」の境界線

北欧、暮らしの道具店は、自社の世界観を表現したウェブドラマを製作していましたが、そのドラマを元に長編映画を製作することを決定、今年劇場映画として公開されることが決まっています。

参考:映画『青葉家のテーブル』映像初公開&出演者のみなさんからメッセージが届きました。

ただ、今回の「SK-II」のショートフィルムでさらに興味深いのは、動画の中に「SK-II」というブランドロゴは表示されているものの、「SK-II」の商品自体は一度も表示されないこと。

通常、企業が製作するウェブコンテンツにおいては、何らか商品が映り込んでいたり、ある程度は商品やサービスに誘導したりしようとするものが多い中、ここまで明確にショートフィルムという「作品」によったウェブ動画は非常に珍しいと言えるでしょう。

5年前から始動していたプロジェクト

ただ、実は、「SK-II」がこうした商品が表示されないウェブ動画に挑戦するのは今回が初めてではありません。

2020年5月には、プール練習を再開したばかりの頃の短い髪の池江璃花子選手がありのままの自分を語るウェブ動画を公開。

その際に撮影した写真を投稿した池江選手のツイートは、30万を超えるいいねをあつめて、大きな話題になっていました。

さらに、「SK-II」のこうした池江選手との一連の取り組みは、さらに時をさかのぼり「SK-II」が2016年に「#CHANGEDESTINY ~運命を、変えよう。」というブランドテーマを設定した時が起点となっています。

5年前から、今回のショートフィルムのような自分の力で運命を変えようという主旨のブランドムービーが多数製作されてきているのです。

「SK-II」は、自分達を「自らの意志で運命は変えることができると信じ、多くの女性たちが勇気を持って一歩を踏み出し、その運命を変えていくことを応援」しているブランドと定義しています。

だからこそ、病気によって大きく人生が変わった池江選手が、そこから自らの力で運命を変えていくことを応援していくことを決定することは「SK-II」にとっては自然なことだったと言えます。

それが、今回のショートフィルムが生まれるきっかけとなったわけです。

こうしたブランドパーパスと呼ばれるようなブランドの軸の延長にあるコミュニケーションを、5年以上「SK-II」が続けていたからこそ、今回の池江選手との出会いやショートフィルムが生まれたのであり、今回のプロジェクトが単発の企画ではないのが重要なポイントと言えるでしょう。

ウェブCMがよく炎上しがちな理由

企業によるウェブ動画というと、最近では報道ステーションのウェブCMが「女性蔑視」ではないかと指摘され削除に追い込まれたり、モデルのKokiさんが出演したヴァレンティノのウェブCMが着物の帯のようなものをハイヒールで踏んでいるシーンに批判があつまり削除に追い込まれるなど、炎上することが多い印象を持っている方も少なくないと思います。

こうしたウェブ動画が炎上する理由は様々ですが、特にネット上ではいわゆる「広告」行為全般が嫌われはじめており、通常のコンテンツ以上に「広告」コンテンツに対しては批判的な声が大きく出る傾向があります。

報道ステーションのウェブCMにしても、CMで喋っている女性の発言自体は「ありえる」発言かもしれませんが、それを視聴者個人がたまたま話しているのと、報道ステーションがわざわざ広告で言わせていることには大きな違いがあります。

ヴァレンティノのウェブCMにしても、着物の帯のようなものの上に人が立つという行為は、個人のアーティストのアートや作品としては「ありえる」行為かもしれませんが、海外ブランドが日本市場に対して広告として発信するメッセージとしては、問題があるわけです。

参考:モデルKoki,の炎上 彼女が踏んだ「着物の帯」の2つの意味

今回の池江選手のショートフィルムについても、多くの賛同や共感の声がある一方で、「自分の意思で運命は変えられます」というコピーに対して、友人を白血病で亡くした方から、運命が変えられなかった人は意思が弱かったということにならないかという問題提起の声や、池江選手のストーリーを広告に使うコトへの違和感の声は複数ありました。

ドキュメンタリーの中での発言は全て池江選手の本音の言葉であるのに対して、最後のコピーは池江選手の言葉ではなく、「#CHANGEDESTINY」という「SK-II」のブランドが語っている言葉だからこその問題提起とも言えるでしょう。

destinyという英単語はポジティブな事象に対して使われる単語であるのに対して、日本語の「運命」という言葉は、英語で言うと「fate」という病気にかかる運命というようなネガティブなことを連想させることも、影響していると思われます。

批判が集まっても動画を削除しないナイキの覚悟

ただ、こうした何かしらの批判や問題提起が発生するのは、人間同士のコミュニケーションであれば当然のこととも言えます。

だからこそ、企業の「広告」には、言葉足らずや表現不足による批判があったとしても、ぶれずに本当に伝えたいことを伝え続ける覚悟が求められる時代になっていると言えるでしょう。

例えば、昨年11月にナイキジャパンが公開した「動かしつづける。自分を。未来を。」というCMに対して、一部から「日本人の多数が差別をしているような内容で不快」とか「日本をおとしめる内容だ」と批判の声があがりましたが、ナイキジャパンは前述の報道ステーションやヴァレンティノのように動画を削除することはありませんでした。

参考:「賛否両論のナイキCM」に怒る人が的外れな理由

この動画の再生数は既に1100万回を超えており、この動画に勇気づけられた人も少なくないはずです。

ナイキは過去にも数多くの批判を乗り越えて、問題提起を行ってきた会社であり、批判があったとしても、伝えるべきメッセージがあることを覚悟している会社だからと言えるでしょう。

今回の、池江選手のショートフィルムについても、当然P&Gプレステージの中で、闘病をする池江選手を広い意味での「広告」に起用することの是非の議論があったことは想像に難くありません。

ただ、その批判のリスクを踏まえてでも、池江選手の挑戦を応援し、その池江選手の挑戦をシェアできるように撮影するという判断をしてくれたおかげで、今回私たちは池江選手の挑戦の裏側や池江選手の本音にふれることができたわけです。

今回の池江選手のショートフィルムに勇気づけられ、結果的に「SK-II」をさらに好きになったという方も少なくないでしょう。

今回の池江選手と「SK-II」による「センターレーン」というショートフィルムは、商品の宣伝は一切ない「作品」ではありますが、間違いなく「広告」としての役割を果たす結果になっているはずです。

どこまでも追いかけてくるネットのバナー広告や、広告であることを隠して宣伝するステマ広告のような存在のために、多くの人が「広告」を嫌いになってしまっている時代だと言われています。

ただ、本来「広告」の役割は、商品やサービス、そして企業やブランドを好きになってもらうことにあったはず。

今回の池江選手のショートフィルムのような「広告」が増えれば、また「広告」というものの存在が輝きを取り戻すはず。

池江選手と「SK-II」のもう一つの挑戦にも、注目したいと思います。