日本柔道復活と井上康生監督に学ぶべき、日本の「伝統」の守り方

井上康生監督の理想の上司ランキングの上位入りは間違いなさそう(写真:アフロスポーツ)

リオ五輪が閉幕し、早くも一週間近くが経過しようとしています。

日本のメダル数が史上最多を更新する41個と、日本選手のメダルラッシュに感動する日々でした。

今回、特に個人的に過去の経緯から注目していたのが柔道だったのですが、男女合わせて12個と当然ながら全競技中最多。

特に男子は金メダル2つを含めた全階級メダル獲得で、ロンドン五輪が金メダル0に終わったことを考えると、文字通りお家芸復活といえる活躍だったと思います。

男子最重量級の決勝が終わった後、男子代表の井上康生監督がインタビューの最中に言葉に詰まり、男泣きするシーンは、本当に印象的でした。

参考:日本柔道復活 井上康生監督の涙

日本柔道の「常識」に挑戦しつつ伝統を維持

すでに様々な記事で、日本柔道を復活に導いた井上監督の手腕や覚悟について触れられていますが、やはり特筆すべきは井上監督が、稽古を科学的に大幅に見直したことと、その一方で日本の代表としての自覚を改めて呼び起こした点にあるでしょう。

参考:日本柔道復活の裏に井上康生監督が進めた「勝利の改革」

柔道のような伝統的なスポーツの場合、どうしても従来のやり方を「伝統」として受け継ぎ、精神論のみで頑張れという構造になりがちな印象がありますが、実はこれは日本の大手企業においても良く見られる光景です。

経営者が自分たちの時代に成功したやり方をそのまま部下に押し付け、なぜお前たちにはできないんだと詰め寄るという構造は、成功した組織だからこそ、伝統ある企業だからこそ一番陥りがちな状態です。

様々な記事を見る限り、日本柔道界が陥っていたのもこの構造だったのだと思います。

オリンピックの柔道が、日本が金メダルを取って当たり前の時代から、スポーツとしての人気の高まりとともにヨーロッパを中心とした「JUDO」が台頭するようになり、日本柔道の黄金時代の世代からすると、若い世代がなぜ世界で勝てないのか理解できない時代に突入していたのだと思います。

そこで井上監督が、論理的に海外の「JUDO」に日本人が勝つために足りないものを突き詰め、科学的トレーニングや栄養学を取り入れ、他の格闘技の修行など、従来の柔道の練習においては「邪道」であったであろう取り組みを行うことを決めたことは、論理的には正しい一方で大きなリスクがあることが容易に想像できます。

当然、これで結果が出なければ井上監督は、従来の「伝統」的なやり方を重んじる人たちから、更に大きな批判にさらされる可能性があったわけです。

ただ、井上監督は、従来の典型的な「量」を重んじる柔道の練習ではなく、選手たちの自主性を重んじて、「質」を重視する練習にリスクを取って舵を取りました。

これはひとえに井上監督が選手のポテンシャルを信じていたからだと思いますし、その結果発揮される個人の力を信じていたからだと思います。

私自身、個人的にそんなことを強く思うことになった井上監督のエピソードがあります。

2013年の日本柔道界はどん底だった

実は、今から3年近く前の2013年の年末に、全日本柔道連盟の代表選手の強化合宿で、ソーシャルメディアの活用法について講師をさせて頂いたことがあります。

今年のオリンピックでの柔道日本代表の大活躍を思うと、今となっては信じられないかもしれませんが、2013年は日本柔道界がどん底を味わった年でした。

まず、ロンドン五輪後の2012年9月を起点とする女子柔道強化選手による暴力告発問題が年始に大きな騒動に。

そして2013年3月に発覚した、全日本柔道連盟による助成金の不正受給・不正流用問題が大問題に。

日本柔道はこのままでは日本の恥ですという記事まで書かれるような雰囲気で、最終的に8月には連盟の執行部が総辞職するという異例の事態に陥っていたのです。

さらに悪いことは続くもので、2013年9月には天理大学柔道部の暴力問題が発覚。

当時柔道部主将だった大野将平選手が全柔連の強化指定選手を外される事態になります。

この際、謹慎中の大野選手がツイッターを頻繁に更新していたことが話題になってしまうのですが、それを受けて「全柔連が選手にツイッター規制」という記事が出る事態になっていました。

まぁ、2013年と言えば、前の年にいわゆる「バカッター」が大きな騒ぎになった直後。

飲食チェーン店がのきなみアルバイトの勤務中のSNS禁止を宣言していたころですから、ある意味柔道においてもツイッターを規制するのは仕方ないかな、と思ってしまうところでしょう。

通常の日本企業の経営者や管理職だったら当然、同様の対応を取るはずです。

でも井上監督は違いました。

今だから言えますが、知人の紹介経由で、全日本柔道連盟がソーシャルメディアの講師を探しているというメールが来た時、正直、私は断ろうと思っていました。

私の仕事は、ソーシャルメディアをうまく理解して活用してくれる人や企業を増やすことであって、ソーシャルメディアを禁止するのを指導することではないんですよね。

知人の紹介だったので、一度お話は聞こうとは思ったんですが、多分飲食チェーン店と同様どう使わせないようにするかという相談だろうから、他に専業の人がたくさんいるので、そちらをご紹介します、とお話しするつもりでした。

どん底でも選手の自主性を重視していた

ところが、事態は私の想像とは全く違う方向に転がるわけです。

まず、うちの会社に相談に来るのは、全日本柔道連盟の担当の人とかなんだろうな、と思ってたんですが。

井上監督本人が直々に来られるわけです。

ドア開けて、本人が立ってて、一瞬こっちがフリーズするわけです。

井上康生ですよ。

あの金メダルの内股の一本勝ちのシーンなんて何回見たか分からないわけですよ。

参考:シドニーオリンピック2000 大会レポート 柔道男子100kg級の井上選手に金メダル

普通、そんな人がうちの狭いオフィスにわざわざ来てくれるとか思わないじゃないですか。

全日本柔道連盟の監督ですからね、普通来ないと思うわけですよ。

本当に腰が低く礼を尽くす方だなと思いました。

しかも、さらにびっくりすることに「全柔連がSNSを禁止という事実に反する記事が出て困ってる」という話をされるわけです。

「ソーシャルメディアにはリスクもあるけどメリットもあるのはわかっているし、選手も大人だから、一律禁止にはしたくない。規制もしていない。」とはっきりおっしゃるわけです。

実際、井上監督も選手時代はブログを書かれていたので、メリットは良く分かっているんだと思います。

でも、くどいようですが2013年は全柔連がどん底にあった年です。

選手によるこれ以上のソーシャルメディアの炎上のリスクなんて、当然誰も抱えたくないと思うはずなんですよ。

飲食チェーンのアルバイトに比べれば、強化選手なら人数も少ないし特定は簡単ですから、全員禁止にしてしまえばはるかに楽なはずなんですよ。

でも、井上監督は「若い世代にとっての大事なコミュニケーションツールだし、将来柔道界にとっても重要なメディアになるはずだから、一律禁止にはしたくない。でも炎上して人生棒に振ってほしくないので正しい使い方を学んでほしい」という趣旨のことをハッキリと明言されていました。

本当にかっこいい人だな、と思いました。

監督と言っても、柔道界には井上監督からすると大先輩のような人たちがたくさんいて、当然その中には日本の大企業でありがちな、SNSとかよくわからないしリスクあるから禁止しろって言う人が絶対いたと思うんです。

普通に考えたらSNSなんて、柔道で強くなるのに何の役にも立たないですからね。

リスク考えたら禁止する方が早いわけです。

でも、井上監督は、そういう一つ一つの行為や姿勢が、選手の自主性を消してしまったりとか、一人の自立した人間としてのプライドとか、柔道家としての尊厳を削ってしまう可能性がある、ということを良く分かっていたんだと思います。

日本の柔道界を代表してオリンピックに出るような選手が、自分のコミュニケーション手段を自分で選ぶことも許されないようなことで、子供たちが尊敬するような柔道家になっているといえますか?というシンプルな信念だと思います。

そんなわけで、私がなぜかソーシャルメディアのリスクとメリットについて、全日本柔道連盟の合宿で講演させていただくという、貴重な機会をいただくことになったわけです。

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参考:柔道の代表選手の強化合宿でソーシャルメディア活用の講師をさせて頂きました。

ちなみに、この時に作った講演資料が、先日ブログに公開したステマ騒動についてのJAROさんとJIAAについてのセミナーの講演資料のベースになっていたりしますから、世の中わからないものだなと思ったりもするわけですが。それは置いといて。

井上監督の信頼に応えた選手たち

実際、今回のリオ五輪では、全日本柔道連盟のSNS規制発言のきっかけとなった大野将平選手が、見事に金メダルを獲得し、勝利しても相手へのリスペクトを忘れない姿勢で評判となりました。

参考:柔道73kg級金メダリスト大野が笑わなかったワケ

大野選手がツイッターを通じてファンへの感謝を発信していたり、それに多くの反応やお祝いの声が集まっているのを見ていると、井上監督のあの時の判断が正しかったという、一つのシンボルと言えるような気がします。

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参考:大野 将平さんのツイート: 井上ジャパン! 最強かつ最高の監督、コーチ、スタッフ、選手!

井上監督は、ツイッターでちょっと悪さをしたような若い選手を必要以上に罰したり、利用禁止というルールをひくのではなく。

選手たちの自主性を尊重し、選手たちの良識を信じることによって、選手たちの奮起を促し、選手たちもその信頼に応えてくれました。

それにより、日本柔道の復活という「伝統」の継続への道しるべをつけたことになります。

日本企業が井上監督の姿勢から学ぶべきこと

今回、リオ五輪で日本柔道復活ののろしを聞くことができ、個人的に改めて感じるのは、日本企業がやらなければいけないことも、日本柔道界で井上監督が行ったのと同じことなのではないかということです。

ロンドン五輪の際の前任である篠原前監督が自らもネタにしていることから、ネット上でもネタにされがちですが、前回の不振はおそらく篠原前監督個人の責任ではなく、日本柔道界の古き良きやり方が、世界のJUDOを前に限界を迎えていたという構造問題だったんだと思います。

多くの企業が日本経済の失われた20年とともに苦しんでいるとよく言われますが、結局多くの大企業が苦しんでいるのは、世界の競争ルールが大きく変化しているにもかかわらず、経営陣が高度経済成長期の成功パターンを捨てられず、間違った「伝統」にしがみついているためではないでしょうか。

以前、銀座商店街の方に、「伝統」を維持するためには、「伝統」と「革新」が交差していることが大事なんだという話をお聞きしたことがあります。

日本企業も自分たちの「伝統」をこの先も守り続けていきたいのであれば、井上監督と同じように「伝統」を守るために、自らリスクを取って、若い社員たちを信じて、「革新」をし続けていくことが必須なはず。

私たちも、日本選手の活躍や井上監督の涙に感動するだけでなく、彼らからもらったエネルギーをちゃんと行動につなげていかないといけないんだろうな、としみじみ感じている今日この頃です。