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ハードなトレイルの先にあるハワイ島の歴史的シークレットスポットへ

寺田直子トラベルジャーナリスト 寺田直子
1779年2月14日、キャプテン・クックはここで命を落とすことになった/筆者撮影

1779年2月14日、日曜の早朝。キャプテン・クックことジェームズ・クックは古代ハワイ先住民族との衝突により命を落とした。50歳だった。今年は没後240年目となる。場所はハワイ島サウスコナのケアラケクア湾。ハワイ島きってのシュノーケリングポイントとして知られている美しい入り江だ。一帯は現在「ケアラケクア湾歴史地区」に指定されクック終焉の地には記念碑が立っている。

この碑を見るにはふたつの方法がある。ひとつはカヤックやボートツアーに参加して海からアプローチするもの、もうひとつは高低差430mほどの岩場をひたすら降りていく過酷なトレイルコースをたどるもの。自由行動が制限されるツアーではなく筆者は後者を選んだ。

トレイルスタート地点には「Think Twice(考えなおせ)」と警告する看板が/筆者撮影
トレイルスタート地点には「Think Twice(考えなおせ)」と警告する看板が/筆者撮影

トレイルのスタート地点はその名も「キャプテン・クック」という地域。11号線から160号線(Napoopoo Road)へ入ってすぐの場所にある。入口には「Think Twice」と赤字で警告する看板がたっていた。そこには「ケガする人多し、3.8マイル(約6km)のルートは足元が険しく、日陰もなく、帰りは登りとなります」と注意書きがあり一瞬ひるみそうになる。

道はこんな状態。ルート沿いの番号の立て札を目印にトレイル開始/筆者撮影
道はこんな状態。ルート沿いの番号の立て札を目印にトレイル開始/筆者撮影
前半はなだらかな坂が続くが「けもの道」のような場所も。ただ足元は岩がごろごろしていて危険なのでゆっくり降りていく/筆者撮影
前半はなだらかな坂が続くが「けもの道」のような場所も。ただ足元は岩がごろごろしていて危険なのでゆっくり降りていく/筆者撮影
トレイル中、ときおり草の向こうから別のハイカーが出てきて驚かされることも/筆者撮影
トレイル中、ときおり草の向こうから別のハイカーが出てきて驚かされることも/筆者撮影

往路はとにかく草の生い茂る岩場を降りていく。片道約3km。トレイル沿いに1から8まで番号のついた立て札があるので迷うことはない。それほど急な坂道ではないのだが、足元が大小さまざまな岩がごろごろしている状態なのでころばないように慎重に一歩一歩下っていく。たしかにほとんど日陰がない。この日は曇りだったのでそれほどつらくないが天気がいいときは日焼け対策と水分補給は大事だと感じた。今回はひとりでのトレイル体験。周囲に人影もなく野鳥の鳴き声と自分の歩く音だけが聞こえる。

2/3ほど降りたあたりから視界が広がりサウスコナの海岸線が一望にできる/筆者撮影
2/3ほど降りたあたりから視界が広がりサウスコナの海岸線が一望にできる/筆者撮影
このあたりはしばらく風景も単純でやや疲れてくる。快晴時はキツイだろう/筆者撮影
このあたりはしばらく風景も単純でやや疲れてくる。快晴時はキツイだろう/筆者撮影
往路終盤はやや急ながれきの坂道になる。帰りここを登るのかと思うと憂鬱だ/筆者撮影
往路終盤はやや急ながれきの坂道になる。帰りここを登るのかと思うと憂鬱だ/筆者撮影

番号5の立て札あたりから視界が開け、海岸線が見え始めた。足場を気にしながらゆっくり歩いてここまでおよそ1時間。番号6の地点からは左に曲がり一気に岩場をおりていくルートになってきた。波の音が聞こえてきた。

海岸に出る手前は木々がうっそうと広がる/筆者撮影
海岸に出る手前は木々がうっそうと広がる/筆者撮影
8番マークの地点を左へ。少し歩けばついにゴールだ/筆者撮影
8番マークの地点を左へ。少し歩けばついにゴールだ/筆者撮影

スタートしてから1時間半。岩場の坂道からいつしか平坦な砂地へと変わっていた。最後の8の番号を確認して左へと続く道を歩いていくと、木立の影から真っ白な記念碑があらわれた。目の前は美しい入り江が広がりカヤックツアーの参加者たちがシュノーケリングをしている。

1874年に有志によって建てられたキャプテン・クック記念碑/筆者撮影
1874年に有志によって建てられたキャプテン・クック記念碑/筆者撮影
「1778年1月18日この島々を発見し1779年2月14日、この付近で倒れた偉大なる世界航海者、英海軍キャプテン・ジェームズ・クックを記念して」と刻まれる/筆者撮影
「1778年1月18日この島々を発見し1779年2月14日、この付近で倒れた偉大なる世界航海者、英海軍キャプテン・ジェームズ・クックを記念して」と刻まれる/筆者撮影
曇天だったので海の色は出ていなかったが水中を泳ぐ熱帯魚が見える透明度。潜りたい場合は水着、シュノーケルセット持参で/筆者撮影
曇天だったので海の色は出ていなかったが水中を泳ぐ熱帯魚が見える透明度。潜りたい場合は水着、シュノーケルセット持参で/筆者撮影

クックはなぜ先住民によって殺害されたのか。殺される約一ヶ月前の1月16日、彼が指揮をとる「レゾリューション号」とチャールズ・クラーク指揮下の「ディスカバリー号」は飲料水の補給のため静かな入り江のケアラケクア湾に上陸した。実はその時期は「マカヒキ」と呼ばれる古代ハワイアンにとって聖なる季節にあたった。先住民たちは海上から来たクックを豊穣の神ロノであると信じたのではないか、と学者たちは見ている。今年も実りをもたらす神が戻ってきたとクックは王を筆頭に最大級のもてなしを受けることとなった。そして滞在からおよそ2週間後の2月4日、目的である北極海を抜ける北西航路探索のためケアラケクア湾を出航。このまま順調に航海が進めばクックがハワイ島で殺さることはなかっただろう。

出発してから3日後、マストの土台が腐っていたことがわかった。このままでは北極海への航海に支障をきたすためクックは安全なケアラケクア湾に戻ることを告げる。戻ってきたクック一行を待ち受けたのは前回の熱狂的な歓待とはまったく別の先住民の冷たい反応だった。神聖な時期に旅だった神がこの時期に舞い戻ってくることは考えられないことだったのだ。この瞬間、クックの神聖さが崩れ去った。

2月14日、先住民が船からボートを盗んだことが発覚、クックは武装した部下を引き連れて上陸。小競り合いがはじまりクックが発砲。それを契機に暴動となり、先住民のひとりが後ろからクックを襲った。この衝突でクックと水兵4人と先住民17人が死亡したと航海日誌にはつづられている。クックの遺体は先住民たちによって持ち去られたとも記されている。トレイルコース沿いにクックの遺体をまつったヘイアウ(神殿)があったようだが残念ながら見つけることができなかった。

「ケアラケクア湾歴史地区」。ケアラケクアとは「神の通り道」という意味。東京ドーム約15個分にあたる18エーカーが史跡として整備される/筆者撮影
「ケアラケクア湾歴史地区」。ケアラケクアとは「神の通り道」という意味。東京ドーム約15個分にあたる18エーカーが史跡として整備される/筆者撮影
ケアラケクア湾をのぞむ「ヒキアウ・ヘイアウ」。マカヒキの季節にはここで祭礼がとり行われていたという/筆者撮影
ケアラケクア湾をのぞむ「ヒキアウ・ヘイアウ」。マカヒキの季節にはここで祭礼がとり行われていたという/筆者撮影

翌日、レンタカーで対岸にある聖地「ヒキアウ・ヘイアウ」を訪れた。ヘイアウとは神聖な儀式などを行う古代の施設でハワイ諸島に今も多数残っている。岩を組んで作られた「ヒキアウ・ヘイアウ」はマカヒキの重要な祭祀を行った場所として知られている。静かな住宅地を抜けた先、美しいケアラケクア湾をのぞむ高台に静かにたたずむ。対岸に遠くクックの記念碑が見える。

地球8周分のおよそ32万kmを3回の大航海で成し遂げ、空白だった世界地図の1/3を埋めたキャプテン・クックの旅路。その最期は決して本意ではなかっただろうが彼の残したものは大きい。ハワイといえば人気のリゾート地だが、歴史をひもとく体験もハワイの奥深さを再認識し、ひと味違っておもしろい。

<データ>

ハワイ州観光局(日本語)

※観光局では2019年7月31日までの期間、知られざる歴史、史跡を紹介する「発見ハワイ」キャンペーン中。ハワイ旅行が当たるハワイ検定を行っている。

ハワイ州環境省公園管理部(英語)

・参考文献:「青い地図 キャプテン・クックを追いかけて上下」 トニー・ホルヴィッツ著 山本光伸訳(バジリコ株式会社)

ヘイアウから対岸を見ると白い記念碑がポツンと見える/筆者撮影
ヘイアウから対岸を見ると白い記念碑がポツンと見える/筆者撮影
トラベルジャーナリスト 寺田直子

観光は究極の六次産業であり、また災害・テロなどのリカバリーに欠かせない「平和産業」でもあります。トラベルジャーナリストとして旅歴35年。旅することの意義を柔らかく、ときにストレートに発信。アフターコロナ、インバウンド、民泊など日本を取り巻く観光産業も様変わりする中、最新のリゾート&ホテル情報から地方の観光活性化への気づき、人生を変えうる感動の旅など国内外の旅行事情を独自の視点で発信。著書に『ホテルブランド物語』(角川書店)『泣くために旅に出よう』(実業之日本社)、『フランスの美しい村を歩く』(東海教育研究所)など。

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