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著名ジャーナリストの暴露本でトランプ大統領の「嘘」が明かされたが、選挙に与える影響は限定的か

立岩陽一郎InFact編集長
ホワイトハウスで自信満々な顔を見せるトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

これ(新型コロナ)はあなたの大統領任期中で最も深刻な安全保障の脅威となります

1月28日のホワイトハウス。情報機関による大統領へのブリーフィングで、安全保障担当補佐官のロバート・オブライエンがトランプ大統領にこう話したという。新型コロナに関して最大限の対応を求めたものだ。更に「あなたが直面する最も困難なものになる」とも言い、同席していた次席補佐官も同意したという。

アメリカのワシントン・ポスト紙のデスクを務めるボブ・ウッドワード氏の近著に描かれている内容だ。「Rage」と題されたその本は、ウッドワード氏がトランプ大統領に合計18回にわたって取材した内容に基づいて書かれている。それによると、トランプ大統領は当初から新型コロナの問題が極めて深刻なものだと知りながら、その事実を国民から隠していたということだ。

ウッドワード氏はワシントン・ポスト紙の若手記者だった当時にニクソン大統領が失職したウォーターゲート事件を暴いたことで知られるアメリカの「伝説」とも称されるジャーナリストの一人だ。現在もワシントン・ポスト紙に籍を置くが、基本的にワシントンDCにあるジョージ・ワシントン大学に自身の作業部屋を持っている。私自身が大学での彼の講演で直接聞いた話では、「ワシントン・ポスト紙からは月1ドルしかもらっておらず、本の為にだけ取材をすることが認められる」とのことだった。ただし、その際に条件があり、本を出す時にはその内容を同紙の一面に掲載することになっているという。今回本の内容が同紙に掲載されたのもそれによる。

その内容をワシントン・ポスト紙の記事から拾うと以下のようになる。

そのブリーフィングの10日後の2月7日に大統領はウッドワード氏に電話をし、「それは重い風邪なんかとも比べられないくらい危険だ」と語った。ところが、その同じ時期、トランプ大統領は、それとは逆の発言を繰り返している。

これについて3月19日の電話で、トランプ大統領はウッドワード氏に、「私はパニックを引き起こしたくなかった」と釈明したという。

早速、この本に描かれたトランプ大統領の発言に対してメディアから批判が出ている。自身も新型コロナに感染した経験の有るCNNキャスターのクリス・クオモ氏は、「危険を明らかにしていれば多くの人が死ぬような状況は避けられた」と批判。当然、対立候補のバイデン氏はツイッターで、「トランプ氏はパニックを避けるために本当のことを言わなかったという。それで彼は何もせず、(パニックではなく)災害を作り出した」と批判した。更に、「トランプ氏の嘘によってあと何人の人が苦しまなければならないのか?」ともツイート。

一方で、批判はこの情報を知りながら報じることなく本の出版を優先させたウッドワード氏にも向かっている。場外乱闘の様相だ。ウッドワード氏も釈明する事態となっており、私は、この本の内容はトランプ大統領にとって致命的とはならないと感じている。

それは、もともと新型コロナへの対応の遅れはこの本が出る前から指摘されていることと、新型コロナの被害が単に大統領の無策だけで片付けられないくらい深刻になっていることによる。また、皮肉なことに、アメリカの有権者の多くは既にこの大統領の倫理観の欠如に免疫ができている。それを考えると、この暴露本も、トランプ支持者にとっては、「また左翼メディアが騒いでいる」という程度の認識で終わりそうだ。

トランプ大統領の支持者の意識がわかる識者の演説がある。それは8月の共和党の大会でのニッキー・ヘイリー前国連大使の応援演説だ。自身の経験として次の様に語った。

国連は独裁者、殺人者、泥棒がアメリカを批判する場だ。そして彼らはアメリカに金を払えと迫る。トランプ大統領がそれを変えた

こういう極めて短絡的な国際情勢を信じるトランプ支持者は少なくない。この大会の後にトランプ支持者にオンラインで話をきいたが、彼女の話を持ち出して、「アメリカは搾取され続けてきた」と語っていた。

ヘイリー氏は、「バイデンは副大統領時代にイスラム国とイランに良くした。共産主義の中国には特に良くした。世界中で謝罪ばかりしてアメリカの価値を損なった。しかしトランプ大統領は違う。中国に厳しくあたる。イスラム国を倒した。世界に対して発信すべきことを発信した」とも発言している。確かに、最近まで国連大使だった人物がこう話すと、それなりに説得力は有る。

加えて社会主義批判だ。

彼ら(バイデンら)のアメリカに対するビジョンは社会主義だ。社会主義はどこでも失敗している。重税を課し人々から仕事を奪う。バイデンと社会主義者はこの国の経済を崩壊させる

バイデン候補が社会主義者とは思えないが、この社会主義のレッテルを貼られると、アメリカの選挙では少なくともプラスには作用しない。「我々は社会主義陣営に勝利した」という意識と記憶がある一定の年代の人々には根付いているからだ。

正直なところ、投票まで2か月を切った段階でも選挙結果を予測するのは難しい。日本でも、トランプ大統領とバイデン氏の支持率の推移を示して、「差が縮まった」「差が少し開いた」などと報じるニュースが今後も増えるだろう。しかし、各州に割り当てられた選挙人の数で勝敗が決まるアメリカの大統領選挙は、日本の知事選挙の様な直接投票ではない。総獲得票で300万上回ったヒラリー・クリントン候補が敗れる選挙だ。支持率だけで結果が読めるような単純なものではない。

長くアメリカを取材している日本人ジャーナリストでも、「トランプは現職の強みを失っている」と話す人もいれば、「バイデンはヒラリーの二の舞になりそうだ」と話す人もいる。どちらも、それなりに説得力が有る。苦肉の策で使われるのが「隠れトランプ支持者」の存在だが、私はこれこそ予想が外れた時の言い訳だと思っている。

大統領選挙は11月3日だが、それまでの日程も既に決まっている。

  • 09月29日 最初の大統領候補者の討論会。
  • 10月07日 ペンス副大統領とハリス候補による副大統領候補の討論会。
  • 10月15日 2回目の大統領候補者討論会。
  • 10月22日 最後の大統領候補者討論会。

その間に、俗に「オクトーバー・サプライズ(10月の驚愕)」と呼ばれるスキャンダルの発覚も有り得る。ここは安易な予想などせず、今後の動きを注視するしかない。

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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