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最後まで官邸主導が徹底された安倍総理の会見は当然の様に「花道会見」で終わった

立岩陽一郎InFact編集長
安倍総理の会見を見る人々(8月28日)(写真:つのだよしお/アフロ)

会見で「お疲れ様でした」と記者が言わなかったとして橋下徹氏が批判した8月28日の安倍総理の記者会見。私の周囲でも同様な意見を口にする人は少なくなかった。私はこうした意見に同意しないが、そうした発言が出る雰囲気の中で行われた会見だったことは認めざるを得ない。つまり官邸の情報戦にメディアが負け続けたことを印象付けた会見だった。官邸主導が旗印でもあった安倍政権の総理会見は、最後まで官邸主導だった。

この会見は、まとまった時間としてのものとしては国会閉会日の6月18日の会見以来のものだ。しかも新型コロナ対策の転換を示す重要な内容だ。それに加えて日本のリーダーが辞意を表明するという歴史に残る会見でもあった。記者が問いたださなければいけない質問は山ほどある。とても「お疲れ様」などと声をかけている状況ではない。

それにも関わらず、「お疲れ様」と言わなければ違和感のあるような記者会見になってしまったことも事実だ。官邸が明言することはないが、一種の「花道会見」に仕立てられたということだろう。そこに、まさに官邸主導の会見という現実が反映されている。

総理会見は総理官邸の記者で作る官邸記者クラブが主催する。つまり本来はメディアの側が主導して開かれるものだ。しかし、安倍総理の会見がそうでないことは既に周知の事実となっている。それを強く印象付ける文書が有る。

記者の席を指定した文書の写真
記者の席を指定した文書の写真

これは8月28日の会見について官邸からの通知だ。写真はその一部を写したものだ。各社の記者の席が予め決められていたことがわかる。各社交代で務める幹事社が総理の正面に座るのは便宜上仕方無いかもしれない。しかしその両翼、後ろの席まで決められている。

私はNHK記者時代、中東など日本ほど民主主義が成熟していない国や地域で首脳の会見に出た経験が有る。例えばイラン大統領府での記者会見など。それでも、座席が決められている記者会見というのは記憶にない。

座席などどうでも良いと思うかもしれない。どうでも良いわけではないのは、本来の記者会見は座る位置で質疑に微妙な濃淡が出るからだ。記者が矢継ぎ早に質問するにはなるべく中央の正面がやりやすい。そのため、記者はかなり早く会見場に来てメモ帳を置く。「場所取り」だ。それが普通の記者会見だ。つまり、座席が決められているということは、この会見がそもそもそういう場ではないことを示している。

更に最も問題なのは、この座席を示した文書が官邸の側からの通知である点だ。繰り返すが、総理会見はメディア側が主催だ。それにもかかわらず、官邸側の意向がそのまま通っていることを、この文書は示している。まさに、官邸主導の貫徹だ。

こうした官邸主導による会見は、当然の様に広報官の指示から始まる。声を出さずに挙手をする。誰が質問できるかは広報官が決める。そして質問には、1社1問という制限。全てが官邸側によって決められて記者会見が行われる。そして実際に、その様に行われた。

勿論、外交政策での反省すべき点について問うた共同通信の質問や、疑惑が生んだ不信感について問うた東京新聞の質問、それに政権の私物化批判を質した西日本新聞など、問い質すべき内容を質問した記者もいた。中国新聞と京都新聞の記者は地方紙として当然聞くべき質問をしていた。必死でこの会見を「花道会見」にはしないという記者の矜持が最低限は示されたと感じる。

しかし、官邸主導の会見は、しょせん、答えを引き出す会見にはならないし、現実にならなかった。総理は中途半端に答えるか、質問によっては答えてさえいなかったが、それでも記者の質問は終わる。二の矢、三の矢が認められていないからだ。その結果は、当然の様に深い内容のやり取りにはならない。敵基地攻撃を認める安全保障政策に関しては、安倍総理が会見冒頭で触れたにも関わらず、質問さえ出なかった。

会見は先ず官邸記者クラブ所属の記者が一通り質問し、そして残りの時間を抽選で選ばれたフリーランスのジャーナリストにあてられた。そこにも、どこか「花道会見」を演出する匂いを感じた。ただし、フリーランスは全員が質問したわけではない。それでも会場で異論が出ないのは、声を出してはいけないからだ。「花道会見」に佐藤栄作総理の時の様な混乱は似合わないということか。新型コロナ対策を理由にしたこのルールが「威力」を発揮した。

翌日のメディア各社は、安倍政権の功罪を検証する必要性を問うた。勿論それは重要だ。しかしメディアが自らの立場を省みたのは、私が知る限りでは、8月29日のTBSの報道特集くらいだった気がする。

総理会見が今後も官邸主導で行われるなら、官邸にとって総理会見は世論を誘導する重要な場として今後も機能する。総理に「お疲れ様」と言わないどころか、下手をすると厳しい質問をした記者が世論から叩かれる状況も生みかねない。私はそれを危惧する。自由な質疑の無い国では、新型コロナの対応は勿論、社会の発展など望むべくもない。それは既に明らかな筈だ。

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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