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イスラエル・パレスチナ問題の基本用語の指差確認続編。関係国・地域や「三枚舌外交」など

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
予断を許さない情勢(提供:イメージマート)

 10月に公開した拙稿「騒然とするイスラエル・パレスチナ問題の基本用語を指差確認してみた」の続編です。上から順に、というより気になった用語を拾い読みするのをお勧めします。

基本用語の追加

面積と人口

 あえて日本で例えてみました。とても狭い地域に人口が多いという傾向がみられます。

イスラエル→四国程度。人口約930万人は神奈川県ほど。

ガザ地区→人口・面積ともにほぼ名古屋市程度。

ヨルダン川西岸→面積は三重県-愛媛県-愛知県あたり。人口は横浜市程度。

エルサレム(東西合計)→広さは大田区と世田谷区を合わせたぐらい

イスラエルとパレスチナ自治区の範囲

ヨルダン川西岸

 1947年の国連パレスチナ分割決議案で「パレスチナ人地区」とされるも、納得しないパレスチナ人を含むアラビア人によって起きた第1次中東戦争で何とヨルダンに編入されてしまいます。それを67年の第3次中東戦争でイスラエルが奪いました。

ガザ地区

 国連パレスチナ分割決議案で「パレスチナ人地区」とされるも第1次中東戦争でエジプトが占領。67年の第3次中東戦争でイスラエルに奪われます。

 67年の国連安全保障理事会は「戦争によっての領土拡張は容認できない」「撤退を命じる」と決議(決議242)。今日まで有効です。オスロ合意(パレスチナ暫定自治協定)でパレスチナ自治区の「領土」として暫定的に定まり、将来における最終的地位協定で確定させると決まりました。

イスラエルの領土

 第1次中東戦争の結果がイスラエル・パレスチナの境界(グリーンライン)として一応の国際的承認を得ています。

オスロ合意以降の主な対立点

東エルサレムの帰属問題

「エルサレム」はオスマン帝国滅亡にともないイギリス委任統治領パレスチナの首都となった後に、パレスチナ分割決議で国連の永久信託統治へ。第1次中東戦争でヨルダンが「東」を獲得するも第3次中東戦争でイスラエルが奪取。80年にイスラエルは東西エルサレムを首都と宣言。同年の国連安保理で国際法違反(分割決議およびグリーンライン)とされたのです。

 一方、パレスチナ自治政府は東エルサレムを独立後の首都と主張。東エルサレムはユダヤ教、イスラム教の聖地でもあり、2000年、イスラエルの有力政党リクードのシャロン党首がイスラム聖地「岩のドーム」を訪れて「エルサレムはイスラエルに属する」と明言したのが発火点となり大規模な蜂起(インティファーダ)が発生するなど火薬庫と化しています。

入植地問題

 主に東エルサレムとヨルダン川西岸地区におけるユダヤ人の入植。

 国際社会はジュネーブ条約(1949年発効)の「戦時および被占領地での文民保護」の尊重義務に違反するとの声が大きく、オスロ合意から前進できない最大の弊害に。

 イスラエルは当地を「被占領地」ではないと主張。ヨルダン川西岸地区は旧イギリス委任統治領(現存しない)から分割決議案で「パレスチナ人地区」とされたもののパレスチナ側が納得せずに戦争を仕掛けてきた地であって他国から占領した歴史はないと。

関係国・地域

アメリカ(イスラエル支持)

 イスラエル以外では最多のユダヤ人が住む国。ただし在米ユダヤ人=イスラエルの強硬姿勢支持とは限らず、むしろキリスト教福音派に支持者が多いのが特長です。福音派とは聖書の記述に忠実で保守的なグループでアメリカ人の4人に1人とも。旧約聖書の「約束の地」(カナン)を深く信じています。

 米ソ冷戦も大きな影響をいまだ残しているようです。冷戦期、イラクやシリアの支配政党バアス党や、エジプトのナセル政権の政策はたぶんに社会主義的性格を帯びていました。

 イスラームとキリスト教という宗教上の不一致もむろん影を落としているのです。産油地帯として知られる中東はアメリカのエネルギー戦略に欠かせない地域で、イスラエルを除く大半がイスラーム。精神的な同情と実利的な同盟関係を重視せざるを得ません。

親米アラブ

サウジアラビア

 預言者ムハンマドの生まれたメッカと墓があるメディナの「二聖都」を領有するイスラム教スンニ派の盟主。絶対王政というおよそアメリカの価値観にそぐわない政治体制ながらイランの対抗国として対米関係が親密で米軍基地も置かれています。

エジプト

 強権政治が続きながら国内の宿敵「ムスリム同胞団」(ハマスの母体)を抑える意味でも親米。

 ただし国民感情がどうであるかは別です。国際テロ組織アルカイーダを創設したウサマ・ビンラーディンはサウジアラビア人。アメリカの仲介でイスラエルと平和条約を結んだエジプトのサダト大統領は81年にイスラム過激派の軍人に暗殺されています。

 つまり政府レベルではアメリカに近しくても中東で信頼できる国となるとアメリカにはイスラエルしかない。またイスラエルが核兵器を持っているのは確実なのでアメリカが当地で存在感を示さなくなると核危機も高まるというジレンマも抱えているのです。

 時にアメリカもイスラエルの行き過ぎに時には警鐘を鳴らしてきました。入植、派兵、東エルサレム問題についてなど。といってイスラエルに不利となる安保理決議の採択では大半で拒否権を発動して葬り去っています。

イランと反米アラブ

 イランは反米反イスラエルの中心。79年、イスラム教シーア派の聖職者ホメイニ師が主導する革命が起き、新政権がアメリカ大使館占拠し反米をむき出しに。80年にアメリカと国交を断ちました。

 イランの国教はイスラームのシーア派。ペルシャ語を話すペルシャ人が多数でアラビア人からも警戒されている存在です。

 2003年に勃発したイラク戦争で反米を唱えていた独裁者サダム・フセイン政権をアメリカは打倒したものの国内治安が泥沼化して米主導のプロセスは何度も行き詰まる過程で国内では多数のシーア派がイランと呼応する動きも。さらにシリアの独裁者アサド(親子2代)政権はアラウィー派というシーア派の分派で、イスラエルとは険悪でゴラン高原問題を抱えています。

ヒズボラ

 イスラエル北方にあるレバノンのシーア派武装組織。アラビア語で「神の党」を意味し、1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻を機に結成されました。同国南部から爆弾やロケット弾などでイスラエル攻撃を展開、イスラエル軍撤退(00年5月)を勝ち取ったとしてアラブ・イスラム世界で名声を得たのです。

 資金・武器供給面などでイラン、シリアの支援を受けているとされ、軍事メンバーは数千人とも。さらに政治部門はレバノン国会に議員を送り込んでいます。結果としてイラン-イラク(国内多数のシーア派)-シリア(アラウィー派)-レバノン南部の「ヒズボラ」とつながる「シーア・ベルト」が生じて、イスラエルの一大脅威となっているのです。

ロシア(旧ソ連)

 敵対するイラン、イスラエル双方とも関係が悪くなく、冷戦期に築いたアラブ世界との良好な関係も残している希有な存在。

 実はイスラエル内にはロシア語話者のユダヤ人がたくさんいます。旧ソ連のゴルバチョフ大統領が始めたペレストロイカの一環として1989年から同国在住のユダヤ人出国制限が緩められたのと同時に言論の自由化(グラスノスチ)の反動で以前からくすぶっていた反ユダヤ感情も強まったのも相まって「約束の地」への帰還希望者が続発した名残。プーチン政権も一定のパイプを持っているとみられているのです。

政局が大好きなイスラエル国民

 ユダヤ人の国ばかりが強調されがちですが、民主主義もまた国是。議会は比例代表制で議員を決めるため少数党の乱立になりやすく、今のネタニヤフ首相率いる最大与党「リクード」でさえ定数の4分の1程度しか持ちません。ために時の政権は必ず数党との連立を強いられるのが常。これがまたてんでんばらばら。

 「リクード」は一応保守・右派でイスラエル帰還運動(シオニズム)支持ながら世俗的で宗教色は薄く、パレスチナとの関係も振り幅が大きい。ところが連立を組む右派政党にモーセの「汝、殺す勿れ」を守らなかったとしてシオニズムを批判して兵役まで拒否する超正統派から熱烈シオニストまで包含。

 さらに社会主義を掲げたり、絶対にパレスチナを認めなかったり、反対にアラブ系であったり、ロシア系もいたりとさまざまでまとまりを欠く傾向があります。ゆえに対外的な恐怖感のみで一致するとも。

いわゆる「三枚舌外交」

 1914年に始まった第1次世界大戦は当初英仏露の連合国と独・オーストリアにオスマン帝国を加えた同盟国で争われました。アメリカは当初、中立を宣言。

 特にオスマン帝国対策に腐心したのがイギリスです。現在のイスラエル、パレスチナ自治区、シリア、レバノン、イラク、エジプト、ヨルダン、カタール、アラブ首長国連邦、クウェートなどへ強い影響力を行使しました。

 もっともイギリスが自信満々であったかというと疑問。アメリカ参戦まで仏独の西部戦線は相変わらずフランス軍が頼りにならずイギリスが必死に支えて何とか膠着。東部戦線のロシアはドイツに押されっ放しの挙げ句に革命で離脱するありさまです。

 対独戦に精力を費やさざるを得ないままのオスマン戦は心細く、ためにさまざまな密約を地域勢力と結んで何とかしようとしたのが「三枚舌外交」。

 ただし後述の通り、これをもって現在のパレスチナ情勢そのものの元凶とするのはやや飛躍した議論といえましょう。

フサイン=マクマホン協定(1915年)

 メッカ、メディナの「二聖都」を含むヒジャーズ地域はオスマン帝国が宗主権を握るも特別にメッカの太守(シャリーフ)としてハーシム家(ムハンマドの後裔)の自治を認めていました。太守フサイン・イブン・アリーはエジプト・スーダン駐在英国高等弁務官ヘンリー・マクマホンから秘密裏に彼がオスマン戦への協力=アラブ反乱を仕掛けてくれたらオスマン領に新たなアラブ人居住地を認める書簡を交わしていたのがこの協定です。

 「高等弁務官」はイギリスの植民地に準じる保護国(当時のエジプト)に派遣されていた政府任命の現地実質トップで直轄地における総督にあたります。第1次世界大戦勃発にあたってイギリスはエジプトを保護下に入れてオスマン帝国からが切り離していたのです。

 フサイン・イブン・アリーは約束通り15年に反乱を起こしてヒジャーズ王国を建てるも、隣地でサウジアラビアを建国したアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード初代国王が26年までに制圧。現存するハーシム家はヨルダン国王家。

サイクス・ピコ協定(1916年)

 英仏露3連合国によるオスマン帝国分割案。アラビア人居住地域を3国で分割所有しようというものでパレスチナは国際管理下に置くとします。秘密協定でしたがロシア革命でロシアが戦線を離脱した際に革命の主体であるボルシェビキが旧体制(ロマノフ王朝)の悪行として暴露。

 英仏に限っても戦後処理と協定内容は一致していません。

バルフォア宣言(1917年)

 イギリス外務大臣アーサー・バルフォアが同国貴族院議員でユダヤ人のウォルター・ロスチャイルド男爵へ送った書簡が後に公表されたもの。パレスチナでユダヤ人居住地を建設するのに賛成と支持を約束した内容です。

 当時、対オスマン戦ははかばかしくありませんでした。首都イスタンブール陥落を狙ったガリポリの戦い(15年~16年)に敗北して撤退するなど苦戦。さらに17年に入ってドイツが無制限潜水艦作戦を再開してイギリスの兵糧攻めに打って出ました。金融財閥ロスチャイルド家の気を引いて戦費をまかなってもらおうとの目的であったともいわれています。

 ただし正確な意図は不明。ウォルターは本業の金融には無関心でした。当時のイギリスのユダヤ人は一般にイスラエル帰還運動(シオニズム)に消極的です。大戦後のパレスチナは実質イギリスの植民地で、在英ユダヤ人は宗主国民でもあるわけですから無理押しする動機に欠けます。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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