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プーチン、ゼレンスキー、バイデンと笑顔で会えるトルコ大統領。NATO加盟国なのにヨソ者扱いを逆手に

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
誰とでも会える(写真:ロイター/アフロ)

 ウクライナ情勢が膠着しつつあるようです。今さら引けないプーチン露大統領と専守防衛の大義で祖国を守り抜くゼレンスキー・ウクライナ大統領は元より、蛮行を許すわけにもエスカレートさせるわけにもいかないアメリカらNATOも千日手のよう。そんななか、トルコのエルドアン大統領が飛び回っています。

 オスマン帝国後継の現代トルコにとってロシアはかつての宿敵。冷戦構造の引き受け手としてNATO入りするも欧州からはヨソ者扱い。いわばエトランゼが一転して時の氏神化しているのです。

 こんな唯一無二の国家はなぜ誕生し、どんな理由でこうなったのかを追ってみました。

ダーダネルス・ボスポラス両海峡を巡ってロシアと宿敵に

 現在の「トルコ共和国」は前身のオスマン帝国が第1次世界大戦に敗北して国家消滅に等しい講和条約を結んだのをケマル・パシャ将軍らが反発。自らアンカラ(現首都)政府を打ち立てます。オスマン残存勢力も駆逐して新条約で新国家の版図を保った後に樹立を宣言しました。最大の特長はムスリムが大多数を占める国には珍しい徹底した世俗化です。

 オスマン帝国時代からロシアとは宿敵同士。船で黒海から地中海に抜けるために絶対通過しなければならない「ボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡」をオスマンが支配していたため航行権などを巡って数次に渡る戦争が展開されてきました。

 トルコ共和国建国後は海峡沿岸はトルコの主権を認めつつ、海峡そのものは非武装の国際管理下に置かれます。

 さらに1936年のモントルー条約でトルコは当地の管理権を回復するとともに再武装も認められたのです。

NATO加盟の西欧から大きく東側に張り出す

 ケマル・パシャ大統領時代は欧州ともロシア革命で誕生したソ連とも友好的関係を築くも内のイスラム主義や主にソ連からの共産主義は排除。死後に発生した第2次世界大戦では終戦直前まで中立を維持してナチスからもソ連からも攻め込まれませんでした。

 戦後は親米路線へと舵を切ります。主な理由はソ連がモントルー条約を自国に有利なよう改訂を迫ったから。

 アメリカにもトルコを援助する積極的な動機があったのです。大戦後半、ナチス支配地を次々に解放していく過程で東欧の多くがソ連圏に変貌しました。結果としてトルコは親米の西欧から大きく東側に張り出し、かつ東西国境をソ連圏と接する要衝となりました。

東方拡大後も地政学的な位置づけに変わりなし

 1949年、ソ連圏と対抗する米欧の軍事同盟「北大西洋条約機構(NATO)」が結成されてほどなくの52年、トルコが加盟したのもこうしたいきさつがあったのです。

 91年のソ連崩壊後、勢力圏から脱したチェコ、ハンガリー、ポーランド、ブルガリア、バルト3国、ルーマニアなどが次々とNATO入り。プーチン大統領がウクライナ戦争を仕掛けた大きな動機と推測される東方拡大です。それでもなお東端という地政学的な位置づけに変わりはありません。

かなわないEU加盟

トルコ最大の特長である「イスラム圏での世俗化」を保つのはとても大変です。創始者イエスが世俗(ローマ帝国)から処刑された歴史を持つキリスト教のスタートは故に政教分離であるに対してイスラームの創唱者ムハンマドはアラビア半島の大半を征服した優れた軍人・政治家でもあってスタートから政教一致だから。

 現にイスラーム復興勢力や共産勢力が台頭して軍がクーデターの荒療治を施した過去も。そこまでして世俗化を守ってきた最大の動機こそ欧州連合(EU)加盟でしょう。

既にEUの前身であるEC(欧州共同体)加盟を1980年代から申請しているのにかないません。背景には「トルコは欧州か」という根源的懐疑が欧州人に横たわっている原風景があるようです。

ネックは欧州議会とオスマン帝国の影

 「我ら欧州。隣はアジア」の線引きは「ウラル山脈からウラル川を沿い、流入するカスピ海西岸からカフカス山脈および黒海北岸を西進しボスポラス海峡とダーダネルス海峡を抜けて地中海の東岸に至る」あたり。ちょうどトルコが立地するアナトリア半島(小アジア)は「アジア」となります。

 国民の数も案外と厄介。トルコ人口約8400万人はEU加盟国最大のドイツをしのぎます。EUの立法機関である欧州議会の定員は基本的に人口比なので、当然ながらトルコに割り当てられる議席も最多となりましょう。主要国のイギリスやフランスに警戒感がとくに強いようです。

 いかに世俗化しても全欧州を震撼させたオスマン帝国後継である記憶も邪魔しましょう。十分に脅えるだけの影といえます。

エルドアンの登場

 欧州への期待が失望へと転じつつあるなか誕生したのがエルドアン現政権です。2003年に首相、14年からは大統領として国を率いています。与党の公正発展党(AKP)創設者の1人。彼はイスラム主義を押し出した過去を持つも政権奪取後はAKPをイスラム政党と位置づけず、在来の世俗主義の下、民主的に「信教の自由を守っている」と主張してきました。

 しかし近年はイスラム色が目立つようです。酒の販売規制強化法を成立させたり大学内でのスカーフ着用を容認したり。さらに若者を中心とした反政府デモを力で抑え込むなど強権的な色彩も目立ってきました。NATOの一員として長年、西側の砦役を果たしてきたのに欧州からのけ者扱いされる鬱憤が民族主義的傾向を強める一因かもしれません。

ロシアもウクライナもヨーロッパ

 さて、奇妙なことに先の「我ら欧州。隣はアジア」の線引きだとロシアの首都モスクワや古都サンクトペテルブルクは欧州で「ヨーロッパロシア」なる概念も存在します。なのに敵視され、旧ソ連包囲網のNATOを自国へ接近させてくる欧州をプーチン大統領は毛嫌いするのです。

さらにいえば先の線引きだとウクライナも範囲内。当たり前のように「同じ欧州のウクライナを救え」と唱える欧州主要国に対して「NATO加盟国なのにヨソ者扱いのトルコ」と「欧州なのに敵視されるロシア」が奇妙な連帯感を共有してもおかしくありません。

クリミアの因縁

と同時にオスマン以来の旧敵感情と両海峡問題で露土が伝統的に警戒し合う関係もまた健在です。ウクライナにもそうした因縁の歴史が。2014年に一方的にロシアへ編入されたクリミア半島は、かつてオスマン帝国の保護国が領有していました。当地のセヴァストポリ要塞はクリミア戦争時に露vs英仏土で争奪戦となってロシアが敗れているのです。

 ロシアにすればNATO加盟国で黒海南岸に盤踞するトルコは最も刺激したくない相手。露大統領府報道官も「欧州でトルコ人を見たいと思うヨーロッパ人はいない」とトルコの痛いところを刺激する発言をして牽制にやっきとなっています。

立場こそ違えど「我慢ならない高慢な欧州」

 トルコのエルドアン大統領もここぞとばかりにEU加盟を要求する発言を繰り返している状況です。国連とともにロシア・ウクライナの当事2国を仲介して穀物輸出再開にこぎ着けた「黒海イニシアティブ」もまとめました。ただ今はプーチン大統領が抜けるの何のとごねていて話し相手になれるのはエルドアン大統領だけという状態。立場こそ違えど「我慢ならない高慢な欧州」を露土両首脳が揺さぶっている形と見えます。

 元よりフットワークの良さでは定評のあるエルドアン大統領の動きは最近ますます軽い。プーチン、バイデン米大統領、ゼレンスキー大統領と次々と会談できるだけでも凄い。しかも笑顔で握手。誰もできない芸当です。今後も目が離せません。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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