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葉梨法相「死刑のはんこ」発言で更迭 法相は「2番目に偉い大臣」で法務省も絶大な権限を有するという話

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
これで2人目の更迭(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 葉梨康弘法相が「朝、死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけという地味な役職」などと放言し、死刑という究極の刑罰を担う職責をあまりに軽視しているとして事実上、更迭されました。

 発言は他に今国会の最重要テーマである「旧統一教会の問題」を「なぜか」「抱きつかれて」「私の顔もいくらかテレビに出るようになった」と軽口の材料としたり「法務大臣になっても、お金は集まらない、なかなか票も入らない」などと自虐ネタにするあたり、大臣の資格なしとみなされて当然の内容でした。

 ただし、このあたりの批判はすでに多くのメディアや識者が指摘しています。そこでここでは、もう少し前の「法相とは」「法務省とは」というそもそも論を展開します。

「朝」の「はんこ」で「昼のニュース」にはならない

 その前に一言。「朝、死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになる」は事実に反します。死刑執行は「法務大臣の命令による」(刑事訴訟法475条)は確かで具体的には法務省官僚が順次決裁した死刑執行命令書へ押印します。ただし執行は数日後。近年は執行した日に法相が公表していますが「はんこを押し」た日は当然その数日前だから当日「昼のニュース」に取り上げられはしません。

 死刑囚が執行を告知されるのが当日なので混同したのかも。いずれにせよ軽はずみです。

「建制順」はトップの総務相に次ぎ、かつては1番

 では本題です。「地味」か派手かは主観でしょうが、法相自体の位置づけは極めて高い。新内閣成立や改造時にマスコミが国務大臣の顔触れを紹介する際の順位は首相を除いて法相は総務相の次、つまり2番目です。この順序はアイウエオ順でもイロハ順でもアルファベットでもない国家行政組織法の「別表1」に基づく「建制順」です。

 総務省は2001年の省庁再編で郵政省、総務庁、自治省という3つの省庁が合同してできたので上位を譲った形。それ以前は首相自らがトップの総理府を除けば1番上でした。

 建制順で扱いが具体的に違うわけではありません。席次や順番など儀礼的な順位や慣習です。とはいえ法相が極めて高く位置づけられているのは相応の理由があるのも事実。後述します。

行政府の一員でありながら司法府をも事実上構成

 さほどに法相を重視するのはひとえに職責の重さです。葉梨発言に関して「指揮権を発動できる要職」との指摘も多くなされました。背景には法務省という官庁の特殊性が認められるのです。

 同省は法律の整備や戸籍などの管理、刑務所の運営、出入国管理、検察庁の統制などを仕事とします。他の「○○省」と同じく首相が任命した国務大臣がトップです。大きな違いは検察庁が「庁」とついていても財務省における国税庁のような「外局」とは異なり「特別の機関」と位置づけられている点。ありていにいえば形式上、統制される側の検察庁が実際には省を飲み込むような姿といえます。

 例えば検察トップの検事総長の給与は法相と同額。最高検察庁次長と検事長も加えて天皇から信任状を認証される認証官でもあります。その上には三権の長(衆参両院議長、首相、最高裁判所長官)しかいません。

 検察の権限は容疑者を刑事裁判にかけるかどうかの判断をほぼ独占し、公判では起訴事実を立証すべく努力します。憲法77条2項は「検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない」と司法権への従属を命じているのです。すなわち法務省は三権のうち行政府の一員でありながら司法府(裁判所)をも事実上構成します。検察官出身の最高裁判所(司法府トップ)裁判官も慣例で一定数任命されているのです。

キャリア官僚の多くが国家公務員総合職でない唯一の官庁

 また他の省はおおむね国家公務員総合職(旧上級甲種→旧Ⅰ種)試験に合格した「キャリア」が重職を独占する官僚制を敷くのに対して法務省の「キャリア」は司法試験に合格して任じられた検察官がほとんど代替します。

 法相が持つ指揮権とは個別の事件について検事総長に対して捜査の中止や不起訴を命じられる権能です。準司法的とはいえ選挙で選ばれていない行政機関の位置づけにある検察が暴走しないよう内閣がチェックできる機能ともみなされています。

 ただし検察は国会議員や国務大臣への捜査権や起訴権も当然に有しているので、そうした者を恣意的にかばう理由で指揮権が発動されたら逆に検察の正義が歪められてしまう弊害もあるのです。

 つまり法相は行政官庁のトップであるという以上に司法権の一部をも監督し、時にその判断を覆す能力も持ちます。法廷の検事も「赤レンガ」(同省旧本館の外壁に由来)で行政官を務めるのも中心は司法試験を突破した法律の専門家たち。そのコワモテを御し得るにふさわしい能力を持つ、それなりの人物でなければ法相は務まりません。

 現に戦後の歴代政権は法相に有力政治家を置くか、逆に参議院や民間人を据えて恣意的な人事と疑われないようにはからうなどバランスを取ってきました。しばしば副総理格にさえ擬せられたほどです。

 対してロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄元首相は「闇将軍」として後の大平正芳、鈴木善幸、第1次中曽根康弘内閣で自らに近い人物を法相に就けており、いざという時の指揮権を手元にしておきたかったのではという推測が絶えませんでした。

法相軽量化の危機がもっと論じられるべき

 では葉梨氏の「軽口」はなぜ飛び出したのでしょう。実は近年、上記のような法相重視の傾向が薄れて「軽量化」がささやかれています。良く解釈すれば行政とくに内閣が法務行政にくちばしを入れないとのサインと読めば読めるのですが、一方では軽い法相ならば容易に官邸あるいは与党の介入を許してしまい、それを了としているともいえるのです。

 検察の側からいえば、そのあり方などに疑問を呈す法相はけむたいし過去にそこを問題視する法務官僚の風潮が明らかにみられました。軽量大臣だと法務官僚の意向を掣肘できずに下手すればなすがままにされてしまうという危険があるのです。

 一大スキャンダルに発展した現職特捜主任検事による大阪地検証拠改ざん事件などはこうした文脈から生じている可能性が高い。政治のガバナンスが効かず現場の独走を許していると。葉梨問題をきっかけに法相軽量化の危機がもっと論じられるべきです。

天下らなくても「ヤメ検」弁護士として在野で有力な社会的地位を業務独占

 「法務大臣になっても、お金は集まらない、なかなか票も入らない」はおそらく本当でしょう。カネや集票のために大臣になりたかったのかと批判したら身もふたもないので正面から分析してみます。

 確かに法務省は国土交通省や経済産業省といった官庁に比べて許認可に関わる業務はあまり見当たりません。ゆえに族議員化して何らかの「お金」を政治力を発揮して動かせる可能性も小さいでしょう。でも、その代わりといっては何ですが検察という最強の捜査権を担っているのです。名誉や責任というのは彼のやりがいにはなかったのでしょうか。

 厳正中立・公正を旨とする検察にカネにまつわるあれこれが附随した方がよほど危なっかしい。法務省の他の業務である入国管理や外局の公安調査庁などが持つ強大な権限にも同じことがいえます。

 近年はかなり減ってきたとはいえ「お金」「票」に結びつく利得と密接に関連するのが官僚の天下り先です。ところが法務省の中心にいる検察官は法曹資格を有しているため退官後も弁護士として在野で有力な社会的地位を業務独占できるというのが他の官庁の官僚との大きな違いです。なお、こうした「ヤメ検」弁護士と地域の検察庁との結びつきの強さもかねがね指摘されているという点も付言しておきたいところです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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