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新名称「こども家庭庁」めぐり伝統的家族観が話題 "家庭"を追加した背景は?

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
家族みんなキラキラ……とは限らない(写真:アフロ)

 政府は菅義偉前政権の構想で現政権も引き継いだ「子ども政策の司令塔」である新組織の名前を従来の「こども庁」から「こども家庭庁」とする方針を固めました。自民党側で揉んだ結果の変更を受け入れたのです。

 この件に関して一部報道が「伝統的家族観を重視する党内保守派に配慮した形」と伝えたので世論はざわついています。確かに発想の原点からさかのぼってみると違和感があるのです。「家庭」を追加した経緯と是非などを探ってみました。

提言段階で「家庭」の文言をあえて外した理由

 そもそも「こども庁」は自民党若手有志議員による「Children First の子ども行政のあり方勉強会」(山田太郎・自見英子両参院議員が共同事務局設置)が話し合って提言をまとめ、当時の菅首相に手渡したところから端を発します。提言は「子どもの命や安全を脅かす深刻な状況が続いている」と問題提起し、児童虐待、自殺といった要因を挙げて「子ども最優先(=Children First)」を訴えたのです。

 この議論の最中、仮称として用いていた「子ども家庭庁」に対して招かれて講演した虐待体験者の風間暁さんから異論が唱えられました。それも踏まえて「こども庁」という仮称に変更されたのです。

 提言を受けて菅首相は自民党内に検討組織を正式に発足させるとともに国会でも4月、公式に「こども庁」創設への意欲を語りました。岸田文雄首相に替わった後の衆議院総選挙の党公約でも「子供のための政策のあり方を子供の視点、子供の目線で抜本的に見直し、常に子供を真ん中に据えた『こどもまんなか』社会を目指します」「社会全体で子供の誕生・成長を支えるとともに、虐待や貧困などに対応する持続可能で誰一人取り残すことがない育成環境を整備する」といった内容を盛り込んで政権維持に成功したのです。

「家」を絶対視した時代への回帰ないしは郷愁か

 それが再び「こども家庭庁」に復したのは会議体の座長を務めた加藤勝信前官房長官によると「子どもは家庭を基盤」「家庭の子育てを支えることは子どもの健やかな成長を保障するのに不可欠」という理由だそうです。

 この決定は党内でさえ賛否両論。有志の勉強会で示された虐待は「家庭」という単位内で発生するし、そもそも子どもすべてが親と生活しているわけでもなければ、児童養護施設で暮らす子も多くいます。党公約の「持続可能で誰一人取り残すことがない育成環境」とずれが生じるのではないか。

 「こどもまんなか」の理念も「家庭の一員としての子ども」でなく先に子どもの権利があって、家族は大事としても、やはり党公約が「社会全体で子供の誕生・成長を支える」と訴える限り「家庭」を入れてしまうと「社会全体といっても一義的には家庭だ」とのニュアンスに偏するおそれがあります。1994年に日本が批准した「子どもの権利条約」も子どもを権利をもつ主体と位置づけているのです。

 一部報道(共同通信など)が「伝統的家族観を重視する党内保守派に配慮した形」と報じたせいか、さまざまな憶測も飛び交っています。「伝統的家族観」が何を指すのか今ひとつハッキリしないなか、明治民法が定めた「家」を絶対とする戸主(家族統率者)制度への回帰ないしは郷愁をかぎ取っている声も聞かれます。

 2012年に発表した自民党改憲草案が「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と掲げているのも気になるところです。

家庭への支援は「こども」の育成に不可欠という反論

 他方「別に保守主義をごり押ししているわけではない」という反論も聞かれます。子どもが安心して生まれ育つために今や7人に1人とみられる「子どもの貧困」状態解決は不可欠で、その場合、乳幼児や年少者でなく親や家庭を支援する形式にならざるを得ないし、虐待は扶養義務を課されている親がその役割を果たしていないからで「家庭」を視野に入れる方が現実的であるともいえます。

 親を持たない、ないしは児童養護施設で育つ子はいっそうのケアをすべきなのは当然。現実問題として「家庭」で暮らしている子が非常に多いのだから、その単位が維持できるケースでは家庭教育などを公が支えていくのも普通の発想だし、保育所選びや児童手当の支給先を親以外とするのは却って不自然です。

 要するによりよい子育てのために家庭へ支援するという方向性そのものは間違いではないでしょう。予断を持たず、イデオロギーに偏せず、理想は追いながらも現実の課題を1つ1つ解決していかなければならない。あえて「家庭」を庁名に入れるからにはそうした政策が実施されるべきでしょう。

まさか「永田町の論理」では?

 気になるのは自民党の若手有志があえて「家庭」を外した提言をしたという点です。仮に「伝統的家族観」とやらが機能しているならば、こうした危機感が若手から噴き上がりもしなかったでしょう。それが党の決定に至るや復してしまう。そこに「昔はよかった」的なベテランや重鎮の縛りという力学は働いていないでしょうか。

 また自民党国会議員の世襲率は約3割。こんな組織は世襲を前提とする社会(王族とか歌舞伎役者とか)以外どこにもありません。

 彼ら彼女らは親から地盤と看板を受け継ぎ、親と同じ苗字で投票してもらいます。反抗した時期もあったかもしれませんが、そのお陰で今の地位がある。それが世間の常識ととらえられたら大間違いです。実は復古主義でも何でもなく単に永田町の論理で覆したとしたら政治不信が高まるのは必定でしょう。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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