東京五輪で金メダルを獲得したソフトボール日本代表の後藤希友選手が出身地の名古屋市役所を訪れた際、河村たかし市長がメダルを噛むパフォーマンスをして後藤選手が所属するトヨタ自動車はじめネット上でも批判の大炎上と化しました。

 ところで後藤選手はなぜ市役所に赴いたか。メダル獲得を報告する「表敬訪問」でした。よってここでは表敬訪問とは何か、普段どのように行われているか、過去に問題を起こした事例はないかなどを紹介します。

自治体代表者に助成などへの敬意を示す

 「表敬訪問」の「表敬」とは「敬意を示す」。「訪問」は「相手先に出向く」です。日本語としては「表敬する」で「表敬訪問する」とほぼ同義。今回だと後藤選手が「ありがとうございます」との意を市役所を訪れて伝える側で、市長は敬意を受ける側となります。

 後藤選手は生まれてから名古屋市立の小中を経て市内の私立高校を卒業。この頃からソフトボールに取り組みました。

 国はもとより地方自治体はさまざまな分野の発展を担い、予算もつけています。基礎自治体たる市町村は最も身近な存在でスポーツ振興はもとより、医療や福祉、文化事業など多数のイベントを主催したり助成したりしているのです。

 首長(今回は市長)の立場は「自治体の代表」。ほとんどの行政事務を担当しトップとして差配する権限を有します。職員と異なって勤務時間という概念はありません。

 表敬訪問は行事・式典のたぐいで対外的なアピールとなるため大抵誰もが熱心です。懸案を話し合うといった用事がないとの意を暗に含むので揉める気遣いもなく、たいてい目出度い対面だから取材陣にも公開し喜びを分かち合って終わりだから受ける側の印象も良くなるため断る理由も問題視されるはずも本来ありません。

どこでも盛んに応じる珍しくもない行事のはずが……

 例え五輪競技でもスポーツに割かれる予算は一部の人気競技を除いてわずか。公営の施設を借りたり各種大会などを開催したりでの直接的利益もさることながら、その施設の維持管理も公のお金が入るので間接的にも自治体の世話になっている可能性があり、かつ今後も期待できるとなれば本人がどうこう以前に慣習的に競技団体などとの関係で表敬する道筋ができていて首長は盛んに訪問に応じています。どこでも。

 都道府県や市区町村内の部活(ブラスバンドとか書道展とか)で活躍した学校の児童生徒や、自治体の事業に賛同した企業代表や個人も当たり前のごとく表敬しています。首長の方から警察署や病院などを訪ねての表敬も珍しくありません。100歳になった高齢者がいる施設に赴いて表彰状を渡し、入所者と「市長はお幾つ?」「66歳です」「まあお若い!」(首長照れる)といった会話をするといったお決まりの光景もしょっちゅうでしばしば記事化されます。微笑ましく罪のないちょっといい話として。組織ジャーナリズムに籍を置く記者ならば一度は皆報じた経験がありましょう。

明治以降に導入された西欧風儀礼の側面も

 このように「表敬」とはいくぶん「目下が目上に」という意味合いがこもります。江戸時代に参勤交代で出府(江戸入り)した大名が将軍にお目見えするというのも今でいう表敬でしょう。

 若干ニュアンスの異なるのが儀礼的訪問。主として西欧で定型化された国際的儀礼が援用されます。海外からの客を招いたり、赴いた先でしかるべき立場の者にあいさつしたりする行為を指し、基本的に対等な扱いを腐心したプロトコルがルール化されているのです。明治新政府は岩倉使節の派遣あたりを皮切りに洋装の服装規定や作法の導入を徐々にはかり早くも1870年後半から80年代ぐらいには身につけていきました。

 今日の国内の首長や国務大臣らが受ける「表敬訪問」は文字通りの表敬と、外交的必然から発した儀礼的訪問を合わせたようなもので明確な違いは見受けられません。

社会の潤滑油的働きを期待

 この程度の出来事ですから「表敬訪問って必要なのか」という問いにまともに答えれば「用事はない」が前提だから「不要」ともいえます。ある程度必要そうな儀礼的訪問も近年はG7首脳レベルでさえ会議(こちらは「用事がある」)しても晩餐会など開かずさっさと帰国するのも珍しくないので意味は以前より小さくなっているのです。それでも行われるのは社会の潤滑油的働きを期待するからでしょう。

 要するに「事件」は何も起きなくて当たり前の時間のはずなのです。

 それでもなお物議を醸す事態が到来するとしたら、1つは懸案を抱えているのを双方承知の上で、だからこそ「表敬」を装うというケースが考えられます。例えば沖縄県の米軍基地問題で県知事が上京して担当大臣に表敬したり、反対に来沖した議員団の「表敬」を知事が受けたりした場合に過去その文言が話題となったケースもあります。

セクハラや差別が疑われたケースも

 河村知事の今回の言動はメダル以外でも「恋愛は禁止ですか」「旦那はいらないのか」といったセクシャルハラスメントを疑われる発言もあったとされます。類似の出来事は過去にも。2003年、宮崎市で開かれたジョギングイベントに参加した00年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが表敬訪問した際、当時の宮崎市長が「いま30(歳)?」「結婚とかはどうなんですか」などと質問して「どうよ?」と疑問視されています。

 16年には当時の農林水産大臣がミス日本最終候補者の表敬訪問を受けた時に「(手上げ質問で)トランプさん(前米大統領)を旦那さんにして良いと思っている人は?」などと微妙な一言を発しました。

 こうした訪問者に失礼となる疑い以外の発言だと1992年来日した「ロシア民族アンサンブル」(楽団)が公演した三重県津市役所を表敬した際、当時の津市長が「日本は単一民族国家」と発言し民族差別ではと批判の声が上がった件などが挙がるのです。

過去に「河村級」を放った人物とは

 では相手に失礼かつ発言も問題という「河村級」はあるかというと1つ思い浮かびます。その人は……何と河村たかしさん。同姓同名ではありません。同一人物です。

 2012年、名古屋市の姉妹都市、南京市の中国共産党同市委員会常務委員らが来名して河村市長を表敬した時、市長が「南京事件はなかったのではないか」と発言した件が該当します。

南京事件とは日中戦争初期の1937年、旧日本軍が同市域を占領した時に多数の中国兵や市民などを殺害したとされる事件。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」「しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難」(外務省WEBサイト)という立場。中国側が犠牲者「30万人」と主張していて隔たりがあります。

 もちろん市長とはいえ思想信条や表現の自由は保障されています。しかし政令指定都市の公職者が中国側の公職者に「なかった」といえば外交問題に発展しかねません。

 また事件や解釈の当否はさておき姉妹都市の代表として訪れた外国人に両国間の懸案をぶつけるというのが非礼であるともみなせます。南京市の要人かつ共産党員が「そうですね」と言えるはずもなく、といって場をかき乱すのも大人げないわけで。少なくとも「表敬」にきた相手に話すのは筋違いという批判でした。

 南京事件についてガチで中国側とやり合いたいならば、そうと名乗って総書記でも首相でもいいから書簡を送るなどして堂々とすればいい。「いくら白髪三千丈のお国柄でも30万人は盛りすぎだ」と。

 先述したように表敬は「何も起きない」が前提。ゆえに報道陣にも公開するのが普通です。そうした場での会話は当然筒抜けになります。「メダルをガブリ」の絵が撮れたのもそうした理由からでした。