本日、安倍首相が大叔父でもある佐藤栄作元首相の在職(1964年11月9日~72年7月7日)日数(2798日)を抜き単独1位になります。既に通算在職日数は1次政権(2006年9月26日~07年9月26日の366日)を加えると桂太郎政権を上回って過去最長を更新。戦後の首相がおおよそ2年強で退陣(死去を含む)しているのを踏まえると「大記録」といえそうです。今回は佐藤政権と比較して共通点や相違点などを見出していきます。

両者とも衆院2勝・参院3勝

 佐藤・安倍(2次政権以降)両氏は任期中に3度の参議院議員通常選挙と2度の衆議院議員総選挙を戦い、いずれも勝利しています。両氏とも首相であると同時に自民党総裁(トップ)でもあり、ここでいう勝利とは自民党を指すのです。長期政権の源泉は何といってもここでしょう。衆院選は政権選択を主権者に問う主戦場で、首相の裁量で解散が打てるので敗北=実質的な不信任です。安倍氏は野党転落時の自民党総裁として臨んだ2012年総選挙でも圧勝しているので「国政選挙6連勝」ともいえます。

 参院選は党勢や内閣支持率がどうであれ待ったなしに3年ごと半数が改選されますから長期政権となれば必然的に回を重ねるのです。また衆院より批判票が出やすい傾向があって「連勝」が難しいともいわれます。佐藤政権は最後の3回目は勝利というより「負けなかった」ぐらい。安倍氏の2・3回も自民単独では改選の過半数を割っていますが同政権は公明党との連立なので(佐藤政権は自民単独政権)両党当選者を合わせれば勝利と評価されておかしくありません。

 もっとも55年体制下の自民党出身の首相22人(安倍氏のみ一度退陣して他の首相が選任された後に返り咲いた経験あり)のうち総選挙敗北で退いたのは三木武夫、宮沢喜一、麻生太郎の3氏。参院選敗北の責任を取ったのが宇野宗佑、橋本龍太郎の2氏。第1次安倍政権も主因は病気でしたが退陣直前の参院選敗北が色濃くにじんでいます。いずれにせよ意外と少ない。それも道理で55年体制下の自民党は2009年の総選挙結果以外は野党転落時さえ圧倒的な比較第一党で、そもそも簡単に負けはしないのです。

総裁選規定の「再選制限なし」と「1年延長」

 国政選挙以外で長期政権を阻んできた大きな要因が自民党総裁選挙です。形式上は1つの党のトップを決めるに過ぎないとはいえ、2度の野党転落以外は総裁=首相(村山富市政権を除く)でしたから重大です。

 首相に任期がないのに対して総裁にはあります。佐藤首相の時代は「任期2年。再選制限なし」でした。彼は64年7月に3選されたばかりの前任・池田勇人総裁が病気を理由に総辞職し、かつ総裁裁定もあって後任に就いて以来、3度の総裁選で勝利しました。

 一方の安倍総裁は野党時代の2012年に返り咲いた時点で「任期3年、再選まで」のルールに変更されていました。1度の勝利で担える任期が1年延びていたのです。このままだと15年の再選で終わり(つまり総裁職は18年まで)のはずでした。ところがその後に「3選まで可」とルールが変わったので18年の総裁選に安倍氏が立候補でき、当選したため今日までその座にあり続けているのです。

 総裁選で首相の地位が左右されたケースは2通り。1つは「挫折型」もう1つは「勝ち抜け型」です。「挫折型」は現職首相ながら総裁選で敗北し総辞職を余儀なくされた福田赳夫氏と、やはり現職首相であったものの迫る総裁選で勝てる見込みを失って総辞職した海部俊樹氏が数えられます。

 「勝ち抜け型」は直近の総選挙に大勝して任期延長1年を全うした中曽根康弘と、やはり延長論が噴き出したにも関わらず規定通りに退いた小泉純一郎の両氏です。

 この中間が鈴木善幸氏。総裁選での再選見込みが十分あったのに突如不出馬を表明して去りました。

 どのパターンでも党内規定の総裁選が結果的に首相職を手放した理由になっています。佐藤長期政権は「再選制限なし」のなか勝ち続け、かつ前任者の残余期間も長かったのが加わって成し遂げられました。安倍氏の場合は既に任期が1年延びていた上に在任中3選可の変更があったというのが大きい。ただ安倍氏がそれで救われたというより、彼の存在が3選を呼び込んだといった方が正しそうです。

疑惑を選挙で吹き飛ばす

 石橋湛山、池田勇人の2氏は病気が理由で退陣。第1次安倍政権もここにカウントされましょう。大平正芳、小渕恵三の2氏は在職中に死去しました。

 疑惑や人気薄が理由で退いたのが田中角栄(金脈問題)、竹下登(リクルート事件と支持率低迷)、森喜朗(支持率低迷)です。岸信介氏も日米新安保条約成立と引き換えに退陣したとはいえ当時の「岸憎し」の世論が凄まじかったのも大きな要因です。

 佐藤氏もまた黒い霧事件や沖縄密約疑惑など追及されたテーマはいくつも認められます。安倍氏も森友・加計問題など。多少のマイナス材料に屈せず、むしろ総選挙で迎え撃って返り討ちにする手法が似ています。

幸運も重なったライバル不在

 佐藤・安倍両氏ともライバル不在が長期政権を実現させた可能性の高い要因です。佐藤氏は前任の池田氏ともども吉田茂元首相門下の「吉田学校」に属する官僚派でほぼ同世代のライバル。池田氏が先に務めた上に65年に死去しています。派閥を引き継いだ前尾繁三郎氏は教養人としての評価が高い半面で政局に強いとはいえず佐藤政権に取り込まれたり、一転して総裁選で争うも大惨敗を喫しているのです。

 岸派の領袖たる兄の岸信介氏も既に首相を経験済み。退陣後も隠然たる勢力を誇るものの弟を追ってまで返り咲く環境にはありません。後継の福田赳夫氏を佐藤政権は厚遇するも、その理由はあくまでも「ポスト佐藤」だから。言い換えるとライバルたり得ません。

 本来、最強の好敵手は官僚出身者と一線を画して政党人として這い上がってきた党人派の頭目であった河野一郎氏。65年に死去しなければ確実に佐藤政権を脅かしていたでしょう。

 総裁選に挑み続けた「男は何度でも勝負する」三木武夫氏は率いる派閥が強固な結束を誇りつつもいかんせん弱小で「佐藤の首」を取るには至りませんでした。

 安倍氏も小泉政権時に次世代リーダーとして名が挙がった「麻垣康三」(麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三)の4氏がそれぞれの理由から安倍氏のライバルたり得ない実情があります。麻生氏と福田氏は既に首相を経験し、麻生氏は第2次安倍政権発足からずっと副総理を務める盟友。福田氏は12年に政界から引退。谷垣氏は民主党政権期の自民党総裁を務めるも12年の総裁選への出馬を断念し、第2次安倍政権発足以降は厚遇されるも事故をきっかけにやはり引退しています。

イケメン

 容姿の評価は人さまざま。といっても「政界の(市川)団十郎」と称された佐藤氏や55年体制で長寿政権を成し遂げた中曽根氏や小泉氏も映える人物でした。

 現職の安倍氏のルックスをとやかく詮索するのはさすがに気が引けます。ただ小泉首相が総選挙での人気を当て込んで大臣経験すらない安倍氏を党ナンバー2の幹事長に据えたり、内閣のスポークスマンたる官房長官に就けた理由の1つに数えられるのは明らかでしょう。

 特に「右派のスター」としての人気は絶大でした。ともすれば右派はコワモテとなりがち。彼が幹事長代理であった戦後60年(2005年)8月15日、靖国神社に参拝した際は大歓声のなか取材陣やカメラクルーが殺到して大騒動。靖国に参拝するタイプでこうした光景を呈するのは非常に珍しいと当時思ったものです。

 まあ二方はもとより親族なので人相風体が似通うのも当然ですが。

景気拡大の後押し

 経済が好調といった点も似通っています。佐藤政権の真ん中を戦後史上最強の「いざなぎ景気」(1965年11月~70年7月。57カ月)が横たわっているのです。第2次安倍政権がスタートした2012年12月は「直近の景気拡大」期のスタートライン。もし19年1月まで続いていたら02年2月~08年2月までの「戦後最大の景気拡大」(73カ月)をしのぐはずでした。先月、内閣府の有識者会議「景気動向指数研究会」が18年11月より後退局面に入ったとの認識を示し、どうやら幻の戦後最長になりそうですが、それでもかなりの期間を占めるのです。

 もっとも同じ拡大期でも「いざなぎ景気」と「直近」ではレベルが格段に異なります。前者は実質GDP成長率の推移で10%を超える途方もない成長を記したのに対し後者はいい時でも2%に及びません。佐藤政権の場合「いざなぎ景気」の前後に後退期が観測されているとはいえ5%以上伸びているのです。

就任前に挫折を経験

 大きな挫折が結果的に慎重な運営につながり長寿を達成した可能性もあります。

 佐藤氏は師匠の吉田茂氏の導きで役所を辞めた直後、吉田内閣で民間人ながらいきなり内閣官房長官に抜てきされ、衆議院議員に転じても与党自由党幹事長を務めるなど華々しいスタートを切りました。

 ところが54年に表面化した「造船疑獄」で賄賂罪での逮捕寸前まで追い詰められ別件で起訴もされたのです(免訴)。55年の自民党結成時には宿敵の鳩山一郎首相の風下に立つのをよしとしない吉田氏にしたがって不参加。入党後もライバル池田氏に首相職で先を越されました。

 安倍氏の挫折は何といっても第1次政権。それまでは前述の通り小泉首相の庇護の元で順調に階段を上っていたのが国務大臣の相次ぐ失言や不祥事に悩まされ「消えた年金」「宙に浮いた年金」問題で野党から突き上げられた挙げ句、07年7月の参院選で歴史的惨敗。最後は体調不良で挂冠。前述の通り自民党史上、いったん総理総裁を退いた者が間を置いて返り咲いた例はなく「安倍も終わりだ」と誰もが思ったところからの逆襲撃でした。

後継を競わせるか柱石を据えるか

 佐藤・安倍氏ともども国務大臣や党役員の人事はうまい。でも大きな違いもみられます。両氏とも2度の総選挙をくぐり抜けているので連続3次務めており、さらに6度の改造を試みているところまで同じです。

 佐藤氏の場合、総裁選で敵対した三木、前尾、藤山愛一郎の各氏を平然と遇する一方、自らの首相職を導いた「寝業師」川島正次郎氏を一貫して党副総裁としてにらみを効かさせます。

 同時に次世代のホープに擬せられていた「三角大福中」(三木、田中角栄、大平、福田、中曽根)を党幹事長や主要閣僚(大蔵、外務、通産、運輸など)に配置して競わせました。さらに「次の次」である宮澤、竹下といった若手各氏まで国務大臣に任命しているのです。

 一方の第2次安倍政権以降は、そもそも「ホープ」が誰かさえわからない状態。あえていえば岸田文雄氏(外務大臣→党政調会長)ぐらい。河野太郎氏や小泉進次郎氏も育成するため大臣に就かせたというより取り込んだ感が強く、就任後の人気の方が下がっている様相です。

 代わりに極めて顕著なのが麻生副総理兼財務相、菅義偉官房長官を一度も外していない点。16年から党幹事長を務める二階俊博氏も9月には佐藤政権で主に務めた角栄氏の持つ幹事長通算在職日数を超えようとしています。

 麻生氏は同じ首相経験者で祖父も首相という「貴種」の盟友。「ああ見えて義理堅い」と評判の麻生氏は現首相の精神安定剤の役割も果たしているし看板政策「アベノミクス」に必ずしも賛同しないであろう財務官僚の重しにもなっています。

 菅、二階両氏は昔でいうところの「党人派」。二世・世襲ばかりの今日の自民党にあって何もないところから叩き上げた苦労人です。二方とも主義主張に殉じるというより状況に応じて融通無碍の対応ができる「貴種」が最も苦手とする役割がこなせます。

 3人とも安倍氏より年長で後を襲われない安心感も首相には大切な要素。麻生氏だけは「自分に何かあったら頼む」ぐらいの打診はしているかもしれません。

 しかし川島氏が述べたとされる名言「一寸先は闇」の政界です。菅氏は年長とはいえまだ71歳。名脇役として似たポジションにいた野中広務氏ですら一時、総理待望論が出た際には「その気」になったとも伝えられている世界なのです。

官僚操縦

 佐藤氏は自らの出身である霞ヶ関の官僚を自由に働かせました。党人派やかつての「ワンマン宰相」と異なる点です。職掌だとトップに位置する国務大臣を改造などで頻繁に変えたり、反対に大蔵(現在の財務)大臣は福田氏か水田三喜男氏にしか任せないなど議会人の制約をなるべく受けずに使いこなしました。

 安倍氏の場合は2014年に「内閣人事局」を設置して幹部職員人事を一元管理できるよう改めました。佐藤氏の「解放」に比すれば「脅し」に近い掌握術です。何しろ霞ヶ関の論理は「人事が万事」。その万事を握られたら服するしかなくなってしまいました。

あえて「安倍後」を「佐藤後」でなぞらえたら

 次世代の「三角大福中」を競わせて長期政権を維持した佐藤氏がとりわけ目をかけたのが岸氏の後継たる福田氏。他方、同一派閥ながら実力者として認められていた角栄氏は「佐藤が育てた」というより自力でのし上がってきたタイプです。

 70年の総裁選は佐藤氏が出馬せず福田氏に後を譲るという見方があった一方で角栄氏が抵抗したため川島副総裁の働きで「佐藤4選」でまとまったとされます。角栄氏は佐藤派をなかば簒奪するような形で田中派を結成し、佐藤首相は次の総裁選前の72年に勇退。同年の総裁選で角福激突の末に田中新総裁が選出されました。

 安倍政権と比較すると類似点と相違点が半ばします。似ているのは2021年の総裁選の扱い。一部には党則を改正して佐藤氏と同じ「4選」の道を用意すべきという声がある半面、直後に衆議院議員の任期満了が迫っているため有権者の飽きが懸念されます。

 現党則通りに安倍氏が退くとなれば遅くとも来年9月頃に総裁選が実施されるのですが、佐藤政権の「角福」に相当する本命が見当たりません。

 佐藤後と安倍後を無理矢理擬すると、

田中角栄……菅義偉

福田赳夫……岸田文雄

川島正次郎……二階俊博

三木武夫……石破茂

岸信介……麻生太郎

 やっぱり無理があるなあ……。派閥の系譜的にもムチャクチャだし。

 佐藤氏も安倍氏も奇しくも「1強」となぞらえられました。ただ佐藤氏の場合「4弱(三角大福)+風見鶏(中曽根)」と続くのに対して安倍氏は単純に「1強」。安倍氏が佐藤氏と一番違うのがここ。後継者を育てなかったのか人材が払底していて育てようもなかったのか。意見が分かれるところでしょう。