新型コロナウイルスのまん延と同時進行で、さまざまな物がスーパーやコンビニの棚から消えました。うちマスクや消毒液、体温計などは感染予防に必要と多くの人が考えたからと合理的に推論できます。しかしトイレットペーパーは説明がつきにくい。さまざまな心理学者などの言説を基にパニックの謎に迫ってみます。

デマだとわかっていても

 トイレットペーパーの品薄は2月下旬あたりから顕著に見られるようになりました。主な理由は買いだめです。誘因として指摘されるのがSNSを中心に広まったうわさ。「マスクの増産で原材料が不足する」「中国の工場が止まった」などです。

 製紙会社でつくる団体は記者会見で即座に「デマである」と反論しました。「マスクに使われる不織布とは原料が全く異なるので因果関係がない」「中国からのトイレットペーパーの輸入は2・5%に過ぎず、ほとんど国産」「在庫は十分」と。それでも品薄はなかなか収まらず、やっとこのところ解消に向かっています。

 今時のコロナ禍で日本や香港と同じくトイレットペーパーが店頭から消えたシンガポールの日刊紙『ザ・ストレーツ・タイムズ』は感染症の専門家であるポール・タンビア博士の「感染後、自宅に隔離される2週間の検疫期間を恐れて買いだめしているのだろう」というコメントを掲載しています。同国では食料品の買いだめまで起きていて一定の合理性が認められるとの見解です。

 ただ日本の場合、2月下旬はダイヤモンド・プリンセス号の感染に注目が集まり、北海道でアウトブレイクしたという段階で「2週間の隔離」を国民が現実視していたとは言いがたい。時間軸が異なるのです。

買いだめしたくなる商品の1位?

 デマに誘発されたか否かはともかく、「そのモノ」がないという現実に直面した。「そのモノ」は欠くべからざる品である。ゆえに買いに走って「うそから出たまこと」に変じるという経緯は、しばしば悪役となるネットが普及する以前から確認されています。代表的なのが1973年の豊川信用金庫取り付け騒ぎ。高校生の無邪気な雑談が本物の信用不安へと発展したのです。

 しかしここでいう「そのモノ」は誰もが後生大事なカネ。言っては悪いが「たかがトイレットペーパー」に目の色を変える理由は何でしょうか。

 2017年に不動産・住宅サイト『SUUMO(スーモ)』が実施したアンケート「家に十分あるのについ買いだめしてしまうもの」に興味深い結果が示されています。何とトイレットペーパーが20.4%と堂々の第1位だったのです。ちなみに2位が、これまた一時品薄化したティッシュ。

 サイト側の分析によると「無くなった時かなり困るから、ついつい安いときに買ってしまう」「腐るものでもないし、よく使うものだから」「週末安売りしていると、ついつい買ってしまう」など、ストックが絶対に必要なわけではないけれど、あれば安心なので安いと買ってしまうといった声が多くあがりました。この「あれば安心」というのが1つのポイントでしょう。

「白いもの」と安心

 やはり買いだめが発生した東日本大震災時のパニックについて、心理学者の内藤誼人氏はEXCITEニュースの取材に対し「実は、“白いもの”に安心感を抱くのです。例えば、外にいる場合ですと白い建物の側に集まったり、何かを買うにしても白いものを購入したりする傾向にあります」と答えています。不安をあおりやすい黒と正反対で、安心感を抱きやすいため不安になると手元に置きたくなると色彩学の観点から指摘しているのです。

不確実性のもとでのコントロール感

 「安心感がほしくて購入する」という心理を少し深掘りしてみましょう。香港の臨床心理学者であるシンディ・チャン博士は当地での買いだめについて現地の新聞に次のように述べています。「人々はコントロールが必要だと感じているため、外出してコメやトイレットペーパーを購入するのです。自分でできることを実行し、コントロール感を得ているのです」。

 感染の拡大、はっきりしない情報、感染率の高さなど今回のコロナ禍はさまざまな不安が渦巻く上に高度な不確実性が一層気持ちをざわつかせます。予測不可能な危険への投資を有効に行うのは無理。それでも何か対策に動いて安心感を取り戻そうとした際にトイレットペーパーは絶好のターゲットになり得るということでしょうか。

 不確実性が同じ現象を生み出したのが1973年の「物不足パニック」です。長らく1ドル360円の固定相場に裏打ちされた円安と石油などの原料安に支えられ高度経済成長を謳歌していた日本にまず前者の前提が71年の円切り上げ(=1ドル308円)で崩壊。翌年誕生した田中角栄内閣の『日本列島改造論』提唱で全国的な土地投機による高騰を招いた矢先、後者の石油安を根底から揺るがすオイルショックが到来しました。

 第一次エネルギーの実に78%を石油に依存していた日本経済は深刻な供給不足とインフレの不安に駆られます。福田赳夫氏が「狂乱物価」と名づけた混乱の初期、中曽根康弘通産大臣が資源やエネルギー節約の一助として「紙節約の呼び掛け」を10月19日に発表したのです。

 31日には「トイレットペーパーを2年分買いだめした主婦の話」が写真入りで報道され、翌11月に入るや大阪、東京のスーパーなどで「300人」レベルの行列ができ、全国へと広まりました。洗剤、砂糖、塩といった「白い生活必需品」も連れて買いだめの対象となり大騒動へと発展したのです。朝日新聞が拾った主婦の話は概要「買いだめはやめようと心に決めていたものの、ご近所がそうするのでじっとしていられなくなった。今日は5カ所も回った。中曽根さんのお宅はどうしているのか」といった内容です。

取材記者のジレンマ

 こうした騒動を「マスコミが発展させた」とよく批判されるし、確かにそうした面もあります。ただ取材者にもジレンマが。デマに対しては「違う」と打ち消す努力をする半面で、目の前に「トイレットペーパーがない」「買いだめされている」という事実があればニュースなのは間違いないので報じてしまうのです。

 今回のコロナ禍でも注目される「自粛」のワードは昭和天皇ご不例の際にも自然と生じました。とある商店街が自粛した。ではあなたのところはどうしますかと取材すると「やはり自粛した方がいいですかね」と返答され、実際に多くが実行してしまいました。当時の記者は「我々は何をしているのか。ニュースを追っているつもりで作っているのではないか」と煩悶したものです。

日本人のトイレへのこだわり

 数ある生活必需品から選考される別の理由として日本人のトイレへのこだわりがあるかもしれません。例えば消費税率10%引き上げに際して逆進性を説明する時に必需品の代表としてトイレットペーパーを挙げると非常に高い納得が得られました。

 谷崎潤一郎の代表的随筆『陰翳礼讃』(1933年初出)は「日本の厠(かわや)=トイレ」をこれでもかというほど絶賛しています。

「うすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われた」

「日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした」とほめたたえ、トイレを「頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌む」西洋人に比べれば「我等の方が遙かに賢明」とまで。

 現代でも温水洗浄便座などのハイテクトイレが公共施設から家庭まで標準装備に近いほど広まっていて訪日外国人を驚かせています。谷崎のいう「徹底的に清潔である」トイレで「生理的快感」を味わおうと日本人が努力してきた結果でしょう。

 人目を避けてトイレで食事する「便所飯」も会社や学校などのトイレが「清潔」だからできます。同時に人目の気になる者にとって大きな「安心感」を与える場所であることも示しているのです。食事でなくともスマホや新聞を持ち込んでトイレの時間を満喫している人も少なくありません。まるで漱石先生のように。

 この清潔感を決定的に担保するのが水に流せるトイレットペーパーなのです。風呂や洗濯機が一時期壊れても我慢できるけど水洗トイレがダメというのは耐えられない人は多いはず。むろん排泄という機能の受け皿として必須だからという理由があるのは論を待ちませんが、日本人が求めているレベルは明らかに本来の役割以上です。