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退位の礼は憲法違反?譲位ではない?空位が生まれる?

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
おつかれさまでした(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 皇居には天皇家にまつわるさまざまな施設があります。退位の礼で関係するのは次の3つ。

1)御所……天皇の居宅

2)宮殿……天皇のいわば「仕事場」。会社のような存在

3)宮中三殿……神域(最高位の神社)

注目される「おことば」における上皇のあり方

 30日に行われる退位の礼(退位礼正殿の儀)は国事行為(儀式を行うこと)となりました。当日のお仕事を終えた午後5時、天皇皇后両陛下が正殿(宮殿の中心施設)のうち最高格式の「松の間」におでましになります。

 次に侍従(天皇の補佐役。国家公務員)がいわゆる「三種の神器」のうち「剣」と「璽(じ)」=勾玉(まがたま)および国璽(国印)と御璽(天皇の印鑑)を「案」と呼ばれる台の上に置きます。

 今度は安倍晋三首相が国民を代表してあいさつ。国事行為は内閣の助言と承認が必要で、全責任を負う内閣トップが先に退位の事実や謝意などを語るとみられます。最後に天皇が「おことば」を述べられて終了。約10分間の簡素な儀式です。

 「おことば」で注目されるのは翌日から就かれる上皇としてのお心構えでしょう。憲政下で初のご身分で、「太上天皇」の略ではなく「上皇」の2文字が正式名称の天皇経験者は史上初ですから。

「神器」の承継を国事行為で行うのは違憲か

 さてここで一部に「憲法違反」と指摘され、裁判も起きているのが「三種の神器」の扱いです。宗教色が濃くて公金支出は憲法が定める政教分離原則に反すると。

 「三種の神器」は皇位の証とみなされています。「剣」(あめのむらくものつるぎ)と「璽」(やさかにのまがたま)は御所の「剣璽の間」に、もう1つの八咫鏡(やたのかがみ)は宮中三殿の賢所(かしこどころ)にそれぞれ安置されています。もっとも本体は剣が熱田神宮、鏡は伊勢神宮に祀られていて剣璽の間と賢所に置かれているのは形代(かたしろ)。ただ単なる模造品(レプリカ)ではなく同等の価値が認められる分身だそうです。いずれも天皇家の祖先と伝承される日本神話に出てくる品に該当します。

 よく天皇は神道という日本古来の宗教の現世における長という説明がなされるのですが、この「神道」が実は曖昧模糊とした教えだからややこしい。確かに日本神話に出てくる神々(天皇の祖先とされる)の多くが神社で祀られている半面、まるで関係ない人神(菅原道真や徳川家康など)を神体とする社や民間伝承にまつわる神(道祖神など)も数えられ多岐に渡ります。

 そもそも神器の発祥が神話なので史実と言い難いし、天皇ご自身を含め実物を見た者もいません。神道自身も長い間、仏教と習合されて同一視されていたし、1868年の神仏分離令以降も、今日でさえ「神さま仏さま」と同等視する日本人はたくさんいます。初詣先を選ぶ際に明治神宮(神道)か成田山新勝寺(仏教)かを宗教上の違いで判断する人がどれだけいるでしょうか。

「神が宿るご聖体」か「もの」か

 いわば三種の神器が根ざす神話は大いなるファンタジー。もっともファンタジーだから宗教ではないとも断言できないので政教分離を厳密に考えるならば神器を運ぶプロセスは国事行為から外した方が憲法上より確実ではありましょう。

 一方で現憲法下の神器はもはや神器ではなく皇室経済法(1947年制定)上の「由緒あるもの」に過ぎないから政教一致批判はあたらないという意見もなされてきました。代々伝わる家宝のようなものだと。確かに「もの」には違いない。

 このあたりの議論は昭和から平成に代替わりする際にもなされました。もっとも崩御にともなう践祚(せんそ)であったため猛烈に時間がないまま決まったのです。今回は退位にともなうので本来じっくり議論してもよかったテーマでした。

 なお鏡は賢所に元々祀られているので動かしません。退位の礼に先立って「退位礼当日賢所大前の儀」が行われます。

 「神器」にせよ「もの」にせよ皇位の継承で大切な品を30日の退位の礼で安置所から運び出すのは翌日の新天皇による「剣璽等承継の儀」(国事行為)のためです。

重たい2つの印鑑が儀式に用いられるわけ

 退位の礼で剣璽とともに案上に置かれる「国璽」と「御璽」は祭祀と関係なく天皇の公務に必要な印鑑です。「大日本国璽」と彫り込まれた国璽は国事行為の「栄典を授与する」のうち叙勲に用います。受勲者は勲章とともに証明書のような勲記をいただき、そこに押印されています。

 御璽は天皇の印鑑で「天皇御璽」と刻まれています。国事行為たる法律や条約などの公布に際して押されるのです。どちらの印も金製で約4キロとたいそう重たいもの。普段は宮内庁侍従職が保管しています。

 旧憲法下では代替わりの儀式を「剣璽渡御(とぎょ)の儀」と呼び、剣璽を直接譲る形式でした。しかし現憲法下では皇位を天皇の意思で譲れません。そこで30日の退位の礼で次代に受け継ぐ品を手放し、翌日践祚した新天皇が受け取るという形式を取っています。

 退位と即位を2日にわけたのも国璽や御璽を加えたのも剣璽だけでの「政教分離」違反という批判を少しでも緩和しようという心配りとみられています。

中大兄皇子の場合

 なお30日の退位から新天皇の即位まで「空位」があるとの指摘はさしてあたらないようです。短時間ですし儀式があろうとなかろうと「直ちに」継いだ形をとるので。そこまで細かくみたら昭和天皇崩御から今上天皇の剣璽等承継の儀までも3時間以上ありました。

 先帝崩御後、次代が直ちに即位しなかった「称制」は空位といえば空位でしょう。その例は過去にあります。古代史のスーパースターである中大兄皇子(後の天智天皇)はなかなか即位せず、母の斉明天皇崩御後も数年間皇太子のまま政務と取りました。その理由は……。ちょっとヤバい説もあるためご興味のある形はお調べ下さい。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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