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全治1年の大けがから復帰の男子バレーFC東京長友優磨  仲間と共に「清水さんと戦いたい」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
FC東京の長友主将。ケガから復帰し再びコートへ(写真提供/F.C.TOKYO)

 Vリーグ開幕前日。

 初めて采配を揮う監督、これがデビュー戦になる選手。連覇を狙うチームの選手や、リベンジを誓う選手たち。もしかしたら、すでに胸の中では「これが最後」と決めて開幕に臨む選手もいるかもしれない。

 抱く思いはさまざま。それぞれが異なる感情や緊張感を胸に、開幕へ向けた準備を進める中、ひときわ特別な思いを抱き、2020/21シーズンの開幕を迎えようとしている選手がいる。FC東京主将、長友優磨だ。

全治12か月の大けが「なぜ今なのか」

 主将として迎える3年目、19/20シーズンの開幕を迎えるべく練習に励む。開幕に向け、基礎練習からチームでの試合形式に近い複合練習へと移行した9月、長友は「今までバレーボールをしてきた中でも一番、絶好調だった」と振り返る。

 だからこそ、何度も思った。なぜ今なのか、と。

 9月12日。岩手、オガールアリーナでの合宿中だった。

 その日、誕生日を迎えた新外国人、プレモビッチ・ピーターの攻撃をブロックすべく、レフト側で長友が跳ぶ。事前想定であらかじめライトにトスが上がるのはわかっていたし、そのボールをブロックして、着地し、レシーブから次の攻撃に切り返す。これまでも数えきれないぐらい何度も繰り返してきた練習で、経験したことのないアクシデントが起きた。

「普通ならブロックは上に跳んで、真下に着地する。そこにないはずのスパイカーの足があって、着地で乗ってしまったんです。その瞬間にブチブチ、って音が聞こえた。捻挫ならば、足首も外側にひねるけど、その時の僕は内側にくじいたんです。痛さはなかったけれど、瞬間的に、何か出てきたのがわかりました」

 皮膚を割いて出て来た骨を靴下の上から押し返す。長友自身は「これで大丈夫」と思ったが、次の瞬間、大量に出血した。大丈夫か、と声をかける仲間の声に「平気、痛くないから」と答えたが、八亀康次トレーナーと共に救急車に乗ると、簡単な状況ではないことを嫌でも思い知らされ、急に直面した現実に、涙が一気に溢れた。

「救急車に乗った瞬間、あ、終わった、って思ったんです。ずっと涙が止まらなくて、それでも八亀さんは僕の足をさすりながら『大丈夫、大丈夫』と声をかけ続けてくれる。それも申し訳なくて、チームメイトにも迷惑をかけてしまった、という気持ちも消えませんでした」

 左足首からはまだ骨が出た状態のままだったが、状況を把握するためにレントゲンを撮らなければならない。患部ではない膝に触れられただけで激痛が走る。だが、傷口よりももっと、心が痛かったのはその後、何気なく発した医師の言葉が聞こえた時だった。

「4~5人のお医者さんが僕の足を診て『何これ、どうなっているの』って。それを聞いて、ものすごいケガをしてしまったんだ、と思ったし、あのブチブチは靭帯が切れる音だったんだな、と。レントゲンを撮って、消毒して、骨をはめてから麻酔を打って縫う。その全部が、我慢できないぐらい痛くて、痛くて。もう、それしかなかったですね。他の感情は、何もなかったです」

「帰ってくる場所」にいる仲間と祖父のために

 診断結果は左腓骨骨幹部骨折、左足関節開放脱臼、左脛腓間靭帯断裂、左三角靭帯断裂で全治12か月。岩手の病院に2日入院し、埼玉の病院へ転院。受傷から1週間後の19日に手術を敢行した。

 麻酔が覚めてからの激痛は「思い出しても吐きそうなぐらいつらい」と今は振り返ることもできるが、その時はケガの痛みだけでなく、先の見えない現状に気は滅入るばかり。だが、そんなつらい日々を乗りきれた原動力は何か。自身を気遣い、それぞれの言葉や行動で励まし続けてくれた仲間の存在だった。

「ケガした日から(FC東京の)チームメイトはLINEで『待ってます』と連絡をくれて。その時は『頑張るよ』とは言えなかったですけど、橘(裕也)さんが『ちゃんとお前が帰ってくる居場所をつくっておくから安心しろ』と連絡をくれた時は、すごく嬉しかったです。手術の後も、すぐパナソニックの今村(貴彦)がお見舞いに来てくれて、『来たよ、どうした、何してんの』っていつもと変わらず明るく、でもすっ飛んできてくれた。それだけでめっちゃ泣きそうでした。ちょうどワールドカップの前で、大変な時期なのにマサ(柳田将洋)や西田(有志)も来てくれて、解説で全国を回っている(大林)素子さんもいろんな人の動画メッセージを送ってくれたり、普段はそれほど話をしたことがない人も、また別の人を介して『大丈夫か』と気にかけてくれたり。自分はどれだけの人に支えられているんだろう、と思ったら本当に幸せで、ありがたいな、って心から思いました」

最初に見舞いに来てくれた同郷の今村。「涙が出そうだった」と振り返る(写真/本人提供)
最初に見舞いに来てくれた同郷の今村。「涙が出そうだった」と振り返る(写真/本人提供)
W杯前に見舞いに訪れた柳田、西田(写真/本人提供)
W杯前に見舞いに訪れた柳田、西田(写真/本人提供)

 それでもすぐに、また頑張ってコートに戻ろう、と前を向けたわけではない。退院して、松葉杖をつけば歩けるようになり、10月に開幕したVリーグに帯同できるようになっても、考えるのは、自分がキャプテンを務めてはダメだ、とか、もう復帰は無理だ、とマイナスなことばかり。リハビリをしていても、体育館でバレーボールをしている姿を見れば心拍数が上がり、気分が悪くなる。

 あれほど好きだったバレーボールと、正面から向き合えない。そんな長友の背を最後に押したのは、宮崎に住む祖父の一言だった。

「優磨がバレーしとらんと、じいちゃん、暇やが」

 小学生の頃から試合を見に来てくれただけでなく、雑誌や新聞に載れば切り抜いて飾る。春高で優勝した時のDVDも飽きずに何度も何度も見る。一番の応援団である祖父の言葉が、固まりかけていた心を溶かす。あれほど頑なに「もうバレーは無理だ」と思っていたのに、何度も何度も「待っている」と声をかけ続けてくれたFC東京の仲間、特に橘や山田要平など自分よりキャリアの長い選手や、「今日は得点係やった」など、何気ないことをほぼ毎日といってもいいほど連絡し続けてくれた手原紳。気づけば、これまでずっと一緒に戦ってきた仲間と共にコートへ立ち、喜ぶ自分の姿を想像するようになった。

 もう一度、同じ場所を目指そう、とようやく前へ。2019年12月、長友はバレーボール選手として、再び新たなスタートラインへ立とうと決意した。

ケガをした直後から日々連絡を取り合った仲間の存在。特に手原(左)には勇気づけられたと振り返る(写真/F.C.TOKYO  写真は2019/20シーズン)
ケガをした直後から日々連絡を取り合った仲間の存在。特に手原(左)には勇気づけられたと振り返る(写真/F.C.TOKYO  写真は2019/20シーズン)

「やると決めたからには、試合に出たい」

 松葉杖が外れて歩けるようになった。走れるようになった。ボックスジャンプができるようになった。たとえ小さなことでもできるようになることが嬉しくて、ボールを使って対人レシーブができるようになった時は、楽しくて仕方がなかった。

 だが、当然ながら時には恐怖も伴う。

 ボックスジャンプはできても、それがスパイク、ブロックになれば着地時にケガをした瞬間がフラッシュバックする。

「初めて複合練習に入った時は、心拍数が上昇したまま下がらず、バクバクバクバク、止まらなかった。何とかその場は乗り越えたけれど、夜になっても心拍数が上がった状態で、これが恐怖なんだ、と。でも(トレーナーの)八亀さんに話して、無理しなくていいから少しずつやろう、と言われてすごく落ち着いて。ネットに近いボールを処理する時はまだ怖さが先行するけれど、経験していかないといけない。やると決めたからには、コートに立ちたいし、試合に出たいので」

 筋肉量を戻し、体力を戻す。ワンポイントではなく、試合に出て動き続けるためにはクリアしなければならない課題は山積みだ。キャプテンを務めると決めたが、だからといってベンチに入れる、試合に出られる保証はなく、チーム内を見渡せばそれぞれ武器を持つアウトサイドヒッターの選手が揃い、ポジション争いも熾烈だ。

 ケガをする以前の自分と比べれば、できないこともあるし、焦りもある。だが、今はその感情をも上回る、大きな目標が2つある。

「ずっと励まし続けてくれた橘さん、手原と同じコートに立ちたい。今年は古賀(太一郎)さんが入って、チームとしてはものすごく大きな刺激、プラスの効果があるけれど、同じリベロの橘さんからすればライバル。それでも橘さんは『勝負して自分がコートに立つ』と言っているし、紳も『優磨さんがコートに戻って来たのに、俺が出てなきゃ意味ないよね』って。3人で食事しながら、『俺たち頑張らなきゃ』って3人で泣きました(笑)。でも、その思いに何とか応えたいし、だから苦しくてもキャプテンをやろう、とも思いました。この仲間がいるチームで、キャプテンとして復帰したい、という思いも少なからずあったのかもしれませんね」

「居場所をつくる」「自分も戦う」と背を押してくれた前主将の橘(右)の存在も力になった(写真/F.C.TOKYO 写真は2018/19シーズン)
「居場所をつくる」「自分も戦う」と背を押してくれた前主将の橘(右)の存在も力になった(写真/F.C.TOKYO 写真は2018/19シーズン)

「清水さんと戦いたい」

 そして、抱くもう1つの目標。それはチームメイトではなくとも、同じように大きなケガから復帰し、その過程をSNSで発信し、再びコートに舞い戻った大きな存在――。

「清水(邦広)さんと戦いたいです。僕がケガをした時、ツイッターで『コートで一緒にまた戦おう』と言ってくれたのが、本当に嬉しかったし、リハビリでつらい時、清水さんの動画を見たり、いろんな言葉に励まされた。それぐらい大きな存在でした。だからまた、清水さんとコートを挟んで戦いたいです」

 時折、夢を見る。

 観客がたくさんいるコートの中に、自分が立つ。途中出場ではあったが、ユニフォームを着て、迎えてくれる拍手や歓声。スパイクを打つ前に目が覚めたが、バレーボールの夢を見ることが増えるたび、その都度思う。やっぱり、バレーボールが好きなんだ、と。

「今日も練習かぁ、とは思わないですね。今日も練習だ、頑張ろう、頑張らなきゃ、って。その日、その日の練習が、今はすごく楽しみなんです」

 10月17日、Vリーグ開幕戦。FC東京は清水もいるパナソニックパンサーズと対戦する。たとえマンガのようでも、願わずにいられない。目覚めた夢の続きを、その場所で、と。

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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