森林所有者ほど幸福ではない?林業は弓矢でなく「糸屋の娘の目」で臨もう

(写真:アフロ)

 環境経済・政策学会2019年大会(9月に福島大学で開催)で滋賀県立大学の高橋卓也教授らによる「森林所有は森林にかかわる主観的幸福度にどのような影響を及ぼすのか?滋賀県野洲川上流域を対象として」という発表をしていた。

 その内容に目を通すと、ちょっとショックだった。なぜなら、森林所有者ほど森林満足度、森林充足感が低く、森林を楽しく思う時が少ないという結果が出ていたからだ。

 ここで概要を紹介しよう。まず調査は、性別、年齢、近くに森林があるかなどとあわせて、森林を持っている人、持っていない人に分けて分析ができるアンケートをこしらえて滋賀県の二つのまちの一般家庭にアンケートを送り、1500件ほど回収したものだ。

 細かなデータは、上記の発表資料か要旨を見ていただきたい。

 ここでは、ごく表層の結論だけを紹介する。(間違っていたら御容赦)。

・森林所有はいくつかの種類の森林幸福度に負の影響を及ぼす。

・所有林に人工林の占める割合が高いほどマイナス感情は緩和される 。

・ボランティア、森林関連団体への参加、比較的良好な管理状況、後継者の存在、年齢の増加が伴う場合、森林所有によって森林幸福度が増大する。ただ家、地域、ボランティアでの森林管理は、平均してマイナス感情を引き起こしている。

・動植物観察は森林満足度、森林充足感、プラス感情に関して正の影響を与えるが、獣害のためかマイナス感情がより強い。

 もちろんこの調査は滋賀県の2地域によるものだし、さまざまな変数が存在するのでどこまで一般化してよいのか迷う。しかし、森林を所有している人は、森林を所有していない人より森林満足度、森林充足感が低く、森林を楽しく思う時が少ない……という結論はなかなか衝撃的だ。ひと昔前は、山を持っていることはそれだけで金持ちの象徴だったし、何より誇りだったと思う。私も、別に林業をしなくても山を持ちたい、自分の森を持ちたいという欲求があるのだが……。

 なお人工林の方が多少マイナス感情が少ないのは、(少なくても以前は)経営する意欲があり、家族が手をかけた森だからだろうか。

 ただ森林を持っていると不幸だと感じるのは、今の林業が不採算で、しかも管理に手間も金もかかるからだろう。まるでこの研究は、日本の山は「負動産」であり続けると所有者自ら認識していることを示したかのようだ。

 まさにこの結果は林業に「絶望」してしまうのだが、そんなときに思い出したのが、大分県の後藤國利さんの言葉である。後藤さんは臼杵市の元市長だが、林業家でもある。

 所有する山林が58年前に山火事にあい、その後焼け跡から一から森を作り直した経験がある。その森を「太郎林」と名付けて、皆伐をせず間伐を繰り返すことで長伐期による森づくりを行う。そして口にするのは

「人工林づくりの苦労は最初の20年間に集中します。30年を過ぎれば仕事も経営も楽になります」

である。そしてその後は「植林と下刈りの苦労から解放され、路網を作り、収入間伐を繰り返す明るく楽しい20年です。苦しい重圧が無くなると森を楽しめるようになります。おのずから森に足が向かいます。成長度合いを見るのが楽しくなるからです。森への愛情と愛着が深まります。植え付け、下刈りの苦難が無くなれば林業は楽になる。私は楽な長伐期施業を実践しています」という。

 そして頼山陽が言ったと伝えられている俗謡

「京は本町 糸屋の娘 姉は二十歳で妹は十九 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」

(地名・歳はさまざまなバージョンあり)を引用する。

 弓矢を用いるような力づくで利益を求める経営では楽しくないという。「素材生産の量だけでなく環境や健康に貢献する豊かな森林資産になってくれる」。そして「森にとっての最大の肥やしは経営者の愛情のこもった目」。目先の利益よりも森に対する喜びと満足が大きな収穫であり、森と人が相思相愛になれるとする。

 現在の林業政策は40年を伐期とし、せいぜい50年60年までに全部伐って植え直すのが基本方針だ。しかし、それでは植えて育てる苦労ばかりを長く背負うことになり、森を楽しむ期間が短くなってしまうことを示している。

 ブータン王国は、国の基本を「GDP(国内総生産量)ではなくGNH(国民総幸福量)で評価しようと提唱した。

 日本の森、そして林業も、成長度や生産力ではなく、所有者や森に関わる人々の幸福度を指標に加えてもよいのではないか。それを達成するための政策を考えてほしい。